第285話 深海の逃走劇


「ちっ……タカヤ、ちょっと我慢してろ!」


「え――うわっ!?」


 謎の魔獣の姿を認識した瞬間、ラルフがすぐさま隆也を捕まえてその場から離脱した直後、


【―――・・・】


 魔獣の体から青白い電流が迸り、隆也の全身をわずかに痺れさせる。とっさにラルフが距離をとっていなければ、まともに喰らって危ないことになっていただろう。


「ラルフ、あれ――」


「ああ。なかなかのヤツだ。完璧に気配を消してやがったが……どこの海域のヤツだ?」


 隆也を背中に張り付かせたまま、ラルフが黄金色の剣を引き抜く。サイズで言えばデビルクラーケンほどの半分ぐらいだが、しかし、強さは先ほどの比ではないのだろう、ラルフの舌打ちがそれを物語っていた。


 雷撃を放った魔獣は、追撃をせずじっと隆也たち二人の様子を観察している。不気味なほどに静かだ。


 逃げるという選択肢が隆也の脳裏によぎるが、ここは深海だ。あちら側に圧倒的な地の利がある。


 つまり、ここで戦うしかないということだが――。


「タカヤ、残りのポーションはいくつある?」


「さっき1本使ったから、残り9本かな。……もしかして、キツイ感じ?」


「推測だけどな。倒せないことはない、と思うが。境界にいる奴らに雰囲気が似ててな」


「なるほど……」


 つまりラルフの見立てでギリギリの戦いということだ。もしかしたら、本当に境界付近の海域からこちらにきた魔獣なのかもしれない。


【――・――・・――】


 体をうねらせて、大蛇は一定の間合いと保ちつつ、隆也たちの周囲をゆっくりと泳ぎ始める。


 時折、体内で淡く青く発光しているが、そこが電流を発生させる器官ということで間違いなさそうだ。体内構造は不明だが、目の付近、お腹、尻尾側と、複数光る部分が存在している。


 電撃で弱らせて、それから鋭い牙と毒で完全に体の自由を奪い、そうして獲物をのみ込む。黒い鱗も強靭そうだし、非常に厄介な相手だ。


「こっちから仕掛けるか……タカヤ、いつものようにしがみついて目ぇ瞑っとけよ」


「わかった。……ラルフ、任せたよ」


「おう!」


 直後、隆也たちの周囲が黄金色の淡い光に包まれる。クラーケンとの戦いでは見られなかった、ラルフの本気の戦闘モード。


【――・】

 

 それを察知した蛇も、すぐさまその場に制止して、体を発光させながら渦を巻くような形で頭部をこちらへと向ける。迎え撃つ体勢のようだ。


「……」


【――】


 向かい合ったまま制止し、数秒ほど互いに見つめ合う。地上からの光も音もなにも届かない深海で、静かに命のやり取りが始まろうとしていた。


「――ッ!」


 先に仕掛けたのは、隆也たち。


 相手がカウンターを待っているのはわかりきっていたが、こちらも永遠に海中にいるわけにはいかない。


 つまりは先手必勝――


【・――】


 待っていたとばかりに、蛇が青い雷撃を迸らせて隆也たちを迎え撃つ。


 空気の膜で覆われてはいるものの、完全に電撃を遮断できるわけでもない。わずかに動きが鈍れば、あとは、巻き付くなり牙で噛みついたりするなりすればいいという考えか。


「――っらあっ!」


 気合とともに、ヘビの頭部目掛けて構えられたラルフの剣が一際強い輝きを放つ。


 思わず目を覆いたくなるほどの強烈な光――だが、蛇がそれに怯む様子はない。巧みに体を捻らせて、首付近を狙ったラルフの突きを紙一重で回避した。


「っ、マジか……!」


 威力は絶大だが、躱されれば大きな隙が出来る一撃――蛇の瞳が、ラルフの首筋を捉えている。


【―――】


 よく研がれたナイフのように鋭利な牙を獲物に突き立てんと、大口を開けて蛇が迫る。


 おそらく蛇のほうは勝利を確信しただろう。後ろに明らかなお荷物を抱えた状態で、その上、満足に力を発揮できない海中。しかし、


「……なあんて、な」


【―・!?】


 しかし、次に蛇が見た景色は、首をやられて深海に浮かぶ人間たちの無様な姿ではなく、闇に飲まれたような真っ黒な世界だった。


【――――??】

 

