第245話 転落


「……どうしてエルニカさんがこんなことを」


「ふふ。さて、どうしてでしょうねえ」


「水上さん……詩折はどうした」


「……さあ、どうでしょうかあ?」


 すべてを白状するつもりはないらしいが、しかし、否定しないところを見ると、彼女が一連の出来事を仕組んだことは間違いないようだ。


 初めて見たときと同じようにエルニカは佇んでいるが、初めて感じたようなふわふわおっとりした印象はなく、その笑みの裏に、光の賢者とはとてもいいがたいような闇が隠れているような気がしてならない。


「先ほども少し言わせてもらいましたけどお、まだここから出られる訳にはいかないんですよねえ。特に、タカヤくん、あなたには、ねえ」


「ご主人さまに、何の用」


 エルニカからの視線を庇うようにして、ミケが隆也の前に出る。光の魔法は、攻撃から回復、補助に幻惑まで、他の属性以上に応用が利く。


「あなたには関係のない話よお、ちいさな神狼の娘さん。ご主人様は、これからある人と大事な話をしなきゃいけないから、それまであなたは私と一緒に――」


 言い終わる前に、エルニカの体が肩から腰にかけて袈裟懸けに切り裂かれた。レオニスが先制したのだ。


「――姿を偽り、私の妻ファルメを侮辱した罪は重いぞ。光の賢者」


「あら、レオニスさんったら、ひどい。いたい、いたいわあ。うふふ」


 再びファルメの姿へと形を変えたエルニカが、口元から血を流し、わざと痛がっている素振りを見せる。


 あれが彼女のいう『遊び』なのだろうか……だとすれば、あまりにもたちが悪い。


「どうして私がファルメさんのことを知っているか……そんな風に聞きたい瞳をしていらっしゃいますねえ?」


「いらん。私が求めるのは、ただ貴様の頭蓋を噛み砕くことのみ」


「まあまあ、そんなこと言わずにい……といっても、答えは単純。彼女は私と同じで、神聖国の騎士団所属でしたから、再現くらいは問題なかったわけです。もちろん、お墓の中も少しのぞかせてもらいましたけどお」


「外道め……やはり、生かしてはおけんか」


「うふふ。では、やってみてくださいなあ。……おいでえ、私の『つるぎ』」


 即座に傷の修復行うと、エルニカは、両手に発生させて魔法陣の中に手を突っ込み、光の剣を抜く。賢者というくらいだから魔法主体で戦うかと思ったが、意外とそういうわけでもないらしい。


 二刀流なので比較は難しいが、構えのほうも、どことなく誰かに見覚えがあるような……。


「タカヤ、ここは私が引き受ける。その隙に娘とともに逃げろ」


 それがもっとも最適な選択肢だろう。ミケとレオニスで組んだところで、相手は正真正銘の光の賢者だ。ファルメに化けていた時のようなお遊びではないだろうし、退けられる保証などどこにもない。


「案ずるな。頃合いを見て私も退く……では、行け!」


「はいっ……ミケ!」


「うんっ! みんな、捕まって!」


 隆也たちが各々しがみついたのを確認してから、ミケは境界の外を目指して疾走を開始する。四人を半ば強引に引きずる形だが、この場から逃れるための辛抱だ。


 同時に、咆哮をあげたレオニスがエルニカへと飛びかかる。


「おっと、いきなり危ないですねえ」


「むっ……!」


 常人では捕捉できない速さの突進繰り出されたレオニスの爪だが、エルニカは、それを華麗に、踊りを舞うかのような動きで受け止め、勢いを殺す。


 目の前のレオニスなどまるで敵ではない……そう言いたげに、エルニカの瞳はずっと隆也のみを見据え続けている。


「あはは、鬼ごっこなんてえ、とっても久しぶりだわあ! なんだか昔を思い出すみたあい!」


 その場でくるりと回転し、左の剣の腹でレオニスを打ち据え、後方へと吹き飛ばした。補助魔法でも付与してるのだろうか、魔法使いとは到底思えないほどの膂力である。


「この……やらせんッ!」


 毛を逆立て闘気を迸らせたレオニスが、すぐさま体勢を立て直し、なんとか時間を稼ぐためにエルニカへ食らいつこうとするが、


「――貴様の相手は私だ、『元』神狼族の群れの主レオニス」


「っ、援軍だと……!?」

 

