第30話 修行開始 2


 姉弟子からの理不尽と師匠のセクハラを何とかやり過ごしつつ、一カ月。


 初めのうちは戸惑いばかりだった賢者の館での暮らしだったが、今では、隆也ももうすっかりと順応をしていた。


 台所での固い床での寝泊まりでも今は問題なくぐっすり眠れている。夜中に時折襲来してくる幽霊たちの悪戯には相変わらず慣れないが、空になった鍋を床に落としてビックリさせるぐらいで、特に体に実害はない。


 日常生活は、順調だった。


 では、本来の目的である修行の件は、どうなったかと言うと。


「う~ん……タカヤ~、眠くて体が動かん~、パンツとブラを代わりにつけてくれぇ……」


「またかよ! 下着は枕元に置いてますから、自分でやってください」


「おいタカヤ、朝食はまだか? もう時間から十分も過ぎて……って、貴様はまたしてもっ!?」


「おわっ!? 姉弟子、だから刀を振り回すのはやめてくださいって! 飛ぶっ、マジで首が飛んじゃいますからっ!」


 と、そんなこんなで、この一カ月、屋敷の炊事、掃除、洗濯etcにばかり気を取られていて、まともに進んではいなかったのである。


 ツバキバルから放たれる斬撃から逃げ惑いながら師匠の着替えを済ませ、全員で朝食を摂り、片付けが終わったら掃除と洗濯。それが終わったら昼の準備をし、その後は、生活必需品やその他備品などの買い出しのため、師匠とともに転移魔法で一番近くの街へ——というサイクルだ。


 つまり、今のところパシリしかしていない。


 弟子というか、これでは使用人とか執事である。


「よっ……ほっ、と」


 館の敷地内の近くを流れている小川で洗濯を済ませた隆也は、三人分の洗濯ものを抱えて館への道を戻っていく。


 森の中にある小川から館に戻る道のりはかなりの急斜面だが、隆也を軽快な足取りでそこをひょいひょいと登る。


 広い広い賢者の住処で毎日忙しなく家事に明け暮れていたおかげで、基礎体力自体はかなりついていると彼自身も実感している。


 この世界に来た当初は、痩せっぽちであばら骨が浮き出ていた体にも、うっすらとではあるが筋肉が付き始めていた。


「お~い、タカヤ。ちょっといいか?」


 全員分の衣服や寝床のシーツを干し終え、さて、一息休息でも入れようか、というところでエヴァーから声を掛けられる。


「はい? お師匠様、どうかしましたか?」


「うん、ちょっとお前の体を見せてもらおうと思ってな」


 言って、エヴァーは、服の隙間に手を入れて、隆也の肉体をぺたぺたと触り始める。いつもは痴女のごときいやらしい手つきで隆也を困らせるのだが、腕や肩、そして腹回りと、何かを確認するように触れるのみである。


「ちょっと足りない気もするが……まあ、これでいいだろう」


「あの、一体何を……」


「何って、そんなの修行に決まってるだろ。この一カ月の間で、どの素質も大方レベルⅢとかⅣぐらいまでにはなったみたいだから、そろそろ実地で、と思ってな。おーい、ア……じゃないツバキバル、準備できたか?」


 師匠が呼ぶと、館から装備を整えた姉弟子が顔を出した。いつもの和装の上に外套と、それから、二本の刀を腰に佩いている。普段、隆也に向けて振り回しているのとは違うもののようだ。


「タカヤ、貴様の分だ。中に諸々の道具が入っているから、乱暴に扱うなよ」


 ツバキバルから、隆也が普段から使っていたリュックを受け取ると、ずっしりとした重みが腕にかかる。中を見ると、回復薬調合用のすり鉢や、砥石、そして素材解体用のナイフ、そのほか野営に使うであろう備品など隙間なく詰められていた。


「タカヤ、今からお前にはツバキバルと一緒に森の奥の方に入ってもらい、少しの期間、サバイバル生活を送ってもらうことにする。自分のこれまでのスキルを全部使って、この賢者の森の厳しい環境を生き抜いてみせろ」


「またいきなり無茶言いますね……師匠の命令は絶対だから、そりゃあやりますけど」


 唐突だが、この一カ月でエヴァーのやり口はわかっている。それに、隆也自身がさらに高みに昇るためには、どの道通らなければならない道だ。


「師匠、ところで、この男とはいつまで一緒に行動を共にしなければならないのです? 私としては、あまりこの獣と同じ空気を吸いたいとは思わないのですが」


「うん? そうだな……それじゃあ、今回の終了条件は『両性高等回復薬ダブルハイポーション』の調合と、それから隆也専用の新しい『ナイフ』を作成できるまで、ということにしようか」


「ダブル……えっと確か、調合スキルレベルⅤ相当のヤツでしたっけ」


 予めエヴァーから渡されていた薬の調合書の知識のみだが、一口飲むだけで傷や体力の治療と魔力の回復を同時に行ってくれる薬のはずだ。


 今現在の隆也では作れないので、それを作れるまで経験を積め、ということだろう。


「無論、ナイフについても同じレベルのものを作れ。鍛冶のことはツバキバルのほうが詳しいから、途中で聞くように」


「あ、姉弟子に……」


「なんだ、貴様。不満か?」


「いえ、滅相もございません……」


 おそらく彼女は戦闘のできない隆也の護衛兼、教官としてついてくれるのだろう。これからしばらくは行動を共にするのだから、あまり機嫌を損ねるのは避けておきたい。


「よし、それではさっさと行け。私はその間、ルドラかフェイリアのところにでも居候させてもらうから。終わったら連絡を寄越すように」


「あ、ちょっと……連絡はどうやって」


「それはおいおい使い魔とかそういうの寄越すから。んじゃ、そういうことで~」


 言って、エヴァーは自分一人でベイロードへと転移していった。


 実戦ではあるがあくまで修行なので、普通、弟子の身に何かあった時の連絡手段は確保する必要はあると思うのだが。一応、ギルドから隆也を預かっているわけだし。


 これまでのいきさつを聞いて困惑するルドラ以下シーラットのメンバーの顔が浮かぶようである。


「「ふう……」」


 ふとついた溜息が、ツバキバルとシンクロした。彼女も平静は装っているが、多分彼女も、直前にこのことを言い渡されたはずだから、内心は呆れているだろう。


「……行くか」


「……そうですね」


 ほんの少しだけ団結力が芽生えた二人は、修行目標の達成のため、森の奥へと姿を消していった。

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