第267話 水上詩折の冒険
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どのくらい時間が経っているのかわからないが、どうやらまだ私は生きている――いや、生かされているらしい。
気を失った時点で、私はこのまま二度と目が覚めないだろうことを覚悟した。
この世界にきて、私は色々な人を裏切り、食いものにしていった。奪った人のその後のことは知らないし興味もないが、多分、いいことには絶対になっていないだろう。
自分がこの世界で生きるため、そして自分の目的を果たすため。
結局、それも道半ばだったが。
「――ここは、」
その場所が雷雲船であることはすぐにわかった。室内は真っ暗だが、匂いでわかる。普段ラルフの武器が置いてある倉庫だ。
次に体を動かしてみる。手足はしっかり縛られているが、体に不思議と痛みはない。
「治療されているの……?」
体を動かしてみてわかったが、あれだけ自分を『加工』して、人間か魔獣かわからないような姿になった私の体。
だが、今は触手や背中の羽はきれいさっぱり消えて、もとの水上詩折に戻っているではないか。落とされた手首もなぜか元通りになっている。
どうして。
「お、ようやく起きたかよ」
「……ラルフ」
ランプの光に照らされ現れたのは、仲間……いや、かつて仲間だったラルフ。
彼はあの場にいなかったが、やはりすべてを知っているのだろう。私を見下ろす視線が、氷のように冷たく感じられる。
「私、どのくらい気を失ってたの?」
「ざっと二、三日ってとこだな。どうよ、目覚めは」
「最悪」
「そこそこ元気なようでなによりだぜ」
ラルフからの皮肉に私は小さく舌打ちで返す。
エルニカのもとにいると宗教活動をすることを求められ、それが面倒だったこともあり、光の賢者の弟子である事実を隠して王都からの紹介で雷雲船のメンバーとなったのだが……やはり、この男は苦手だ。
「さっさと殺しなさいよ。私の体まで治療して、どういうつもり?」
「俺もさっさとそうした方がいいと思ったんだがな……まあ、それがタカヤの頼みだったからな」
「……名上君の?」
わからない。
本当に、彼はいったい何を考えているのだろう。
もし私が彼の立場なら、その場ですぐにでも亡き者にするだろう。下手に生かしておけば、またいつ復讐されるかわかったものではないのに。
まさか、まだ私に良心が残っていて反省する余地がわずかでも残っている、だなんて考えているのだろうか。
そうだとしたら、救いようのないお人よしの甘ちゃんだが。
「――ラルフッ! 様子はっ!」
「ああ、今起きた。そっちに連れてく。……さあ、エルフの女王様のお呼びだぜ」
「……ちっ」
忌々しいセルフィアの声。
あの時は名上君との戦いに興奮していたのもあったが、アイツだけはしっかりとやっておくべきだったかもしれない。
口うるさい、説教臭い、外見だけは若々しい化石みたいな価値観と正義観のハイエルフ。
「おら、立て。行くぞ」
「……わかってるわよ」
ラルフに促されるまま、私は彼とともに甲板へと向かう。
とにかく、私にはもうどうすることもできない。
だって、緩く結ばれた紐ですら解くことができないほどに、私は無能になってしまったのだから。
約三日ぶりにデッキへ顔を見せると、そこにはすでにあらかたの顔が揃っている。
リファイブをはじめとしたいつもの顔なじみ。リファイブの手には剣が握られていて、それがかつてエルニカだったものであることはすぐに理解した。
いい気味だ、と私は心の中で笑う。
断言する。師匠が死んで悲しいなんて感情は、一切ない。
余裕の表情で私の下から去っていったくせに、私より先にあっけなくやられて。
ざまあみろだ。そうやって人を道具みたいに扱うから、こんなことになる……まあ、それは私も同じだろうが。
師匠と弟子、結局、似たものどうしだったというわけだ。
そして――。
「こんにちは、名上君。また会えて嬉しいわ」
「うん」
この気持ちは本当だった。
勝負に負けた時点で、もう二度と会えないと思っていたから。
まっすぐに私の見るその表情は好きじゃない。だが、やはり顔を見ると嬉しくなってしまう。
やっぱり私は名上君が好きだ。
能力が奪い返されても、この気持ちは変わらない。ただ、その気持ちがどこかで歪んでしまったのだけが残念だった。
「名上君、私をどうするつもり?」
「……水上さんにはこれから『あるところ』に一人で行ってもらう」
名上君は私にそう告げた。
