第242話 崩壊
「塩、ですって?」
「ええ。もちろん、スキルを使って量を増やしたり、粒を細かくしてみてたり……少々加工は施しましたが」
再生魔法を妨害するために隆也が用いたのは、先日、旅行先のウォルスで調合していた塩の余りだった。催眠効果を抑制するためだけだったが、意外に味がよかったので、食事の際に使う調味料として残しておいたのだ。
「ファルメさん、今展開している光の剣……元は細かい氷の粒ですよね? 魔術光をいっぱい反射してたから、俺もさっきまでは全然気づかなかったんですけど」
「……」
ファルメは黙ったままだが、塩が効果を発揮している時点で似たようなものであることは間違いないだろう。
「『ここ』で知られているかどうかは知りませんが、塩っていうのは、例えば水が氷になるための温度を下げる効果っていうのがあるんです。凝固点降下っていうんですが」
手下の神狼たちの傷が再生した時、隆也はずっと違和感を覚えていた。光の魔法でも傷の治癒は出来るかもしれないが、部位欠損まで再生までは出来ないはずである。幻は見せられても、光に実体はない。
「氷の粒で傷を塞ぎ、欠損した部分は氷の粒をまとめて形成し、見た目にはわからないように光の魔法で偽装して、再生したように思わせる……それがこの結界魔法のタネなんじゃないかと。ここの壁は氷でできているので、タネが尽きるようなことはまずありませんし」
だからこそ、隆也はその可能性にかけて、直前にミケに塩の入った袋を忍ばせ手下たちと戦わせつつ、塩を撒かせるようにしたわけだ。
加えて、詩折が放った斬撃の衝撃波。これによって、この部屋全体には、隆也たちを含めて相当な量の塩が付着している。
そこでいつものように魔法が発動するわけだが、いつもなら『氷』だったはずの粒が、塩の凝固点降下の作用によって『水』となってしまい、再生ができなくなってしまったわけだ。
見ると、さきほどまでいたはずの手下たちや、レオニスの体がどんどんと溶けていっている。もちろん、空に浮かんでいた光の剣も。
ということは、おそらく、ここに居る神狼と思われていたものも、ファルメを名乗る魔術師が作り出した偽物だったのだろう。
「だ、そうよ。丸裸にされて可哀そうなニセモノさん。ここまでで、私たちのリーダーの言うことに反論はあるかしら?」
「まさか、こんなことで私の防御が破られるとは……消耗戦も考えて氷をそのまま使ったのが仇になったってわけね……」
あきらめるように肩を落として、ファルメは力なく笑う。
隆也とて確信があったわけではないが、可能性に賭けるとしたらこの方法しかなかったように思う。もしファルメがすべてを自らの魔力で賄っていたのなら、また結果は違ったものになったはずだ。塩で凝固点を下げられるといっても、もちろん限界はあるわけで。
いずれにせよ、今回は隆也たちに軍配があがった。
「……降参してくれますね?」
「ええ。さすがに私もやられ過ぎたし。……このままだと、本気でそこの女の子に殺されちゃいそうだし」
ファルメが敗北を宣言したと同時、展開されていた光の剣が、もとの氷の粒となって霧散した。
「じゃあ、次は魔法の封印のほうもお願いします」
「わかったわ、それじゃあ――」
最後の力を振り絞るようにして、ファルメが力なく指を鳴らした瞬間。
――ゴゴゴゴ……!!
突き上げるような地響きが隆也たちを襲った。
「……あら、ごめんなさい。私、間違って違う魔法を発動させちゃったみたい」
「ファルメさん、アンタいったい何を……!」
「ちゃんと約束は守ったじゃない? 術者が死ねば、結界魔法は問答無用で解除される――まあ、あなたたちも一緒に道連れに、だけど」
「くっ……!」
直後、頭上の氷の壁に大きな亀裂が走り、そこから剥がれ落ちた巨大な氷塊が降り注ぐ。
それを合図にして、他の箇所も次々と崩壊を始める。
隆也たちが入ってきた横穴のほうがまだ大丈夫だが、それもいつダメになるかわからないし、その下で待っているメイリールたちの件もある。
「ご主人さま、早く逃げないと……!」
「わかってる。でも、まだ水上さんが……水上さん!」
直撃すればひとたまりもないほどの氷の礫をなんとか避けて、隆也は大声で詩折のことを呼ぶ。
「甘かったわね、名上君。こういうのはさっさと殺さないと……ほら、私みたいなことになっちゃうから」
だが、隆也の目に映った詩折は、ファルメとともに、光の鎖でがんじがらめにされていたのだった。
「ファルメ――!」
「ふふ、ふふふふ……あなただけは絶対許さない。私を、私たちを傷だらけにした報い、命をもって償いなさいな……!」
隆也が叫ぶも、ファルメの耳にはもう届いていない。どうやら本当に詩折を道連れにするつもりのようだ。
「水上さん、早くこっちに!」
「そうしたいのは、山々なんだけど……ぐっ」
「ふふ、ふふふふ……逃がさない、逃がさない逃がさない逃がさない。絶対、逃がさないんだから……ッ!!」
自分が傷つくのもお構いなしに、ファルメがさらに鎖に込める魔力を強くする。
鎖から強引に抜け出ようとすればするほど、鎖は詩折の白い肌へと食い込む。
これが、捨て身となった魔術師の執念とその怖さということか。
「名上君、私は大丈夫だから。だから、ミケちゃんと一緒に逃げて」
「そんな、そんなこと……!」
できるはずがない。
一時的とはいえ、隆也にとって詩折は仲間だ。彼女がいなければミケは助けられなかったし、この戦いに勝つこともできなかった。
詩折が、唯一残ったと言ってもいいクラスメイトが。
――大切な人が。
「ご主人さま、もう……!」
ミケが悲鳴を上げている通り、もうここが完全に崩壊するまでわずかな時間も残されていない。そんなことはわかっている。後十秒、いや五秒か。
だが、それでも隆也は詩折のことを見捨てることができなかった。
――ゴゴゴゴゴゴゴッッッ!!!!
そして、予想よりほんの早く崩壊した。
「あ――」
ふと、隆也の中を流れる時間が静止した。
見上げた先にあったのは、視界いっぱいを埋め尽くす、逃げ場などない超重量の氷塊。
もう遅い――そう直感したところで、
「悪いが、少し寝ていてもらおう――」
聞いたことのない低い声が耳に響いた瞬間、隆也の意識がゆっくりと遠のいていく。
「あ、なたは――」
「私は、」
――レオニス。娘と妻を守れなかった、哀れな狼。
そう答えた真っ白な狼の姿をぼんやりと捉えつつ、隆也はそのまま気を失ったのだった。
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