第249話 すれ違い


 もうこの場所に来てから何度も奈落には突き落とされているが、今回ばかりは魔法による衝撃吸収などといった手加減は何ひとつなく、隆也たちはそのまま地面に叩きつけられた。


「あ、ぐぁっ……!」


 途中、細かく砕けた氷や雪が緩衝材となってくれたおかげで死にはしなかったが、それでも腕や脚など、激しく打ちつけたところから、電撃を食らったかのような鋭い痛みが走る。


 折れているか、運が良くてもヒビは確実に入っているだろう。


「み……みんな、無事……?」


「まだ死んでねえ」


「なんとか生きてる」


「こっちもだ……」


 隆也の呼びかけに三人が手を上げて応える。それぞれ近くにおり、隆也だけ少し離れた場所に落下してしまったようだ。


「ダイク、魔法はまだ使える?」


「ああ。休んでたからな。……今、近くの二人を治してる」


 隆也が無能力者になった今、この状況で頼りになるのはダイクしかいない。少しでも動ける二人を先に治癒して、それから隆也を助けにいって……という算段を彼は立てているのだろうが。


「――ダイク、俺のほうはいい。メイリールさんとロアーを治したら、そこでそのままじっとしてて」


「? な、何言ってんだよ。仲間なんだから、お前も当然……」


「無理だよ、ダイク」


「は……?」


「……だって、俺もう囲まれてるから」


 ギチギチと響く虫の不快な声や羽音、飢えた魔獣たちの息遣いや涎の滴る音でわかる。隆也の周囲は、穴の底で蠢いていた虫や魔獣たちによって、逃げる隙間もなく塞がれていた。


 崩落によって洞窟の外に出られず、自らの食糧が足りなくなることが明らかな状態。その上で、傷を負って無防備を晒している隆也がいるとなれば、この機会を逃すべきではないだろう。


 甲虫や小型の魔獣たちが、様子を伺いながら隆也のほうへにじり寄ってくる。神狼はいないようだが、それでも、三人ではこの壁を突破するのは困難である。


 このまま放っておけば、隆也はあっという間に彼らの血肉となってしまうだろう。


「ごめん、みんな」


 誰にも聞こえない声で呟いて、隆也は仲間たちに心の中で詫びる。


 やはり最初から詩折の言うことに従うべきだったのかもしれない。彼女はもう本気だ。たとえ仲間たちに非難されても、自分さえ犠牲になれば、仲間たちにこれ以上の被害は及ばない。


 この世界に来てから隆也は様々な人々と関わってきた。人間、亜人、魔獣、魔族、意思をもつ道具たち。


 その中でも、三人は隆也にとってもっとも大切な人たちである。


 隆也は忘れていない。右も左もわからず、集団から追い出され、一人絶望に暮れていた自分に差し伸べてくれた手のことを。


 日陰者だった隆也が、今、光で満たされた場所にいるきっかけを作ってくれたのは彼らのおかげである。


 彼らには返しきれない恩がある。


「……ごめん」


 隆也は繰り返すようにして、もう一度言葉を絞りだした。


 もう少しだけ一緒にいたい。もっと一緒に仕事をして、みんなの助けになって、行きつけのお店で楽しく騒いでいたい。


 だが、それ以上に彼らを失いたくない。このまま隆也がやられてしまえば、次に標的になるのは彼らだ。


 自分は一度死んだようなものだ。諦めたくはないが、仕方ないという思いもある。だが、やはり彼らには同じ道を歩んで欲しくなかったのだ。


 隆也の心は、決まりつつあった。


「……水上、さん」


 詩折からの返答はないが、彼女は必ず隆也の様子をどこかで見て、そして快感に浸っているはずだ。


 威勢の割にあっさりと折れてしまった形だが、粘ったところで、さらに彼女を喜ばせることにしかならない。どうせ後から存分に、絶対に死なない程度に虐め抜かれるのだ。


 これが、無能になり下がった隆也に出来る、唯一でささやかな抵抗――。


「俺、約束通り君のものになる。だから、この三人と、それから師匠のことを、」


「――こぉんの、馬っっ鹿ヤロウがぁっっ――――!!」


 だが、隆也が完全に白旗を上げようとした瞬間、そんな怒声とともに、一本の矢が隆也のすぐ近くに突き刺さった。


 全体に風の魔法が付与されていたのか、着弾の瞬間、隆也を中心に小さな旋風が発生。隆也に纏わりついていた虫が風の渦に巻き上げられ飛散し、その様子に驚いた魔獣たちがいったん距離を取る。


