第146話 番人 2


 刃の冷たい感触と、ちくりとした痛み。


 切っ先がわずかに隆也の皮膚を傷つけたものの、彼自身、それほどの動揺は感じていなかった。


 これは一度目で、単なる警告でしかない。殺気がどうの、闘気がどうのといった戦闘に関する駆け引きは隆也にはさっぱりだが、ミケが全く反応していないので、ここはまだ大丈夫のはずだ。


 もし明確な危害を加えるつもりであれば、ミケは言いつけを守らずに、反撃していただろう。彼女にとっては、主人と呼び慕う隆也が無事であることが第一で、言いつけはまだ二の次だ。


 突きつけられた切っ先から逃れるようにして、隆也は一歩、後ろへと下がる。


「どうしても、ですか?」


「……二度目はないぞ」


 おそらく本気である。隆也が足を一歩前に踏み出せば、今度こそ実力で排除されてしまうだろう。


 こんなところで、死ぬのはごめんだ。


「……じゃあ、仕方ないですね。……、ミケ」


 言って、踵を返した隆也はさらに一歩下がり、元きた石段を下りようとしたところで、


「――ぉっ」


 と、声を残して、青肌の青年が、遥か後方の林へと吹き飛ばされていていった。


 遅れて、降り積もる周囲の雪を吹き飛ばすほどの衝撃が広がる。


「ミケ、背中借りるよ!」


「ウオンッ——!」


 相手に体当たりを仕掛けていたミケの背中に掴まると、しもべの銀狼は、主人の腕力が耐えられる程度の速度で、疾駆を開始する。彼女が本気を出せばおそらく頂上まで二、三ほどの跳躍で済むが、主人が空高く放り出されてしまうので、注意が必要だ。


「すいません! ここまで来て死ぬのなんてまっぴらゴメンですけど、目的を果たせずにおめおめと逃げ帰るのも、まっぴらゴメンですから!」


 葉に積もり積もった雪がばたりばたりと落ちたほうへ、隆也が声を張り上げた。


 かなりの強さで吹き飛ばされたはずだが、この雪が上手いことクッションになってくれるので、それほどの怪我にはならないはずだ。


 これで、まずは一人。あとは、


「――そうか、それは残念」


 もう一人の、黄色の青年のほうだった。


「これは……!」


 先の視界が遮られるほどの霧と雪の中に紛れて、ごく小さな目の網が張り巡らされているのに気付く。 


 糸を切ろうとして、すぐさま腰からシロガネを抜いたものの、蜘蛛の糸のようにしつこく纏わりつき、上手く解くことができない。それに、何気に強靭だった。


 加えて、毒も含んでいるのか、肌が露出しているところに絡みつくたび、強い痺れと痛みがともなった。


「これぐらいの毒なら……!」


 言って、隆也は道具袋から取り出した玉を取りだして口に咥え、それをそのまま噛み潰した。


 直後、隆也のまわりを、灰色の煙が包み込んだ。


「!? ぬうっ、小癪なマネを——」


「ごほっ……! 残ってた瘴気の粉末と一緒に、麻痺毒を解除する粉末も加えた改良型の煙玉——ミケ、網のほうはいいから、そのまままっすぐ……」


「だが、それで我らが行かせるとお思いか?」


「なん……ぐうっ!?」


 シロガネでなんとか糸を切り離そうとしたところで、隆也の全身を、これ以上ないほどの痺れが走り抜けた。


 これは、さきほどのような神経毒ではなく、以前に、隆也が、元クラスメイトである明人から喰らったもののような。


「雷術——痺れ蜘蛛糸」

 

 糸を伝って隆也の体に流し込まれたのは電流だった。この世界にいるのなら、鬼だろうが当然、魔法の素質に目覚めている者もいるはずだ。失念していたわけではなかったが、油断していた。


 ミケに掴まっていた手の力が抜け、隆也は、彼女の背中から転がり落ちて、石段の上へと、自身の背中を強かに打ちつけた。


「グウッ……!」


 主人の落下に気付いたミケが、すぐさま彼を拾い上げるべく方向転換をするが、踏みしめようとしたところで、バランスを崩して派手に転んでしまったのである。


 それまでは足の爪に食い込んでいたはずの雪が、つるつるの固い氷になってしまったかのように。


「よそ者が……調子にのるでないぞ」


 気づくと、先程ミケに吹き飛ばされたはずの青肌の青年が、草陰の向こう側より這い出してきた。両手で印を結んでおり、額に、それまでなかったはずの、青白く発光する角がせり出していた。


「無事かっ!」


「当たり前だ! それより、今のうちにそのガキを! そいつを人質に取れば、この狼は動けん!」


「くっ……」


 同様の角を浮かび上がらせた黄肌の鬼が、すぐさま糸を手繰り寄せ、動けない隆也を自身のほうへと引き寄せようとする。


 糸を握る逆の手には、小さな、しかし、切れ味は十分そうな刀が握られている。


 喉ぐらいなら、少し手首捻ってしまえば、問題なく切り裂けるだろう。

 

 そうして、圧倒的に有利と思われた形勢が、敵側にひっくり返されようとしたところで、


「ゆけ、イカルガ——火術、火雲雀ヒバリ


 と、炎を纏った白鳩が、電撃の糸をいとも簡単に焼き切ったのだった。


「ソウジ、キハチロウ、そこまでだ」


 相変わらず的確な仕事をする使い魔が、誇らしげな様子で羽ばたき。


 そして、鮮やかな緋色の袴に身を包んだ、淡い赤の燐光を放つ角を浮かばせた黒髪の少女の肩にとまった。


「隠し事はできないと思って師匠に正直に伝え、お願いしたのが間違いだったか」


「アカネ、さん」


「……タカヤ。お前は、来てしまうのだな。やはり」


 言って、階段の先より姿を現したアカネは、ほんの数日ぶりに再会した馴染みの弟弟子の顔を見て、嬉しいような悲しいような、そんな複雑な笑みを浮かべるのだった。

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