第34話 餓狼の少女
胸の中に飛び込んできた犬耳少女を、隆也はとっさに手を出して受け止めた。
「うわっ、ととと……!」
腕に感じる重みは、全くと言っていいほどになく、隆也でも軽々と抱っこできるほどに軽い。
それもそのはず、人の姿となった少女は、異常なほどにやせ細っていたのだ。
おそらく脂肪と呼べるものはまったくない。まるで骨と皮だけの状態である。狼姿のときは、毛皮に覆われていてわかりにくかったが。
「タカヤ、大丈夫か!?」
少女を受け止めたまま尻餅をついた隆也のもとにすぐさまツバキバルが駆け寄ってきた。風貌はすでにもとの黒髪姿に戻っていて、額の角らしきものも今は奥に引っ込んでいる。
「大丈夫、です。多分この子、途中で力尽きて気を失ったんだと思います」
隆也の腕のなかで、小さな銀髪の少女は浅く呼吸している。体は泥で薄汚れ、目元には濃いくまが出来ている。一目で衰弱していることが見てとれた。
「こんな状態で、私を圧倒したというのか……これでも一応、本気だったんだがな」
脅威がないことを確認したツバキバルが、ひびの入っている刀を鞘に納める。彼女の刀も、おそらく相当時間をかけて鍛錬したものだろうが、それをたった一撃でダメにするとは。
少女の細い体躯のどこに、それが眠っていたのだろう。相当強い種族であることに違いない。
「けほっ……!」
と、その時、少女が隆也の腕の中で身を捩らせ咳き込み、口から未消化の食べ物が吐き出された。
空腹に耐えかねて、近くのキノコ類を手当たり次第に食べてしまったようだが、どうやらそれが最悪の状況を招いてしまったようである。
「グレンベニ、ですかね。人間が食べると、内側から火で炙られるような激痛が走って、数分で死ぬぐらい猛毒があるやつ」
少女の吐しゃ物を見た隆也がすぐさま判断する。山での食料調達にも慣れていたのもあり、森に生えている毒キノコについては『鑑定』技能との合わせ技で、ほぼ全てを見分けることができるようになっていた。
少女の食べたものは、この森に自生しているものの中で、ダントツトップに毒性の高いものだ。それも目立つところにいっぱい生えているから、さらに
「とりあえず、一旦胃の中のものを全部吐き出させるしかないですね。後は、解毒薬を飲ませて、様子を見るしか……」
「おいおい、タカヤ。貴様、まさかコイツの介抱をするつもりなのか?」
ツバキバルが驚いたように隆也の顔を覗き込んだ。
「……やっぱりダメ、ですかね?」
「当たり前だ。弱っている隙に始末してしまうのが良いに決まっている」
彼女の言い分はもっともだ。
今は苦しそうに呻く少女ではあるが、彼女は、飢えた狼としての姿も持っている。
目を覚ませば、また二人に襲いかかることは十分にありうる。いや、むしろ一度は敵意をもって対峙した訳だから、その可能性のほうが高いかもしれない。
だが、それでも隆也は、その少女を庇うようにして抱え、ツバキバルに背を向けた。
「タカヤ、貴様血迷ったか?」
「……そうかも、しれません。いくら女の子の姿をしているとはいえ、魔獣は魔獣です。本来狩るべきものを生かして帰そうとするなんて、これから一人前の冒険者になろうとしている人間のやるべきことじゃない」
でも、と隆也。
「この子を始めてみた時から、なんだか自分と同じ空気を感じたんです。集団からはぐれて独りぼっちになって、どうしようもなくなって……」
風貌からも、狼少女がまだ赤子同然なのは一目瞭然である。であれば、本来なら、近くに親なり群れの仲間がいることが当然のはず。
だが、彼女にはそれがない。
自身が命の危機に陥っているのに誰も助けてくれる存在がいない、または元々はいたが見放されてしまった。
その辛さや寂しさ、悲しさというのは、隆也自身が一番わかっていることだから。
「……俺、やっぱりこの子のこと助けてあげたいです。理屈では見捨てるのがいいことはわかってます。でも、俺は、そんな人間には、絶対になりたくない」
それをしてしまったら、隆也は、彼自身にひどい仕打ちをした『あいつら』と同類になってしまうから。
「もし仮に、私がここで愛想をつかして貴様を見捨てても、か?」
隆也は頷いた。
決意は、ほんの僅かも揺るがない。
「はあ……たった一カ月生活を共にしただけなのに、そういうところだけは師匠に似てきてからに……まったく、少しは姉弟子の苦労を考えてほしいものだな」
頑固な隆也の様子に、ツバキバルはあきらめたように肩をすくめた。
「ツバキバルさん……」
「ほら、何やってる。さっさと荷物を纏めて洞窟を抜けるぞ。ソイツは意外にしぶとそうだが、解毒するなら早いに越したことはない」
燃え燻っている焚火を冷えたスープで消して、ツバキバルは隆也の分の荷物も合わせて背負ってくれた。
どうやら、彼女も隆也に協力してくれるようだ。
なんだかんだで、彼女もお人好しのようである。
「ツバキバルさん……すいません。僕のわがままに付き合ってくれて」
「……アカネ」
頬をほんのりと染めて、姉弟子が言った。
「え?」
「アカネ。私の本当の名前だ」
「? じゃあ、ツバキバルっていうのは」
「それは実家の家名だ。貴様にも確か『ナガミ』という家名があるじゃないか。それと同じじゃないのか?」
「ああ……」
ということは、姉弟子の故郷は、服装もそうだが、かなり元の世界の文化と似通っているということだろう。何らかの繋がりがあったとしても、おかしくはない。
「あの、姉弟子の本名がアカネさんっていうのはわかりましたけど、どうしてそれを教えてくれる気になったんですか?」
「うっ」
「多分、お師匠様は知ってましたよね? それなら初めから名乗ってくれてもよかったのに」
「うっ」
彼女の顔がさらに赤くなった。
「そ、それはだなっ……ああ、もう、いまはそんな話はいいだろ! ほら、さっさと来い、このバカ弟弟子っ」
強引に誤魔化し、アカネは洞窟内へと物凄い速さで駆けていってしまった。
背中がもう豆粒ほどになりつつある。
「よくわからないけど、信用されたってことでいいのかな……?」
姉弟子の不可解な発言と行動に首を傾げつつ、隆也はまだ名も知らぬ小さな少女をおんぶしながら、ゆっくりとその背中を追いかけていった。
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