第86話 隆也の小規模な冒険と出会い


 ひんやりと冷たい感触を足元に確かめながら、隆也は、階段を一段一段慎重に登っていく。


 階段を上った先はずっと真っ暗で、ただ闇がぽっかりと口を開けているように見える。行った先になにがあるのか、何もかもが隆也にとっては未知である。


「よし……行くか、俺」


 しかしこの時、意外にも、得体のしれないものに相対する隆也の心の中は、『怖い』という感覚よりも、『好奇心』のほうがより多く満たされていた。


 この魔城は複雑な仕掛けが施されていて、一歩間違えば、奈落の底か、もしくは、カサカサと嫌な羽音を奏でる黒いヤツがうごめく穴の中に放りこまれるかもしれないが。


「探索は冒険の基本……だよね、多分だけど」


 それ以上に、隆也は、冒険をすることに飢えていたのである。


 思い返してみると、海鼠シーラットに入ってから、三バカ(と、受付嬢のミッタが評する)と、まともに任務をこなしたことがない。


 この世界に来た時から、運がいいのか悪いのか、隆也はずっと何かに巻き込まれて続けている。


 元クラスから追放されるところから始まり、メイリールに偶然拾われて彼らの仲間となり、賢者の館での修行をこなしつつ、アカネやミケと出会って仲を深め、その後はムムルゥとレティ。そして、今は魔界だ。


 もちろん、その間に嫌なこともあったが、それは過ぎたことだ。今は新しい仲間たちに大事にされている。隆也にしかできない仕事だって任されている。


 だが、元々、隆也はメイリール達と冒険者をやるつもりでギルドに入ったのだ。薬の調合、魔槍の修理に人助け。全部大事な仕事ではあるが、やはり心のどこかでは、冒険に憧れていたのかもしれない。


 それは、きっと、この世界に転移した時から。

 

「…………」


 壁や天井、そして階段。あちこちへと注意を張り巡らせた隆也は、仕掛けの類がないかを見る。ヴェルグやミヒャエルのように深夜の見回りをしている手下たちもいるので、さすがに壁から無数の槍が飛び出してきたりといった罠はないだろうが……彼らはそんな即死罠をものともしないはずなので、念のため。


「さすがに何もないよな……こんなことでガキみたいにわくわくしちゃうなんて、俺って本当、ガキみたい」


 階段を登り切った隆也は、仕掛け一つ作動しない状況に安堵の息を漏らした。


 しん、とした静寂と闇、それにほんの少しの瘴気が、少し狭い通路に漂っている。暗闇に徐々に馴染んできた瞳を細めると、ある程度先まで見通せるようになっていた。


 一本道らしき通路の先にあるのは、二つの扉である。


 あからさまに怪しい、と隆也が目を眇めつつそこへ近づこうとした、その時。


 足元から床が消えているのに気付いた。


「うおっ……!?」


 正確に言うと、床が消えたのではなく、単に通路の途中で床が途切れていただけだったが、あからさまな注意逸らしに引っかかった隆也にはそのように感じていた。


 足元の支えを失った隆也は、なすすべなく落下を開始する。


 何もないと油断させておいてからの、落とし穴的仕掛け。古典的だが、翼のない隆也には抜群の効果だった。


 落ちる。


 隆也が咄嗟に手を伸ばすが、もちろん指先が床にかかってくれるはずもなく、彼は、奥底まで落下していく——。


「――いでっ!?」


 と、思ったところで、隆也は盛大に尻餅をついた。


「あれ? 意外に深くない……」


 どこまで落ちるかと肝が冷えたが、罠というには少々かわいい、まるで子供がいたずらに掘ったような落とし穴のようだった。


「……俺、今すごいカッコ悪い」


 簡単かつショボい手に引っかかった間抜けな自分が恥ずかしいと、隆也は一人、羞恥に赤面する。こんなんで『冒険』だなんだと心を躍らせていたつい数分前の自身を殴ってやりたい、と隆也は、ひどく痛む尻をさすりながら思う。


「でもまあ、誰にも見られなかったからいいか。もし、こんな恥ずかしいところ他の人にでも見られたら……」


「ホントだよな。もし好きなコとかに見られたら、オレなら絶対いきていけねえもん」


「そうだよね。ムムルゥさんやレティにはきっと笑われちゃうだろうし、副社長には拳骨喰らっちゃうかもしれない……って、え?」


 と、ここで隆也はある異常に気付く。


 先程、隆也は独り言をつぶやいたはずだった。こんなところを見られたら恥ずかしくて死んでしまうかもしれない、と。


 だが、独り言として発したはずの呟きが、いつのまにか会話のキャッチボールとして隆也のほうに返ってきたのである。


 さっきまで一人だったのにも関わらず、である。


「いや、すまんね。珍しいお客さんがいるもんだなって思ってつい後を追っかけちまった。ま、このことは内緒にしとくからさ」


「……誰?」


「俺か? 俺は……」


 穴の向こう側から隆也の顔をのぞきこんでくる存在へ訊くと、少年のような声をした主が、半透明の体を自在に伸縮させ、その一部を隆也の腕に巻き付かせ穴から引き揚げた。


 引き上げられた先に、隆也の視界に映ったものの正体は、


「ただのしがない不定形生物ってとこかな。今は、だけど」


 人語を完全に理解し、使いこなすスライムだったのである。

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