第36話 ご主人様


 ものの数分で戻ってきたアカネから注文の品をすべて受け取った隆也は、すぐさま少女の看病に取り掛かった。


 隆也は素人なので、医学的知識や技術、もしくは治療魔法といった類はない。なので、基本的には、本人の生命力に頼るところが大きい。


 実際、人間ならものの数分で危険な状態に陥るグレンベニの毒に、この小さな体躯はずっと耐え忍んでいるのだ。


 彼女も頑張っている、だから、隆也自身も、頑張らなければならない。


「よし、っと……解毒薬の調合なんて初めて、だけど」


 持ってきていた薬の調合書を元に、材料を混ぜ合わせる。素質スキルの有無や、素質の潜在能力レベルによって、自身が調合可能な解毒薬の種類は異なるが、強力なキノコ毒の中毒症状を緩和するぐらいのレベルに、隆也は問題なく達していたらしい。


 本人としては、ただ日々を必死に生きていただけだったが、こうなることを初めから師匠が狙っていたとするなら、有能だと言うほかない。


 今はどうせ、ギルドの社長室のソファあたりで茶でもすすりながら踏ん反りかえっているのだろうけど。


「ほら、薬、出来たよ。これを飲めばちょっとはマシになるだろうから」


「うぅ、あぅ……」


 木さじを口へと近づけ、彼女に薬を飲ませようとする。しかし、衰弱が進んでいるようで、思うように口を動かしてくれない。


 口の中に入れるだけでは薬は効かない。強引にでも喉の奥に入れて、胃の中におさめさせなければ。


「う~ん、ということは、アレをするしかないんだろうけど……」


 隆也はきょろきょろと周囲を見回した。アカネには、翌日に備えてすでに寝てもらっているので、静かにやればばれないだろう。


 それに、今は緊急事態、非常時である。


 もしアカネに咎められても、なんとでも言い訳はできる。


 もしかしたら、刀を振り回さるかもしれないけれど。


 と、いうことで。


「んぐっ……うへぇ、ナニコレ苦い……!」


 相手に飲ませるべき薬を、隆也は自身の口に含んだ。

 

 いつもの食欲増進を目的とした調味料類とは違い、今回は本当の薬である。


 材料のなかには、食用には圧倒的に向かないものが数多い。ドブドクダミ、クサヤバナ、オエツソウ……調合書に書かれている材料の名前だが、ちょっと表現がストレートすぎやしないだろうか。効果は抜群だが。


「こんな男の唇なんていやだろうけど、ちょっとの間だけ我慢してくれよ……」


 言って、隆也は、口移しの要領で、少女の喉の奥に薬を流し込んだ。


 薬が端から溢れないよう、しっかりと口づけし、舌を目いっぱい伸ばして、喉の奥へと薬剤を誘導していく。

 

 もしここで噛まれたりでもしたら舌をやられてジエンドだが、少女はゆっくりとではあるけれど、しかし確実に、隆也の唾液まじりの解毒薬を受け入れてくれた。

 

 こくり、こくりと、喉が動いているのを、隆也は確認する。


 後は、しばらく時間をおいて、薬がきちんとその役目を果たしてくれるよう祈るばかりである。


「頑張れ……」


 そう言って、隆也は彼女が不安にならないよう、その小さな体を包み込むようしてやさしく抱き寄せた。


 × × ×


 そうして、修行第一日目の長い夜が明けた。


 結論から言うと、処置は無事うまくいった。隆也の調合した解毒薬がきっちりと効力を発揮してくれたおかげで、少女の容態は落ち着き、快方に向かっていることを確認してから、隆也はそのまま気を失うようにして眠りこけたのだった。


「う、うん……」


 木々の隙間よりこぼれる日光の光に気付き、隆也は目を覚ました。どうやら、二、三時間ほど眠りに落ちてしまっていたらしい。


 一応、目を覚ましてはいるが、意識は未だ曖昧な状態である。徹夜で看病していたのもあるし、昨日はまともに夕食もとれていない。

 

「それに、なんかやけに息苦しいような……」


 朝の空気を肺のなかに取り込もうとするも、時折、口をなにかに塞がれているような感覚になって、若干息苦しい。


 やけに湿った感触と、ぴちゃぴちゃと聞こえる水音。


「ごしゅじんさま……ごしゅじんさま……」


「え、ご主、人……?」


 聞き覚えのあるような、ないような声に、隆也の意識が徐々に現実へと戻っていく。


 すると、覚醒した隆也のすぐ眼前に、黄金に輝く瞳をもった、可憐な犬耳少女の顔があった。


「おきた、ごしゅじんさま」


「あれ、君はもしかして……むぐっ」


 そうして、再度、少女に口を塞がれたところで隆也は気付いた。


 どうやら、しばらくの間、意識を取り戻した少女に、キスをされていたことに。


 そして、さらに。


「おはよう、タカヤ。昨日はご苦労だったな、食材と水をとってきたから、すぐ朝食に……」


 すでに活動を開始していたアカネと目が合ってしまった。


 傍から見たら、朝っぱらから幼女とキスする男。もちろんこれは不可抗力ではあるけれど、相手は純情そうな姉弟子である。


「あ、アカネ、さん……こ、これは、そのですね……」


「き、き、ききききききっ……」


「これはなんというか不可抗力というかですね、ね? そうだよねっ?」


「んぅ?」


 呆けた様子で隆也をじっと見つめる少女に話しを振るが、それが悪手だと気付いたのは、彼女が決定的な一言を口にしたからだった。


「ごしゅじんさま、だいすき」


「きっ、貴様あっ!? 看病と称しておきながら、本当は幼女になにを教え込ませたんだっ!? この変態めっ! 斬るっ!!」


「だ、だから違うんですって~!!」


 そう叫んで、顔を紅蓮のように真っ赤に燃やしたアカネが、弁明しようとする隆也に向けて、大上段に構えた刀を振り下ろしたのだった。


 賢者の森は、今日も平和である。

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