第232話 圧倒
「ああ、そうだ。これはいらないわね」
そう言って、詩折は手にしていた剣を鞘へ納める。
剣以外に、詩折はまともな装備を持っていない。制服の上から羽織るようにローブやマフラーは身に着けているものの、それ以外の、例えば胸当てやガントレットといった防具はない。靴にいたってはローファーのままだ。
「ほうら、丸腰よ。舐めた真似をする私の頭を噛み砕く絶好の機会だとは思わない? ……八」
両手を上げて、詩折は吹雪の向こう側で息をひそめる相手へと宣言するが、しかし、状況は変わらない。
丸腰であっても、詩折の強化魔法は依然効果を発揮したままだ。迂闊には飛び込めないという判断なのだろう。
「まったく、そんなに慎重になるなら、さっさとお仲間を呼べばいいのに。……じゃあ、これでどうかしら?」
「水上さん、まさか」
「大丈夫よ、名上くん。安心して。……六」
「おいおい、せっかくかけた強化魔法、解除してもよかったのかよ?」
隆也の予想通り、どうやら完全な無防備になってしまったようだ。魔法については、程度の差はあれど、発動まで数秒~数十秒、規模が大きいものになればさらに時間を要す。
いくら彼女が強いとはいえ、そこまで舐めた真似ができるほど、力の差があるとは思えないのだが。
「五……まったく、焦らすわね。仕方ない……かくれんぼってそんなに得意じゃないんだけど、私が鬼になって見つけてあげるとしますか。四」
辺りを見回しながら、詩折が降り積もった雪の絨毯の上を一歩踏み出した。
新品同様、汚れや擦り切れ一つないローファーが足跡を刻もうとした、その寸前。
『グオオオッ――!』
均衡が崩れた。
「っ――!?」
詩折と対峙していた神狼が現れたのは、氷牢で守られた隆也たちの後方。ふとした瞬間のわずかな隙をずっと待っていたのか、四人が気づいたとき、すでに鋭い牙と爪が詩折のすぐ背後まで迫っていた。
「……ダメ。一歩、いや、二歩は対応が遅い」
詩折もすぐに気付いて対応しようとするが、四人でもすぐにわかるほど、対応が後手に回っている。
【消え去れ。……一人】
敵の白い爪が詩折の胴体に食い込み、そのまま横薙ぎにされた。
閃いた光が音もなく彼女の体を通り抜けると同時、腰の部分から、詩折の体が二つに分かれる。
同時に、それまで四人を守るべく構築されていた氷の魔法も、煙のようになって霧散してしまった。
「……ダイク」
「訊かなくてもわかるだろ。……見ての通りだ。まだ息はあるようだが」
ダイクの言う通りだった。
「うっ……ぐっ……」
飛び行った彼女の血液その他が雪の世界を汚すなか、上半身だけになった彼女がなんとか地面を這いずっている。
自業自得だが、その姿はあまりにも痛々しい。
この後どうなるかが脳裏によぎり、隆也は彼女から目をそらした。
【侮ったな、娘】
「さ……」
なおも詩折のカウントダウンは続く。どう考えても勝負は決しているというのに、それでも自分の優位は揺るがないとでも言いたいのか。
「ん、」
【無駄だ】
魔法を放とうとかざした右腕が、すぐさま飛ばされる。左手のほうは飛ばされた際の衝撃で複雑に折れ曲がっていて、うまく動かせないようだ。
【もういい。消えろ】
「あ……」
神狼の大きな口が無抵抗状態の詩折の頭をくわえ、そして、一気に噛み砕こうとしたその時、
「――さて、ここで質問です。……二」
もう一人の詩折が、神狼の顎を真上から剣を突き刺していたのだ。
【ッ……!??】
「この『私』は、いったいいつからこの場にいたでしょうか? 一」
「グ、ウウウッ……!」
「ああ、剣でお口を串刺しにしちゃったから、物理的に答えられないか。ごめんなさいね」
詩折の右手の指先に灯った魔力と、そして、おそらく魔法で作り出していたのであろう水上詩折の幻影が、手のひらの上で一つになり、眩いばかりの魔力光となって周囲に迸る。
「それでは答えのほう……っていっても、意味ないか。どうせこれから消えてしまうのだし。跡形もなく、ね」
微笑みを浮かべる詩折の顔を映す金の瞳が、完全に怯えの色の染まっている。
その場から離脱しようにも、いつの間にか発動していた氷牢によって、首から下のほとんどが凍結させられおり、まったく動くことができない。
「ゼロ……それじゃあね、ワンちゃん」
『ウ――』
「あはは、吠えようったって、もう無駄」
「! 皆、目を閉じて伏せろ! 多分やべえのが来る!」
隆也を庇うようにしてダイクが上に覆いかぶさった瞬間、
「宣言通りに思いっきり。『
瞼の裏が焼け付くほどの極光が、隆也たちを、そして大氷高をまるごと覆いつくした。
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