第55話 アゲイン 2


 × × ×


「あ、れ……?」


 ふと気が付くと、隆也は教室にいた。


 教卓の一番最前列、このクラスになってから、ずっと変わらない隆也の席。


「おい委員長、ちゃっちゃと班決め終わらせろよ。オレ、もう部活行かなきゃなんねえんだけど」


 隆也の後ろで、そんな声が聞こえる。誰が言ったかは知らない。運動部の奴だろうが、興味はない。


 前を見ると、黒板の前には、A~Fまで六つの班があり、クラスメイトの名前が埋まっていた。スキー合宿に決まった、修学旅行の班決め。


 三十七人の名前がすべて埋まっているなかで、隆也一人の名前がない。


『名上、好きなところに名前を書いていいから』


 教卓の前で困ったような顔を浮かべている委員長が言い、チョークを渡してくる。名前を書け、と言っている。


 だが、隆也はチョークを見つめたまま、微動だにしない。いや、正確にはできない。


 隆也がAのほうへ一歩踏み出そうとすると、後ろから『うげっ』という声がする。Fのほうへ向かおうとすると『いや~ッ』という女子のふざけた悲鳴が聞こえる。


「もうさ、名上だけGでいいんじゃね? 一人班、ってやつ。そっちのが、こいつも俺達もヘンに気ぃ使わなくていいしさ~」


 その一言に、クラスが和やかな笑いに包まれる。『そうそれ!』、『いいアイデア!』……なにがだ。馬鹿な奴らめ。


 だが、隆也はそう口に出来ない。


 ただ、控えめにクラスの皆のほうへ視線を向けて、へへ、と卑屈に笑うだけ。


「……なんだ、これ」


 これは夢だ。頭の奥に封印しようとしたはずの、隆也の忌まわしい元世界での記憶。


 なぜ、こんな夢を自分は見ているのだろう。もう、こんなくだらない連中とは縁を切ったはずなのに。


「ああ、そうか」


 徐々に覚醒しつつある意識の中で、隆也は理解した。


「俺、また戻っちゃうんだな……振り出しに」


 × × ×


「うっ……!」


 乱暴に地面に投げつけられた衝撃で、隆也は目を覚ました。


 ここは、どこだ。


 わずかに開いた薄ぼんやりとした視界を頼りに、隆也は何とか現状を把握しようとする。


 突然、目の前に現れた明人に、隆也は気絶させられた上、どこかへと連れ去られた。体をなんとか起こそうとするが、まだ全身に痺れが残っているせいで、自身の体を上手く操ることができない。


「無駄な足掻きはやめろ。手加減はしたとはいえ、俺の雷魔法はもうレベルⅦ相当まで成長している。まともに体を動かせるまでには、あと最低三日ぐらいはかかるはずだ」


「春川……」


 やはり、明人達も遅ればせながら、素質を見る『紙』とそれが写し出す『木』のことを完全に把握しているようだ。でなければレベルⅦなんて単語、彼の口から出るはずもない。


「ここは……」


「ここは俺達のアジトだよ。先に進もうにも、やはりお金は必要だからね。今はその資金を貯めるために、せっせと活動しているってわけさ」


 隆也は、自身の体の中で、唯一まともに動く首と眼球を必死に動かした。ランプに灯した明かりだけが頼りの、ジメジメとした暗く狭い空間。そして、わずかに香る土のにおい。


 どうやらここは洞窟のようだ。賢者の森にある洞窟で暮らした経験から、どうやらかなり構造上入り組んでいるらしいことがわかる。


 天然の洞窟を拠点とする場合、地形さえ把握してしまえば、外からの脅威に対して守りやすい。罠を仕掛けるなり、待ち伏せして不意打ちをするなり。


 だが、なぜ彼らがこんな場所を金稼ぎの拠点する必要があるのか。稼ぐなら、どこかの街に留まるなり、もっと環境のいい場所でキャンプを張るなりすればいいはずなのに。


 そうする理由なんて、一つしかない。


「春川、お前らまさか、略奪行為を」


「ははっ、察しがいいじゃないか名上」


 隆也の言葉に、明人はまるで小悪党のような薄ら笑いを浮かべて答えた。


「でもさ、こっちの世界の奴らも悪いよ。俺達が何も知らないことをいいことにカモしてさ……俺達は、ただ奪われたものを返してもらっているだけだよ」


 おそらく、獲物から出てきたレア素材をくすねられたのだろう、と隆也はすぐに気付いた。知識がある現地人ならともなく、彼らは異世界から来た無知なお客さんでしかない。


 解体屋の彼らにとっては、絶好の肥え太ったカモだったはずだ。


「食べ物には困らなかったが、換金できるレア素材がくすねられていたことで、当初あった旅の資金はすぐに底をついた。街の宿屋にも満足に泊まれないし、自分達の命を守るための武具や、薬を買うことすらも」


「だからって、人から奪うのか。春川、お前お得意の『仕方ない』を自分に言い聞かせて」


「いけないか?」


 この数カ月で彼に何があったのか。それは、隆也には知る由もないし、興味もない。


 だが、今の明人の様子は、明らかに以前の『委員長』ではない。


 異世界での生活で、肉体的にも精神的にも摩耗してしまっているのは明らかだった。


「……春川、俺をいったいどうするつもりなんだ?」


「さっきも『お願い』した通りだよ。名上、俺達は再び君を仲間に迎え入れる。君の素質を、クラスの皆のために活かしてほしいんだ」


「断る」


 隆也は強い意志をもって即答した。


 麻痺して体の自由を奪われても、隆也の決意を揺るがすことなど出来ない。


「俺はもう海鼠シーラットの一員だ。お前らみたいな盗賊まがいに堕ちたクズどもと一緒になんかするな」


「……へえ、随分と威勢のいいことを言うようになったじゃないか。だが、その威勢、いつまで張り続けることができるかな? おい、末次。出番だぞ」


 言って、明人がもう一人のクラスメイトの名を呼ぶと、隆也がこの世で最も会いたくない人物が顔を出した。


「よう、久しぶりだな名上クンよ。ちょっと会わない間に、随分生意気になったじゃねえか。え?」


「末、次……!」


「お、いいねえ。その反抗的な目。そうじゃなきゃ、イジメがいってもんがねえ。なあ、もそうは思わねえかよ?」


「なっ、なんでそれを……!!」


 下卑た笑みを浮かべた末次が持っていたのは、いつの間にか隆也の腰の鞘から抜き取られていた『シロガネ』。


「さあて、始めようか名上クン。楽しい楽しい『お仕置き』の時間をよお??」


「っ……!?」


 未だ麻痺が抜けない体で、隆也はエヴァーからもらった護符タリスマンを必死に握りしめて歯を食いしばる。


 彼にとっての本当の試練が、これから始まろうとしている。

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