第87話 魔城の天辺と秘密の部屋 1


 スライムが喋った。


 いや、スライムが喋ったことに対して、隆也はそれほど驚いているわけではない。

 

 声帯なんてすでに朽ち果てているはずのスケルトンが喋っているのだ。その原理はどうあれ、スライムが同じようになっていても不思議ではない。


 だが、まさかここまでこの世界の『共通語』を淀みなく喋れるとは思わなかった。


「? ああ、すまんね。久しぶりに人間にあったから、ついな」


「あの、あなたは……?」


「俺か? 俺はただの通りがかりのスライムさんだよ。ちょっと用事があって、この魔城に来てるだけだ。まあ、それも大した用ってわけでもないんだが。それで、少年、お前は?」


 まるで友達にでも話しかけるような口調で、隆也の目の前のスライムは言う。


 自身の体の一部を唇のような形をさせて、そこから言葉を発せさせているようだ。隆也を引き上げてくれた時の行動もそうだが、このスライム、本当に賢い。


 体内に野球ボールほどの核が浮いている以外は特に目立った期間はないのにもかかわらず、これではまるでヒトだ。スライムの皮を被った人間。


「俺ですか? 俺は隆也です。名上隆也。えっと、東の方の出身で——」


 隆也の名を聞いたスライムの体が、ピクリ、と動く。


「東……ってーと『シマズ』か? また随分と辺鄙なところから来なさったなあ。でも、お前、見たところツノとか生えてねえみたいだけど?」


「え、えっと、俺生まれつき力がものすごく弱くて……だから、そういうのは持ってないみたいなんです」


 ヒトの世界のことにも精通しているスライムに、隆也はあたふたしながらも言い訳をひねり出した。姉弟子アカネの故郷の話などまともに聞く機会などなかったが、この言い訳を今後も使うのなら、いずれじっくりと知らなければならないだろう。


「ふ~ん……ま、いいや。ところで、隆也サンよ。お前さんは、どうしてここにいるんだ? 寝間着でのんきにウロチョロしてるところを見ると、侵入者ってワケじゃあねえんだろ?」


「え、えっと……この城にはムムルゥさん、いや、ムムルゥ様から招待を受けて」


 隆也は、このスライムにどこまで話していいかを考える。これまでの話の感じから、おそらく彼は、ムムルゥの手下というわけではなさそうだ。これだけの知能が備わっているのなら、彼女も彼を真っ先に紹介しているだろうし。


 少なくとも、全ての事情を打ち明けるわけにはいかないことは確かだ。


「あのいつも小生意気なガキンチョがヒトを? え、それマジ?」


 スライムに目なんて器官はないはずだが、ものすごくジロジロと見られているような気がする。

 

「へえ……なあ隆也、お前、これから時間ってあるか?」


「え? 時間ですか? ええまあ……トイレで用を足した帰りに迷子になっちゃっただけなので。ムムルゥ、様やレティは心配するかもしれないですけど」


「決まりだな、じゃ、今から俺についてこいよ。迷子ってんなら、用事のついでに送り届けてやらんこともない」


「……いいんですか?」


「ああ。この城は俺の庭みたいなもんだし」


 魔城の構造もすべて把握しているとは、このスライム、本当に一体何者なのだろう。ムムルゥのことも『ガキンチョ』呼ばわりしているし……謎の存在である。


 しかし、このまま無闇やたらに動き回る危険については、先程の落とし穴で十分に承知済みなので、ここは彼に付き合ったほうがいいかもしれない。


 一人より二人、二人より三人。それも冒険の基本だろうと、隆也は思っている。


「んじゃ、決まりだな。っても、俺の目的地は、もうすぐそこなんだけど」


 ぴょんぴょんと全身を跳ねさせて、穴の開いている床の向こう側へと渡ったスライムは、その先にある二つのドアのうち、右側のほうを開け、そして、中に入ることなく、一旦、それを閉めた。


 バタン、というドアの閉まる音が、やたら大きく通路内をこだまする。


 すると、次の瞬間、


「! 光が……」


 スライムと隆也の足元に、見覚えのある形の魔法陣が浮かび上がる。


 転移魔法陣——。


「心配すんな、隆也。別に城の外に出るわけじゃねえから」


 隆也にそう呼びかけた彼の体が消えると同時、隆也の体も、転移の魔術光に体を包まれる。


 次はどんな場所に飛ばされるのだろうか、と一瞬だけ身構えたものの、移り変わった先に飛び込んできた景色は、隆也が想定していたものと違っていた。


「ここは……書斎、かな?」


 隆也の瞳に映ったのは、暖かな光に包まれた小さな部屋と机、それに、堆く積まれた紙の山だった。


 部屋の四隅に設置された棚と、そこに隙間なくびっしりしきつまった本を見て、隆也はそうあたりをつける。年季の入った古びた絨毯には、インクらしきものがそこかしこに散っていて、消せない黒い染みを作っている。


「いやさ、ここに人間界の住人が、しかも、『敵』じゃなく『お客さん』としてくるのなんて初めてのことだからな、ちょっと読んで感想を聞かせてもらおうと思ってなあ」


 同じく書斎に転移してきたスライムが、書斎の上に飛び乗って、積まれた紙束のうちの数枚をまとめて隆也へと投げ渡した。


「こ、これって……!!」


 そこに書かれた一枚目を見た瞬間、隆也は目を見開いて驚いてしまった。


 なぜこの世界にこんなものがあるのだろうか。この世界にも本はあるし、物語の書かれた小説もある。絵本だって。


 だが、これはそれとは違う。絵もある、文もある。だが、絵本ではない。


 漫画だったのだ。コマ割りがされ、吹き出しがあり、その他の効果もご丁寧に入っている。


 隆也が元の世界でよく読んでいたものと、まったく同じだった。


「どうだ? お前から見て、人間界で本とかにしたら売れそうとか思う?」


 隆也は、もう一度、書斎にある机の上に鎮座するスライムを見る。


 本当に、彼はいったい、何者なのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る