第150話 月花一輪 1


 フジに言われるままに裏手の扉より外に出ると、隆也達がシマズへと到着した時点より、さらに周囲が暗くなっていたように感じた。


 もともと分厚い雲に覆われているのもあるが、隆也がそれを異常だと思ったのは、まだ時間は昼前だという事実があったからである。


 幹の太い木々が根を張っている隙間を縫うようにして、人一人分が通れる道らしきものがある。さしづめ、蛇の道といったところか。


 フジのいう『祠』は、濃い霧のたちこめるこの場所からでは、やはり確認できなかった。


「この一本道を行く、ということですよね?」


「そうじゃ……だが、ほんの少し待っておれ。今、確認をとっておるからの」


「? は、はあ……」


 連れていく、とは言われたものの、祠に続く裏手の道に出たフジは、そこから使い魔であろう彼女自身の白鳩を飛ばしたきり、一歩も動かずに待っているだけだった。


「アカネさん、あの」


「…………」


 詳しいことを知っているだろうアカネに訊こうにも、彼女は先程から一言も言葉を発しない。近づいても、すぐに距離をとられてしまい露骨に避けられる始末だった。


「アカネ、どうしたの? ごしゅじんさまのこと、きらいになったの?」


「…………」


「アカネ? ごしゅじんさまのこと、ずっとこっそり見てるけど、どうかしたの?」

 

「えっ……!?」


 ミケにそう指摘されたアカネの顔が、かあ、っと赤くなった。


「い……いや別にそんなことは! そうじゃなくてむしろ逆に……ああいや、今のは……その、忘れてくれ」


 これまでの態度から、避けられてはいるが無視はされていないし、嫌われてもいないこともわかる。


 隆也を、皆を避ける理由が、彼女にはある。その理由がこの先にある。


 はやる気持ちを抑えて、隆也は、フジが次に動き出すのをじっと待っていた。


「――ふむ、来たな」


 そこから数分ほど待ったところで、イカルガより一回り大きな白鳩が、フジの肩へと戻ってくる。ちちち、と何やら囁き、それに合わせて彼女も頷きを返している。動物の言語を理解する能力だろうか。


「――待たせたな、タカヤ殿。では、参ろうか」


 一行は再び歩みを再開した。フジを先頭にして、タカヤ、彼に寄り添うようにしてミケ、最後に少し離れてアカネ。蛇行しながら、先へと続く道を一列になって行く。


「……っ、とと」


「ごしゅじんさま、だいじょうぶ?」


「うん。こんなふかふかの雪の上を歩くのなんて初めてだからつい」


 と、その途中、足首あたりまで沈み込むほどの雪に足をとられた隆也が、前のめりに転んだ。すぐさま気付いたミケが近寄ってくるが、同じく雪のおかげで、かすり傷ひとつない。


 雪の道を歩いたことぐらい隆也にもあるが、これほどのパウダースノーの上というのは、彼にもほとんど経験はない。彼のいた元の街に残る雪は、大抵べちゃべちゃのみぞれ氷だった。


「アカネさん、俺、大丈夫ですから」


「……なんで私に言う」


「いや、ずっと俺のこと見てるってミケが言ってたから、もしかしたら心配するかなって――ぶへっ」


 隆也の顔面に、雪玉がぶつけられた。ぶつかった瞬間に、ぱん、という音を立てて、雪玉が砂のようになって弾けた。


「妙な気遣いはするな……この、馬鹿弟が」


「突然何も言わずに故郷に戻っちゃう姉ほどじゃありませんけど、ね!」


 言って、隆也はお返しとばかりに手近な雪を掴んで、投げる。離れている、といいってもそう遠くはないので、隆也でも簡単に、アカネの顔に狙いぐらいはつけられた。


 腕で直撃は防がれたが、弾けた粉雪が、彼女の全身にぱっと飛び散る。


「こ、このタカヤおまえっ……!」


 着物についた雪を払うアカネの顔が、あからさまに不機嫌なものに変わっていった。


「あのな……私だって、突発的にこんなことをしたわけじゃないんだぞ! 私なりに、お前のこととか、師匠のこととか、そういうのを全部、全部思ってのことだというのにっ……!」


「俺になんの相談もなしに、何ほざいてんですか。そういうのは、ひとりよがり、って……そう言うんですよ!」


 隆也とアカネ、同時に双方の手から放られた雪玉が、まっすぐに互いの顔面にぶつかった。


 冷たい雪だが、ヒートアップしつつある隆也の頭には、今はひんやりと気持ちがいいくらいだった。


「ごしゅじんさま、アカネとけんか?」


「そうだよ。ほら、ミケも、わからずやのあの人に雪玉ぶつけちゃって」


「! わかった」


「あ、こら! ミケは関係な……んぐっ!?」


「あ、あたった」


「ミケ……このっ、お前たちは、揃いも揃ってえ……!!」


 ミケも加わって、なぜかちょっとした雪合戦が始まった。


 軽い雪玉で危険も少ないので、隆也も、アカネも、ミケも、それぞれが全力になって投げつけた。


 それまで胸に抱いていた互いの不満を、ぶつけ合うように。


 いきなり仲間割れのようなことを始めたので、フジにまた怒鳴られるかとも思ったが、彼女は呆れたようにこちらを見るだけで、特に注意までしてくる様子はなかった。


 しばらく全力で投げ合った後、疲れた様子の隆也が、その場にへたり込んだ。


「はぁっ……なんで、なんで俺達に何も言ってくれないんですか? そりゃ、俺なんかじゃ、大したことはできないかもしれませんけど、それでも、何かの助けぐらいにはなれるはずです」


「アカネは、ごしゅじんさまとミケのこと、きらいじゃないんでしょ? なら、どうしていなくなっちゃったの? すきなのに、そばにいられないの?」


「っ……それは……私だって本当は……でも、しょうがないじゃないか……」


 ミケの問いに、アカネはたまらず二人から目を逸らし、俯いた。


「それだけのものが、この先にあるっていうんですか……?」


 頷き、アカネが小さな声でぽそり、と呟く。


「……ああ。名を『月花一輪げっかいちりん』……我らシマズにいる鬼の末裔を守護し、そして同時に、縛りつけもする御神刀がな」

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