 転移魔法によってエルニカのそばに姿を現した一人の騎士の大剣が、レオニスを邪魔する。


 全身を白銀の鎧で身を固めた金髪の男――エルニカの味方か。


「あら、ロイド。持ち場を離れて平気なのお?」


「『籠手』は置いておりますので、問題ないかと。……虫の駆除はお任せください」


「そう? じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしらあ」


 ロイドと呼ばれた男の正体は不明だが、親しげに話しているようだから、気の置けない仲なのは間違いないだろう。エルニカの弟子という可能性もある。


「ほらあ、がんばってえ? そんなんじゃあすぐに捕まえちゃうよお?」


 ロイドにレオニスを任せると、エルニカは隆也のほうへ間合いを詰めるべく跳躍。右の剣を振るう。


 隆也からエルニカまではまだ目測で10メートルほど。どう考えても届くはずのない距離だが、


「ふふ、届かないと思ったあ? ほら、いっておいでえ――!」


「!? 剣が伸びて――」


 魔力で形成された剣だからというのもあるのだろう――振り下ろされたと同時にぐんぐんと刀身を伸ばした剣の切っ先が、長い竿のように大きくしなりつつ、ミケの足元数センチというところに突き刺さった。


 音もなく降り積もる雪や氷を蒸発させ、土を塵にするように切り裂く光の刃――隆也が持てる能力を最大限発揮すれば、それに対抗できうる装備もできただろう。


「んぐ……くそ、やっぱり無理か……!」


 しかし、こんな状況でも隆也の能力は沈黙したまま。


 いったい、隆也の身に何が起こっているのか。


 無茶をし過ぎたせいで魔力回路が壊れたか……いや、それだと隆也は今もその痛みに耐えきれず気絶しているはずから、その可能性は薄い。


(俺自身に問題がないとしたら、後はもう誰かにとら――)


 瞬間、隆也の全身をぞくりとした悪寒が走った。


 転移したクラスメイトたち、追放された隆也、同じく転移者である光哉、異能の存在、いまだ行方知らずの女子生徒たち。


 ……そして、水上詩折。


(まさかそんな……いや、でもそうじゃないと説明がつかない)


 もし隆也の想像通りだとして、いつ、どうやって『それ』は発動したのだろう。


 能力が使えなくなったのに気づいたのは、詩折と離れ離れになり、レオニスの住処で目を覚ました後だ。ファルメ(の姿をしたエルニカ)と戦っている時、詩折にそんな素振りはなかった。


 どうやって、対象に触れることなく『才能』を。


「エルニカさん、もしかして――」


「行ってらっしゃい、タカヤくん。……ああ、心配しないで。死なないように細工はしてあるし、多分、すぐにシオリちゃんも迎えに来てくれるだろうからあ」


「!? う、わっ――」


 エルニカは意地悪そうに微笑んで答えて剣を振るうと、突如、隆也たちの足元が音を立てて崩れる。雪に深く覆われたせいで気づかなかったが、ちょうど大きなクレバスの中心に立っていたらしい。


「ご主人さま……ううっ!」


 助けを求めるべく隆也が手を伸ばすも、ミケには届かない。

 

 天使の羽で浮遊したエルニカが、救出に向かえないよう邪魔をしているのだ。


「ご主人さま、メイリール、ダイク、ロアー!」


「ミケっ……くっそおおおっ!」


 ミケの声がどんどん遠くなるなか、隆也たち四人は、もがくことすら叶わず、大きく口を開けた氷山の底へと転落していった。

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