第33話 イレギュラー 2
鬼気迫る表情で訴えかける姉弟子に、隆也は戸惑った。
自分達のキャンプに突如現れた闖入者に警戒しているであろうことはわかる。
これまであまり見たことのない魔獣であることは間違いない。だが、大きさもそう大したことはないし、敵意もそれほど感じないように見える。
ただ、お腹が空いていそうなだけ。
そう警戒する必要もないと思うのだが、ツバキバルには、その小さな狼に得体の知れない脅威を感じているようだった。
「ゥゥゥゥゥ……」
そう考えている間にも、銀の狼は、鼻をすんすんと鳴らしてこちら側に少しずつにじり寄ってきている。隆也の傍らでは、今も焚火の炎が勢いよく燃え上がっているが、野生動物にしてはそれを警戒したり、怖がったりする素振りもない。
「タカヤ、貴様、何をボーっとしている! 死にたくなければさっさと逃げないか!」
「え? で、でも、この子お腹が空いているだけなんじゃ……なら、ちょっと食べ物を分けてあげれば帰ってくれるかも」
「馬鹿が! 貴様は私がなんでこうなっているのかわからないのか? 私はついさっきまで『ここに魔獣の気配はない』と言っていたのだぞ。にもかかわらず、この狼はここに居る」
「つまり、視界に入るまでその存在に気付かなかった? それぐらい、この
隆也の言葉に、ツバキバルは頷く。視線は、敵から一瞬たりとも外していない。瞬きも、もちろんしていない。
「私とて、師匠のもとでかなりの間修行を積んでいる。剣術の腕だけでいえば、故郷のどの腕自慢と戦っても引けを取らないほどに。だが、おそらくそれでもコイツには歯が立たない」
ツバキバルの剣術のレベルはⅥ以上。それで歯が立たないのであれば、彼女の見立てでは、おそらく師匠ほどの実力がなければ、渡り合えない。
それだけ、目の前の存在が高位ということなのだろう。
「でも、それだけ強い魔獣だったとしたら、凡人以下の僕が逃げ惑ったところで、なんとかなるものなんですか?」
「だから、それはさっき言っただろう。『時間を稼ぐ』、とな」
言って、ツバキバルはあらんかぎりの力で大きく息を吸い込み、吼えた。
「ハアアアアアアアアッ!!」
瞬間、彼女の周囲を取り巻く空気がビリビリと振動した。
味方であるはずの隆也でさえ、その迫力に思わず竦むほど。
後ろで結った赤い髪留めが外れると、艶やかな黒髪が、燃え上がるような赤髪へと変貌した。
「角……?」
額の方に目をやると、ふと、小さく白い突起物のようなものが、出っ張っているのが見える。
やはり、彼女も厳密には人間ではなかったようだ。
「この姿を見せるのは初めてだったな。だが、それを悠長に説明している暇はないようだ」
「ウゥゥゥッ……!!」
自身の本気の力を解放したツバキバルの姿に、相手も、警戒の度合を強めたようだ。
なにかのきっかけで、戦いは動き出す。
「行けっ、タカヤ!」
「っ……はいっ」
ツバキバルからの合図に、隆也は走り出した。彼女を置いていきたくない、一緒にいたいというのが本心だが、いても足手纏いにしかならないので仕方がない。
「ハアッ——!!」
まず仕掛けたのは、ツバキバル。隆也が駆け出した時、相手の注意がわずかに彼のほうへ動いたその一瞬をついた。
隆也のような常人では見ることすらできない斬撃が、小さな狼へと襲う。
「ゥゥッ!!」
「なっ……ぐぅっ!!?」
しかし、遅れて反応したはずの敵は、そんな彼女の全力の斬撃をあっさりと躱してのけ、そして、そのままの勢いで、彼女の懐へと体当たりした。
意表を突かれたツバキバルの顔が歪む。
「こ、のっ……!」
なんとか相手に一太刀入れようと、彼女がもう一本の刀を瞬時に抜いて串刺しにしようとするも、そちらもあっさりと牙で受け止められてしまった。
虚を突かれてもなおそれを上回る反応速度、そして、鋭く光る刃をものともしない、頑丈な牙。
ほんの少しの時間すら稼がせてくれない。
たった一回攻撃を交えただけで、その狼の規格外の強さが現れていた。
「ガアアアッ!」
ツバキバルをなんなくいなして、遥か後方へと突き飛ばした狼が次に見据えた標的は隆也である。
逃げ惑う獲物を狩るのは、おそらく敵の得意としているところ。
「やばい、これじゃあ簡単に追いつかれて……」
「ウウウウッ」
一跳びで、すぐさま隆也の背後に迫った牙が、か弱い獲物の首に噛みつかんと迫る、その時だった。
――ボフンッ!
「えっ!?」
この場には似つかわしくない音と煙が隆也の目の前で起こったかと思うと、隆也の胸に、飛びついてくるものがあった。
「……女、の子?」
小さな犬耳と、銀の毛並みに尻尾。それに人間の少女の肉体。
さきほどまで狼の姿をしていた存在の思わぬ正体に、隆也はより一層混乱することになった。
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