第160話 白き乙女


「ん……」


 硬く冷たい地面の感触を感じ、隆也は意識を取り戻した。


 ミケがあの狼の首を斬り飛ばす瞬間までの記憶は残っているが、それ以降はひどく曖昧であった。


「っと、それよりここは……」


 隆也はゆっくりと体を起こして、周囲を見回す。


 そこは、見覚えのあるところだった。以前と違って光一つなく真っ暗だが、昨日見たばかりなので忘れるはずもない。


「祠……どうしてこんなところに」


 気を失った後にミケが運んできてくれたのかと思ったが、肝心の彼女の姿が見えない。こういう時、必ず側に寄り添ってくれるのがミケの性格なのだが。


【……目覚められたようですね。タカヤ様】


 彼女の姿を探そうとしたところで、ふと、頭の中に、そんな女性の言葉が響いた。耳ではなく、念話のような。


 声は、隆也が倒れる直前に聞いたものだった。


 ふと、祭壇に目を向けると、そこには、全身を淡く白い光で包んだ少女の姿があった。


 像がぼやけてはっきりとは見えないが間違いない。


「……あなたは」


【私に名などありません。いつの間にか生まれ、そしていつの間にか自我を持った。ただ、ここにいる人々は皆、私のことを『ゲッカ様』と呼びますが】


 隆也の思考が混乱する。

 

 彼女が本当に月花一輪であって、そしてこれが隆也の夢でないのだとしたら、彼女は完全に自我があって行動していることになる。


「気を失った俺を介抱してくれたのは、あなたですか?」


【いえ、この私は実体ではないので。ここまで運んだのは、あなたのしもべです。今は、祠の外で、待ってもらっていますが】


 外を見ると、心配そうな顔でこちらをのぞき込んでいる小さな犬耳少女の姿が見えた。大丈夫、とミケに行ってやると、彼女は嬉しそうに耳をぴょこぴょこと動かし、尻尾を振っていた。


【あなた方の戦い、見させていただきました。互いのことを常に尊敬し、信頼して私に立ち向かった……素晴らしかったです】


「私って……まさか、あなたがあの狼……?」


【いえ、あれは私の体の一部です。この世界に降りてきたときに私の本体から剥がれ落ちた破片が、私本体を守るために自我をもったもの、と思っていただければ】


「……じゃあもしかして、うちのミケも」


【特徴はよく似ていますが、私のものではないですね。おそらく、『兄弟』のどれかから生まれて、少しづつ姿形を進化させたのでしょう】


「それってもしかして、『七つの隕石』の……」


【よく知っておいでですね。そうです。はるか昔、この世界で起こった大災害の原因……私は、燃え尽きたとされる六つのうちの、唯一の生き残りになります】


 王都に墜落したという一つ以外を残して、跡形もなく燃え尽きたとされる六つのうちの一つ。


【あなたが私のことを排除するためにここを訪ねてきたことは、わかっています。ここの島を流れる魔力を吸い取っているせいで、本来のあるべき姿を捻じ曲げ、ここに住む人々に迷惑をかけている……それは、わかっているのです】


 悲しげな顔を俯かせて、月花一輪は続けた。


【それでも……それでも私はまだ滅びるわけにはいきません。まだ、私にはやらなければならないことが残っている……そのうちは】


「それはアカネさん……いや、ここにいる人たちが悲しんで泣いていても、やらなければ、成し遂げなければならないんですか?」


【ええ】


 月花一輪ははっきりと頷く。


【今はまだ目覚めていませんが……しかし、そう遠くもありません】


 隆也には、彼女が何を言っているのがまったく理解できない。だが、ぼんやりと浮かぶ靄の奥から見える彼女の瞳は、いたって真剣に隆也を見つめていた。


【タカヤ様……あなたの全身を巡る規格外の質の魔力……今まで出会った方たちの中でも、稀有な才能を持つあなたに、お願いがございます。もし、それを聞き入れていただければ、この私の身を、煮るなり焼くなり、自由にしていただいて構わない】


 それはつまり、破壊しても構わないということだ。シマズから月花一輪がいなくなれば、もうアカネをこの地に縛る理由は何もなくなる。


 晴れて自由の身になって、再び師匠の弟子として館に戻ることも、もしくは隆也達の仲間になることだってできる。


 断る理由は、ないように思えた。


「……一応、聞きましょうか」


【……ありがとう、ございます】


 安堵したように一息ついて、少女は隆也の前に正座して、頭を下げた。


【タカヤ様……あなたの知恵と才で、この私を『剣』にしていただけないでしょうか?】

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