第31話 賢者の森


「ツバキバルさん、あの……ちょっと、待って」


 一人でどんどんと先行するツバキバルの後を、隆也は必死に追いかけて行く。


 基礎体力はついたとはいえ、戦闘向きの素質を有しているであろう彼女と比較すれば、隆也など一般人以下でしかない。


 前を行く姉弟子を見ると、彼女は後ろから追いかけてくる弟弟子おとうとでしのために、脇差で周囲の邪魔になりそうな枝を斬り落としながら軽い足取りで駆けている。


 エヴァーの話によれば、ツバキバルは剣技と鍛冶スキルに特化した素質を持っているようで、『木』についてもちょっと歪な形をしているらしい。


 レベルは、現在Ⅵ相当。さすがに、師匠の弟子だけある。


「……まったく、情けないヤツめ。この程度で音を上げるようじゃ、この先の修行、いつまで経っても終われないぞ」


「そんな、こと、言われても……ところで、一体どこまでいくつもりなんですか?」


 森の奥、とエヴァーは言っていたけれど、実際、どこまで行けばいいのかは、この辺の土地勘にはまだ疎い隆也にはわからない。そもそも賢者の館自体が、森の奥を抜けた先の丘にあるのだが。


「この周辺には素材となる植物はほとんど生えていないからな。私たちはこれから、もう一つの山の方へ行く」


 ツバキバルは地図を用い、目的までの道のりを説明していく。


 賢者の森、と呼ばれるこの辺一体の秘境には、館の立てられている場所とは別に、もう一つ同じような丘があるようで、その場所であれば、今回の回復薬の材料が自生しているとのことだ。


「ここから少し行ったところに洞窟があるから、最低でも今日はそこまで行くぞ。そこで、まずはナイフ用の素材探しと、鍛冶スキルの修行だ」


「あの、ちなみに洞窟まではだいたいどれくらいで……」


「距離にすれば十里とちょっとぐらいだ。短いだろう?」


「どこがですか、どこが」


 簡単に言う彼女だが、一里=約四キロ弱なので、フルマラソン並の距離である。


 彼女も彼女とて、人間離れしている。というか、外見が人間っぽいだけで、もしかしたら、姉弟子もエルフのような何らかの種族なのかもしれない。


 絶対にどこかで給水ポイントを設定しようと、心に決めた隆也だったが。


「――ん?」


 再び目的地へ出発しようとしたところで、小さくとがった耳をぴくりと震わせたツバキバルが立ち止まった。


「ツバキバルさん、どうかし……」


「しっ、静かに」


 何か気になることがあったようだが、隆也にはそれがなんなのか全くわからない。


 遠くから流れる小川のせせらぎと、虫と、木々の間を縫って飛ぶ鳥たちの鳴き声。いつも通りの賢者の森である。


「……少し森が騒がしいな」


「そう、ですかね……僕にはいつも通りにしか」


は、な。私が言っているのは、向こう側のことだ」


 言って、ツバキバルは、ここから離れた場所――つまり、これから自分達が行こうとしている山の方を指差していた。


「あの~……それって、何気にものすごく危なくない……ですかね?」


「かもな。森の魔獣たちがこれだけ騒ぐということは、何かあったという証拠だ。森を荒らしに来た冒険者たちでも来たのか、はたまた……」


 それ以外の、そしてそれ以上の招かれざる客、か。


「とにかく、ここに居てもしょうがない。ひとまずは予定通り行くぞ」


「あの、師匠に事情を説明して中止とかには」


「中止はない。何事にも想定外イレギュラーはつきものだし、それも含めての修行だ。ただ、一応、師匠には手紙でも送っておくとしよう」


 言って、ツバキバルが指笛を鳴らすと、どこからともなく、小さな白い鳩が彼女のもとへと飛んできた。


「この子は文書鳩のイカルガ。今は私の、というか、元々は、私の家族が利用している使い魔のようなものだ。イカルガ、師匠にこの手紙を届けてくれ。場所は……」


「ベイロードにある冒険者ギルド『シーラット』でいいと思います。多分、お師匠様はそこで寝泊まりするでしょうから」


「わかった、『シーラット』だな」


 隆也から送り先を聞いたツバキバルが、手紙をイカルガの足に巻き付けて飛ばした。


 主人からの命を受けた白鳩は、まるで忍者のような動きで真上へと飛翔し、そのまま光のごとき速さで、瞬く間に隆也たちの視界から消えていった。


「何かあれば、師匠が来てくれるさ。私たちは修行のことを考えていればいい。では、行くぞ。日没までには着いておきたいからな」


「はい……」


 一抹の不安を抱え、隆也はツバキバルの背中を追いかけていく。


 何もなければいいけど、という彼のか弱い呟きは、遠くから聞こえてきた獣の遠吠えによって、かき消されてしまったのだった。

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