ちょっとだけ前の世界のときの情けない名上君が顔を出したものの、それはすぐに引っ込んだ。決心のほうはもうついているらしい。
体力回復のために二、三日眠ってしまっていたことを、今更ながら後悔する。
もし、すぐにでも目を覚まして命乞いすればもう少し生き残る芽があったかもしれないのに。
そんな考えが頭をよぎったときに気づいた。やっぱり私は性根がおかしいらしい。
「……場所は私たちで提案させてもらった。お前にはちょうどいい死に場所だろう」
「やっぱり殺す気満々じゃない」
「運が良ければ生き残るさ。だが、お前に果たしてそんな幸運が訪れるかな?」
雷雲船が向かっている場所はわかる。空の上を飛んでいてもなおどんよりとした灰色の空、湿った空気、雲の内部を走り抜ける紫電。
「未開拓地域……またの名を『境界』」
そこは、今、雲の賢者が探索している途中の領域だった。
彼らと一緒に行動を初めてから知ったが、この世界には、私たちの人間界と魔族たちが主に住む魔界、そして、その人間界と魔界を繋ぐという境の世界があるという。
基本、人間界と魔界は次元転移の魔法やたまに発生する次元扉を利用して行き来するのだが、この『境界』を通っても行くことが出来るかもしれないのだという。
出来るかもしれない、のは、出来るかどうかまだわからないからだ。だからこそ未開拓領域と呼ばれている。
理由はもちろん単純で、危険すぎるから。ただそれだけ。
「運が良ければ生き残れる、か。そういうことね」
「これからお前には一人で『境界』内部に行ってもらう。お前も知っての通り、境界には本気の私たちでも尻尾を撒いて逃げ出す魔獣やら天然のトラップなど敵だらけだが……もしかしたら、万に一つの確率で助けがあるかもしれん」
「……もし、それで私が生き残ったら?」
「その時は、俺がまた勝負してあげるよ」
君のものになる、とは言ってくれないらしい。つくづく嫌われたものだ。
「ほら、行けよ。それとも、俺が手伝ってやろうか?」
「冗談きついわ」
ラルフの手によって、手と足の拘束が解かれた。
さっきも確認したが、私はもう無能力者だ。ラルフに背中を押されている間も、なんとか抵抗できないかと思ったが、行動を起こそうと思っても、なぜか上手くいくビジョンが浮かばず、足が竦んでしまったのだ。
思考と行動が、なぜかかみ合わない。やろうと思っている、覚悟はできている。
でも、体がまったく動かない。
まるで見えない何かに体を縛られているみたいに。
「ああ、これが」
縁に足をかけて、下を見下ろしながら、私は呟いた。
これこそ、名上君が、この世界で見えていた景色。
力がなくなって初めて思い知る、怖いという感情。
今なら彼の気持ちがはっきりと理解できる。
だが、もう遅い。
「――名上君。私のこと、忘れないでね」
「忘れたくても忘れられないよ。多分」
「あんなにひどいことしたんだから、それもそうか。……じゃあ、また」
そう言って、私は雷雲船から自らの意思で飛び降りた。
落下の衝撃でやられるなんて間抜けな死に方にならないよう、餞別ということでセルフィアが風の魔法をかけてくれているから、その点は心配ない。
「さて、と」
小さくなっていく馴染みの顔を眺めながら、私は落下後のことについて頭を巡らせていた。いくら『境界』といっても、周囲の大気が猛毒というわけではないし、また、降りた先に運悪く魔獣がいるなんて確率もそうない。
しばらくやり過ごすことは可能だろう。
分の悪い賭けだが、往生際の悪さには自信がある。
もしこれで助かったとしたら、その時こそ、
「名上君を私の――」
次の瞬間、異様な雰囲気が突如として出現したことに気づいた。
【――――】
それは、大きな蛇らしき生物だった。私にはそう表現する頭しか持ち合わせていなかった。
翼はなく、ただ緑色をした胴体と頭、それに大きな白黒の目玉があるだけ。
ウロコも無ければ、牙もない。ディテールの甘い、まるで小さな子供が描いたようなヘビもどきが、そこに存在して大口を開けている。
完全に私を
「――ちょっと、いきなりそれは反則じゃないかしら」
翼も何もないくせに、どうやって未だ遥か上空にいるはずの私を見つけ、そして襲えるのだろう。
「……名上君、ごめ――」
【――――】
ぱっくん!
そんな間の抜けた音が頭に響いたとき、私、水上詩折の冒険はあっさりと終わりを告げた。
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(※ お知らせ)
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