第297話 腹の中


 ※


「ん、ぐ……!」


 ぴちゃ、という静かな水音で、隆也は失っていた意識を取り戻した。


 暗い空間の中でまず感じたのは、肉や魚が腐ったような匂い。ちょうど夏場に一週間ほど放置した生ごみ並みの強烈さで、思わずむせかえってしまうほどだ。


 直前の記憶はしっかりと残っている。


 管理者を名乗る少女らしき声に邪魔をされ、隆也は島クジラの中に吸い込まれた。


 ということは、ここは島クジラの胃ということだろうか。


 下を触ってみると、ぶにぶにと微妙にやわらかく、ぬめぬめとしている。


 これが、少女の言う罰ゲームというやつなのだろうあ。


「で、罰ゲームだとして一体何をやれって? このままゆっくり消化されるのを待てって?」


 まだ命はあるようだが、それでも状況が厳しいことには変わらない。


 手袋に残っている粘液は、鑑定の結果、島クジラの消化液であることがわかった。おそらくさっきの水音は、おそらくはそれが分泌されたことによるものか。


 ともかく、今は現状把握だ。


 一緒に巻き込まれた荷物などに大きな被害はなく、魔石燈なども問題なく使えるようだし、ポーションなども無事でなによりだった。


 そして、セイウン。今もっとも頼りにしなければならない仮の相棒だが、こちらも消化液の被害などものともせず、暗闇の中でも時折淡い蒼光をきらめかせている。


 現状死を待つしかないよう環境だが、だからといって何もしないというわけにもいなかい。


 出来ることがあるのなら、最後まで出来ることをやる。


 それが、これまでの異世界での冒険で教えられたことだ。


「あのサイズだから確かに内臓もデカいとは思ったけど……」


 ランプを灯した先に広がっていたのは、ダンジョンと言っても差し支えないような世界だった。


 まず、天井が見えない。頑張って魔力を流して魔石燈の明るさを最大にしても、大きな闇が広がっているだけだ。


 前のほうを照らすと、そこには隆也ごとのみ込まれた海底神殿の一部が佇んでいる。


 こちらのほうはすでに消化が進んでいるようで、時折上から落下する粘性のある滴(といっても水風船ぐらいあるが)がかかるたび、じゅう、という音を立てて煙を上げていた。


「俺に付着してるやつと、成分は同じはずだよな……」


 ふと気になって、おそるおそるその液体に触れてみる。


 やはり、同じもので間違いない。石をあっという間にぐらいだから、それだけ強い力をもった消化液なのだろうが、隆也本人やその持ち物には、今のところ大した影響はない。皮膚に付着しているが、わずかにヒリっとする程度で、火傷したりといったこともない。


 物質によって反応する度合いが極端なのだろうか……もしそうなら、隆也が島クジラの栄養になるまでにはまだかなり猶予がある。


「一応、念のため手袋のほうは補強しておくか……素材は、そうだな、アレを使ってみるか」


 隆也が懐から取り出したのは、先程海底神殿の隠し部屋と思しき場所で見つけた黒い切れ端。


 クーラーボックスに入っていたものだが、こちらはゴム素材である。表面はざらざらしていて、粘液で溶けるような様子はない。手袋につけておけば、いいグリップになってくれるだろう。


「…………」


 まさかこっちの世界にきて、元居た世界のものを活用するとは考えてもみなかった。


 手早く手袋にゴム素材を縫い付け、感触を確かめつつ、隆也は思う。


 もしこちらの世界で、あちらの世界のあらゆるものを自分のスキルで再現できたら――。


「……いや、やっぱりそれは反則かな。……というか俺じゃ到底無理だし」


 魔法などが存在しない分、あちらの世界における素材はこれまでの先人たちが築き上げた科学の結晶であり、仮に魔力錬成をするにしても、優秀な科学しゃならともなく、転移前はただの高校生でしかなかった隆也が、それを完全に再現できるはずもない。


 だが、隆也はふと思う。


 もし、そんなことがこの世界で実現することができるのだとしたら。


 その時、隆也は一体どんな存在になっているのだろう。


 魔王となって魔界を治める光哉だったり、六賢者をこの世に生み出した『創造者』だったり――そんな、世界を牛耳ったりできるほどの人間になってしまうのだろうか。


「まあ、とにかく今はここからなんとか抜け出すのが先かな」


 自分が消化されないのであれば、このまま栄養とならずに体外へと脱出できるチャンスがあるのかもしれない。


 そのために、今は探索の時だ。

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