第268話 六賢者のはじまり 1


 雷雲船から詩折が飛び降りたのを見届けてから、一か月が過ぎた。


 境界へ(半強制的)に旅立った詩折からの音沙汰は、当然ない。


 おそらくくたばっているだろうとラルフやセルフィアは言っていたし、隆也もなんとなくそう感じていたが、一応、頭の片隅には常に置いておくようにしている。


 詩折やエルニカがいなくなったことでしばらくは平和に過ごせるだろうが、また、いつ『また会えて嬉しいわ』と目の前に現れるかわからない。


 隆也の中で、水上詩折はそういう存在になってしまった。


 できればもう二度と遭遇したくない。


 ※


 こうして、隆也たちはいつもの日常に戻っていったが、もちろん、全てが以前のまま元通りというわけではない。


 変わったもの、変わることを余儀なくされたもの、いろいろ。


「ただいま」


「お、ミケちゃんだ、お帰り~」


 長くなった尻尾をゆらゆらと揺らしつつシーラットに戻ってきたミケを、受付のミッタが受け入れる。


「うわ、また大きくなったね~。外見だけならもう十分なレディだ」


「ありがとう。お父さんのところでしばらく暮らしてたら、なんかこうなっちゃって」


 あの後、ミケは、エルニカとの戦いで重傷を負った父レオニスを看病するため、大氷高にしばらく残っていた。父親とともに久しぶりに野生に戻り、他の縄張りの神狼の群れや、魔獣たちとやり合ったのが影響したのだろう――精神的にも、肉体的にも大きく成長していた。


 ミケとレオニスが無事だったのは、いつの間にかエルニカの従者に変装していた魔王が、巧みに彼らのことを治療しつつ、うまく茶番を繰り広げてくれたからだ。


 隆也とやけに仲の良い魔王のことをミケは快く思っていなかったが、この点だけは感謝せねばならない。


「ところで、ご主人様は?」


「? タカヤ? ああ、ついさっき海から戻ってきてお客さん? たちと一緒に地下にいるみたい」


「そう。わかった」


 ミッタに手を振って、ミケは隆也のいる地下の作業部屋へ。


 扉の隙間から様子を覗き込むと、そこには真剣な横顔を浮かべるご主人様の姿があった。



「――それじゃあ、いきます」


 隆也の言葉に、周囲にいる仲間たちが頷く。


 アカネが隆也の助手となったため、作業部屋としては少々手狭になったその場所には、隆也やアカネ、ムムルゥといったいつもの面々のほか、リファイブとミリガン、六賢者の中では被害の少なかった二人が集まっている。


 皆で何かを囲んで作業しているのか。


 ミケとしては今すぐにでも隆也に抱き着いてもふもふしてもらいたいのだが、どうやらそんな雰囲気ではないらしい。


 少し大人になり、ミケも空気というやつが読めるようになってきた。


「ご主人様」


「! ああ、ミケ。おかえり」


「うん、ただいま。……何してるの?」


「ようやく素材が集まったから、この人を元に戻そうと思って」


 隆也に手招きされたミケが、中をのぞき込む。


 淡い緑の光を放つ、不思議な手触りの盾。


 これを見るのは初めてのはずだが、指に伝わるほのかに暖かな感触は、ミケもよく覚えている。


「これ、もしかしてエヴァー?」


「あたり。ちょうどいま生命核コイツをくっつけたところ」


 盾のような形をしている板切れの中心に、同じく緑色の宝石が埋め込まれていた。


 初めは一切反応がなかった石だったが、隆也がゆっくりとエヴァーの名を口にした瞬間、まるで命が吹き込まれたように、石に光が取り戻されていき。


「エヴァー、さん……よかった」


「いやいや、当たり前だって。せっかくあの尊大金髪縦ロールこと海の賢者のところにわざわざお願いしにいったんだから、これで復活しなかったら、弟子のタカヤをスカウトして雷雲船に連れ帰っちゃうから」


 よく見ると、ミリガンもリファイブも、服がボロボロである。ところどころ塩っぽい粉末が付着しているが……いったいどこまで冒険していたのだろう。隆也も申し訳なさそうな表情を浮かべている。


 海の賢者だから、深海の奥深くにでも住処にしていたのだろうか。エヴァーを含め、賢者のほとんどが変わり者なのはミケでも知っているから、そう考えると、ありえない話ではない。


【ふむ……私としてはもう少し寝ていたいところだったが、許可なく弟子を連れていかれては溜まったものではないな】


 いつもの声が響き渡る同時、隆也の手によって宝玉と結合した盾が光に包まれ、徐々に人の形へと再構築されていく。


「おかえりなさい、師匠」


「おはよう。今戻ったぞ我が弟子」


「ええ……とりあえず服を着ましょうか」


 そんなわけで、ミケ、アカネ、ムムルゥの三人で隆也の目隠しをしつつ、残りの二人にいつもの魔法衣ローブを着せてもらう。


 エヴァーの裸なら隆也も見慣れたもので、『そこまでしなくても』と抵抗する隆也だったが、女性陣には、復活したエヴァーの肢体はなぜだかいつもより艶やかに見えて、このまま隆也には見せてはならない気がしたのだ。


「まったく、冗談の通じん奴らだ。長く生き過ぎて寛容さが劣化してしまったか」


「は? それが元に戻った途端裸のまま弟子を押し倒そうとした女の言うセリフかっての。もう一回、自動追尾盾に戻るかコノ」


「ま、まあまあ……無事、だから、いいじゃないですか」


 軽口をたたき合いつつ、それぞれの無事を三人は喜んでいる。


 六賢者も、今はもう四人だ。これからのこともあるし、仲良く、とまではいかなくても協力し合あう必要はあるだろう。


「ところで師匠……その、一つ聞きたいことがあるんですけど」


「ああ、わかっている。『主』のことだろう?」


 隆也が頷く。


「詩折のことはともかく、今回のエルニカさんやシャムシールさんのことは、そこがそもそも発端になっているような気がして」


「ああ。それについてはいつか打ち明けようと思っていた。……リファイブ、ミリガン、いいな?」


「ええ」


「いい、ですよ」


 エヴァーの正体が判明したことから、二人の正体も大方割れている。


 彼女たち六賢者は、その『主』によって創り出された存在なのだ。


「少し、いや大分昔の話になるが――まずは私たちの主人のことから話そうか。私たちも知らない遥か遠くの地より来た、不思議な少年の話を」

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