「タカヤァっ、テメエっ! 今、自分だけ犠牲になろうとしたろっ!!」


「ロアー……?」


 隆也の方へ向けて二射目の矢をつがえていたのは、ダイクによる治療を終えたロアーだった。


 ダイクのような荒い言葉遣いで、ロアーは隆也に対して烈火のごとく怒っている。


 どちらかと言えば静かに怒ることのない彼が、激しく感情を顕にしていた。


 まるでこれまでため込んでいたことが、火山の噴火のように爆発したかのような。


「俺がいつお前に『助けてくれ』だなんて頼んだよ!? なんでもかんでも自分一人で背負い込みやがって! ちょっと才能があったからって、主人公気取りか? ふざけんじゃねえぞテメエッッ!!」


「なっ……!?」


 その言葉に、隆也の頭がかあっと熱くなる。


 自分がどれだけみんなのことを思ってこの決断を下したのか、ロアーはまったく理解していない。


「なに言ってんだ! こうでもしなきゃ全員ここでお終いだろっ! 彼女は本気だ、そんなこともわかんないのか! リーダーのくせに!」


「そんなの当たり前だろ! 言ってくれねえんだから! お前はいっつもそうだ! なんでも自分一人でどんどん決めて、俺たち以外の奴らを引き連れて……!」


「っ……そ、それは……だって、そうでもしないと」


 ロアーたちにできるだけ厄介ごとが及ばないように、である。


 魔族、六賢者、王都、能力の秘密など、皆に知られていないだけで、隆也は今、この世界の様々な重要事項に関わっている。巻き込まれたもの、自ら首を突っ込んでいったこと――すべてを把握しているのは、同じ異世界からの迷い人である光哉ただ一人だ。


 隆也は、誰に頼まれるでもなく、常に守られている。ミケ、ムムルゥ、エヴァー、アカネに、そして場合よっては魔界にいる魔王や他の四天王たち、そしてラヴィオラにセプテ。この世界でも指折りの実力者たちである。


 だが、彼らにとって、三人はあくまで隆也の仲間、いわばおまけという認識だ。隆也が頼めば助けてくれるだろうが、いつも気にかけているわけではない。


 彼らを信用していないわけではない。知れば彼らは協力してくれるだろうが、今日のようなことがいつ降りかかってもおかしくない。


 そんな危険に彼らを巻き込むわけにはいかない。


 だからこそ、隆也はずっと秘密にしてきたのに――。


「そうでもしないと、なんだ? そういうところがムカつくって言ってんだよ! ウォルスで二人になった夜に、俺言ったよな? お前の後ろには俺がいることを忘れるなって。それなのにお前は、相変わらずで……大っ嫌いだよ、てめえなんか!」


「じゃあ、今アンタにお願いして皆のことを助けられるっていうのかよ! ここにいる敵を全部蹴散らして、上にいる大ボスを倒して! メイリールさんより、ダイクよりも才能がない、アンタが!」


 無理に決まっている。自分でも言っていた通り、ロアーはいたって平凡な冒険者である。なんでも無難にこなすことはできるが、戦闘でも、魔法でも、彼はルドラやフェイリアの二番煎じでしかない。


 どの分野でも、彼の代わりになる人物はいくらでもいる。


「……その通りだよ」


「っ……いや、今のは売り言葉に買い言葉で……」


「構わねえよ。前に話したとおり、俺はお前らと違って特別じゃない。誰かの代わりっぽいことはやれても、所詮は劣化版。一番になんかなれやしないってよ。……でも、」


「? ん……?」


 目の前で起きた変化に、隆也は思わず目をすがめる。


 でも、とロアーが言った瞬間、彼の纏う雰囲気が変わったような気がしたのだ。


「それでも、俺はお前を助けて見せる。社長、副社長、そしてほかの皆。そいつらみたいに特別にならなくてもいい。一番になれなくてもいい。その代わり……」


 ロアーを纏う風が次第に強まっていく。


 彼は気づいているだろうか。切り裂くような風を纏いつつ矢をつがえるその美しい立ち姿が、ここにはいないはずの『ある人』そっくりになっていることに。


「今度こそ、本当の意味で信用させてやる。タカヤ、お前を助けるのは、リーダーの俺だ」

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