第221話 夜明けの二人 1


 ひとまず本日の『実験』はお開きとなり、隆也たちはレグダに連れられ、宿泊先へと戻る。


 火口へと抜け出た瞬間、山の隙間から現れた朝陽が隆也の瞼に染み込む。シャムシールに付き合っていた時は感じなかったが、結局徹夜である。今更ながらに睡魔が襲ってきた。


「――協力、感謝する。おかげで多少考える材料が増えた」


「そう言ってくれるのなら、こちらとしても嬉しいけど」


 あの後も何回か同様のことを試してみたものの、結局、ツリーペーパーが隆也の指先に反応したのは一回のみ。後は、うんともすんとも反応してくれなかったのである。


 正体不明の謎の音声と、脳裏に刻まれた意味不明の情報の羅列、そしてカウントダウン。


 記憶にはしっかり残っているので、後でメモしておかなければならない。自分にはさっぱりだが、光哉に見せれば何かわかるかもしれない。


 久しぶりに魔界に行かなければならないが……なんだか、本当に世界の裏で暗躍している気が。


 当初は、羽を伸ばすついでにほんの少しでも情報を得られればと思っていたが、思わぬ収穫だった。


 そのおかげで、まったく休暇という感じがしていないのは残念ではあるが。


「でも、レグダさんもよく我慢できますね」


「……なんのことだ?」


「背中のことです。……ずっと気になってたんですが、その痕って、『実験』でできたものですよね? 火傷が、さっきよりも広がってるし」


 素質の加工を試みた隆也の指先がやられたように、その影響は被検体でもあるレグダにも表れていた。


 鮮やかな赤い鱗を侵食するように広がっていたのは、その余波なのだろう。


 そして、彼は何度もそれを受け続けている。強靭なはずの背中だったが、隆也にとっては、今や妙に痛々しく感じていた。


「師匠の弟子である以上、師匠の我儘ぐらいは受け入れてやらなければな。それに、元々早々に死んでいたはずの命だ。もしこれで死んでも、未練はない」


「そう、ですか」


 詳しく訊く気にはなれなかった。隆也ですら皆には打ち明けられない秘密ばかりなのだ。自分だけ人の腹を探るのはアンフェアというものである。

 

 師匠も師匠なら、弟子も弟子だ。


 その後は互いに無言で、火山と森、二人の賢者の弟子は、しばしの間夜明けの空を飛翔する。怪しまれないよう、ムムルゥとアカネが寝室に戻るのを待っているのだ。


「……気持ちいい空気」


 すう、と一つ深呼吸をして、隆也はそう呟いた。


 相変わらず火山からの吹き出す水蒸気はすごいが、それ以外は雲一つない空気である。


 ベイロードの海風が運ぶ潮の香りや、朝露を纏った草の匂いが立ち込める賢者の森のそれも悪くないが、火山からのガスも届かないような空高い場所で吸い込む、混じりっけなしの新鮮な空気は格別なものがある。


「いい世界ですね、ここは」


「それは、魔界に較べればな。……まあ、私も嫌いではない」


「……あの、」


「どうした?」


「あ、いえ」


 もう少し、レグダと話したい隆也がいた。


 それぞれ六賢者を師匠にもつ親近感も手伝ったのかもしれないが、単純にもっと仲良くできればと思った。話しかたや態度は要改善かもしれないが、きっと悪い……ひと、ではない。


「そろそろいいはずだ。降りるぞ」


「……ええ」


 しかし、結局言い出すことができないまま、一時の気の高まりとリンクするようにして隆也とレグダは高度を下げていく。


 降りた場所は、火燦亭の敷地内の離れにある温泉のそばだった。もちろん、姿を見られないよう、レグダの周囲には魔法がかかっている。蜃気楼を発生させて、幻を見せる技らしい。


「送ってもらってありがとうございます」


「師匠の命令に従ったまでだ」


「ですよね。……では、俺はこれで」


 まだ皆が起きる時間には遠いが、早めに戻ったほうがいいだろう。


「……だが、」


「え?」


 振り返ると、そこには半蜥蜴人に戻った少年のレグダがいた。


「師匠がまたお前のことを必要としてるのなら、迎えにきてやろう。……こんなつまらん半魔獣の話を聞きたいというのなら、その時にでも話してやる」


「……レグダさん」


「体の気遣い、感謝する。……お前の回復薬、今までで一番効いた。今度があるなら、また何本か持ってきてくれ」


 そう言って、レグダは山の向こうへと飛び立っていった。


「とりあえず、今日はこんなもんでいいかな」


 師匠たちの関係と、弟子の関係がリンクしている必要はない。レグダとも、それからアルエーテルとも、良好な関係でいられればそれに越したことはないのだから。


 あと、そろそろ睡魔が限界に近く、両瞼が過去最高レベルで重い。そばの温泉で夜中からの汗を流すという選択もあるが、とにかく今は部屋に戻りたい。


 いつ寝落ちしてもおかしくない状態で、隆也が脱衣場のほうへ行こうとした時、


「――よう、隆也。こんなとこにいたか、探したぞ」


「ロアー……?」


 現れたのは、昨日の夜からぐっすりと眠っているはずのロアーだった。


「朝風呂でちょっとさっぱりしてからと思ったが、意外に早かったな」


「その、どうして」

 

「少しだけ、俺もこっそりかけたからな。タカヤ、お前がアカネちゃんとかに渡してた調味料のことだ。お願いしてもくれなかったから、結局こっそりともらってしまったが……まさか、こんなことになるとはな」


 それでこの時間に目が覚めたということか。しかし、少量でもくすねられたことをアカネに気取られなかったあたり、ロアーも相当な手癖の持ち主である。


 だが、彼にそんな素質はなかったような気がするのだが。


「タカヤ、皆が起きる前にちょっとだけいいか? ……お前とは一回、一対一サシで話したかったんだ」

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