第192話 魔王
「光哉ッ!?」
隆也の眼前で、光哉の胸を『七番目』の星剣が貫いた。
おそらく心臓をまともにやられたはずだ。あの『賭け』の時は、事前の準備によって無事だったが、今回は完全にこちら側が不意を打たれた形だから、避けようがなかった。
吸血鬼、とりわけティルチナの眷属となりほぼ同等の能力を獲得した光哉だから、単純に心臓を貫かれたぐらいで消滅するとは思えないが。
「……ぐっ……完全模倣……ヘルスライム――」
口と胸の傷口から大量の血液を吐き出しつつも、光哉は全身をスライムに模倣し、瞬時に地面へと溶け出して『七番目』の凶刃から逃れる。
「ムムルゥ、光哉を助けるからちょっとだけ時間を稼いで」
「……んっ!」
死なないとはいえ、かなりのダメージを受けたのは間違いない。
能力の発動を阻害しているエルニカの枷は未だ外れていないから、高品質の回復薬の調合はできない。事前に調合して用意していたものはシマズでほとんど使いきっていたから、予備で所持しているのは市販品だ。全快とまではいかない。
「うぐっ、効いたぜ今のは……」
危険を承知で飛び出したムムルゥが『七番目』と交戦する中、光哉はすぐさま隆也のもとへ。出血が止まりつつあるのはさすがだが、しかし、傷の塞がりは悪く、また、光哉も肩で息をしている。
いつものように瞬時の再生ができていない。
「光哉、まさか能力を……」
「ああ、心臓をやられたからな。すぐに元に戻すのは無理だ」
回復の上限値を削られたしまったようだ。となると、たとえ全回復薬等があったとしても、この戦闘ではもう本来の力は発揮できない。
そして、光哉から魔力を捕食した『七番目』は――
【ハはッ、漲ル……これが本来の魔王の魔力とイうヤつか】
「んぎっ、これはもうっ……!」
武器である槍をあっさりと斬り飛ばされ、防御する術を失ったムムルゥが弾き飛ばされた。
魔界庫から調達した魔槍のはずだが、『七番目』にとってみれば、すでに赤子の手をひねるようなものだ。
「もういい、お前らは下がってろ。俺がやる」
「やるって……でも、今のままじゃ、」
「それでも、だ」
そう言って、光哉は隆也の腰のポーチを強引に奪い取って、残っていた回復薬を片っ端に飲み干していく。
メリィが取りにいっているという『アレ』とやらが来るまで持ちこたえるつもりなのだろう。
だが、万全な状態でなくなった今、それを使って果たして渡り合えるかどうか。
「心配すんな。こんぐらいの修羅場、昔に比べりゃ全然大したことねえ。せいぜいトップ10に入るか入らないかってとこだ」
瓶を投げ捨てて、光哉は再び戦闘態勢に入った。
これ以上隆也が言っても、彼はもう止まってくれないだろう。弱っているとはいっても、力ずくで止められるほど隆也は強くない。
であれば、隆也ができることは一つしかない。
「……気を付けて、そして、なんとか凌ぎきって」
こきり、と首を鳴らして、光哉は頷いた。
「――ああ」
光哉の姿が隆也の前から消え、そして再び戦闘が始まった。
【まだやるか。大人しク我二喰われていれば、苦しまずに済むものヲ】
「ちっ……!」
余裕で猛攻をいなす敵、敵にかすり傷一つつけられなくなってしまい、顔を歪ませる光哉。
魔族の魔力を喰らって、自分のものにしてしまうという星剣の恐るべき力は、今や完全に隆也たちを圧倒していた。
「くそっ、まだ……まだ外れてくれないのか……俺が万全なら、もう少し光哉の力になれるかもしれないのに」
シマズで倒れたときはあれほど痛んでいた両腕も、今や欠片の痺れすらも残っていない。
隆也の魔力回路は、ほぼ完治しているはずである。完治すれば拘束具が外れて、まだ打てる小細工が残っているかもしれないのに、何も出来ず、ただ見守っていることしかできないなんて。
まだダメなのか、そして、あの人は――。
「――お待たせしましたご主人様……っと、どうやら交戦中のようですね」
「メリィ!」
と、ここでようやく倉庫番の幽霊メイドが戻ってくる。
おそらく光哉の部屋にあるという『アレ』を持ってきた、ということだろうが、しかし、ほんのわずか間に合わなかった。
武器も、防具もそれがたとえどんなに品質のいいものでも、使い手の現在の能力や調子に大きく依存する。どんなに武器の持つレベルが高くても、使い手のレベルが低かったり、大きく調子を落としていれば意味がない。
「ありがたいけど……でも、もう光哉は――」
「ご心配なく。そのことはすでに承知済み――ですので、あの方にも来ていただきました」
「え?」
そういえば、どこを見ても、メリィが何かを持ってきている様子はない。
ただ、冷静な顔で両手をかるくぶらぶらとさせているだけ。
あの方……つまり、彼女はもう一人助っ人を連れてきたわけだ。
光哉が住む魔王専用の部屋。そこに住むもう一人の住人を。
「――来たよ、コウヤ。助けに来た」
「ああ、やっぱり来ちゃったか……ごめんな、迷惑かけちまって」
「本当にね。初めて会ったときからずっとだから、もう慣れちゃったけど」
【ヌうっ……!?】
とどめを刺し、光哉を完全に自分の体内へと取り込もうと星剣の腕を振り下ろした瞬間、突如割り込んだ大鎌の刃に阻止される。
魔界庫の武器ですらいとも簡単に破壊してきた星剣。『七番目』がいくら力を解放しても、持ち手の少女の髪色と同じく真っ白な刃をしている鎌は、ぴくりともそこから動かなかった。
「あれ……もしかして、あの人って」
以前会った時から幾分成長しているように見える。別人かとも一瞬思ったが、光哉と同じ、あの風貌は間違いない。
【娘……貴様、なにもノ】
「名乗るほどでもないしがない魔族よ……そうね、いつもそこにいる眷属の男の子からは、『チナちゃん』って、そう呼ばれているわ」
血のように紅く染まった瞳を妖しくぎらつかせた吸血鬼の王、真の魔王であるティルチナが、光哉を助けるべく人間界へと降り立っていたのだ。
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