 蛇は慌てた様子を見せる。おかしい、直前まで見えていたはずの獲物がなぜいないのか、いや、そもそもなぜいきなり視界が暗闇に包まれたのか、深海でも自分の目はすべてを見通せるはずなのに――と。


「戦えなくてすまんが、こっちは依頼主を抱えてるもんでな! ここは尻尾まいて逃げさせてもらうぜ~!」


 蛇に向かってそう叫んだラルフが手にもっていたのは、野球ボールほどの黒い袋――そう、先程のデビルクラーケンとの戦闘で採取していた墨袋。


 ラルフが過剰に剣を発光させたのは、墨を蛇の眼球に直接打ち込むためのフェイク――強い光は、あたりを明るく照らす一方で、より強い影を生み出す。蛇が剣の切っ先に気をとられた隙をついて、直前に隆也から墨袋を渡されたラルフがやってくれたというわけだ。


 蛇はラルフの様子を見て『腹をくくった』のだと勘違いしたのだろうが、隆也たちは初めから逃げることしか考えていなかったのである。


「なんとか上手くいったみたいだね」


「ああ。あれでも目くらましは数秒ってとこだろうが、そんだけあれば距離を離すには十分だ。移動に全力を割けば、多分アイツでも追い付けない」


 デビルクラーケンの墨によって海に突如発生した黒い霧を抜けて、ラルフたちはどんどんと海面目掛けて上昇を続ける。


 このまま追いかけてくることも予想されるが、その場合は、海上で万全の状態になったラルフが逆に迎え撃つだけの話だ。


 アクシデントが発生したせいでアンブレイカブルの採取は叶わなかったものの、状況を確認できていれば、後で対策を打つこともできるだろう。


 深海を抜け、周囲の景色がいつもの青い海に戻っていく。


 海面まで残り百メートル、五十メートル。下を見ても、大蛇の黒い影は姿形も見えない。


(よし、なんとか逃げ切ることができた――)


 そう、隆也が安堵の息をつこうとした瞬間、


【――――・・・】


 再び、隆也たちの目の前に、黒い影が姿を現した。


(なんで……!?)


 おかしい。いくら気配を消せるとはいえ、一度姿を認識したラルフがあの大蛇のことを見落とすとは到底思えない。しかも、このヘビが現れたのは、隆也たちの真横だ。先に上昇して回り込めるはずは――。


「ということは、二匹目――!?」


【ガッ―――!】


 ゴボゴボと空気を吐き出して、黒の大蛇が隆也たちへと襲いかかった。先ほどの相手と較べると半分ほどの大きさだが、それでも脅威には変わらない。


「連携してたってか!? くそ、魔獣のくせして知恵が回る!」


 ラルフもさすがにそこまでは予期していなかったようで、剣をすぐさま構えるものの、完全に相手に一歩先をいかれている。


 急所をやられる――ラルフも、そして隆也ですらそう直感した瞬間、


 ――大いなる海よ。


【――??!】


「っ、うおっ、なんだなんだ!?」


「ちょっ――!」


 そんな言葉とともに、突如、それまで穏やかだったはずの海に、竜巻のような激しい渦が巻き起こり、大蛇、ラルフ、隆也と、大きな海の流れにされるがまま、散り散りになってしまう。


「?! 今度はいったいなに――」


「――わたくしですわよ、『森』の弟子」


「! あなたは――」


 空気の層がなくなり、海中に放り出された隆也を受け止めたのは、長い金髪をなびかせ、海にはどう考えても場違いなドレスローブを着た美貌の女性。

 

 彼女の名はディーネ。四人となった六賢者最後の一人、海の平和を司る『海』の賢者だった。

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