第320話 黒い雷雲
島クジラからついに脱出し、海の世界へと再び舞い戻った瞬間。
隆也を出迎えたのは冷たい海ではなく、暖かい感触だった。
「よ。無事だったか我が同胞よ」
隆也の目に映っているのはモルルだったが、声の方が違う。これは、おそらくモルルに変化している別の人間――といっても、そんな器用なことをできるのは隆也が知る限り一人しかいないのだが。
「途中結構ヤバかったけど、なんとかなったよ。魔王様」
「そか。よく頑張ったな」
すぐに光哉がその姿を現す。転移魔法が使えないこの状況で隆也のもとにいち早くかけつけることが出来るとしたらモルルかと思っていたが、光哉が来るということは、それだけの事情があるらしい。
「ありがとう、俺のこと信じて待ってくれて」
「お前がそう簡単に死ぬタマかよ。……ってか、あのデカブツ、なんか氷みたいになってっけど、アレもお前がやったのか?」
今しがた脱出してきたばかりの島クジラは、すでにゲッカによって魔力と熱を根こそぎ吸い取られたのか、全身が真っ白な霜に覆われ、外側から見る限りは完全に氷となっている。
今まで散々隆也たちを苦しめてきた巨大生物のあっけない有様を見、賭けが大勝利に終わったことを隆也は確信する。
「! そうだっ……光哉、俺のほかに二人、島クジラから脱出した人はいなかった? 男の人と女の人の二人組なんだけど」
外に出ることに夢中で今さら気づいたが、そういえば、デコとミラ、二人の姿がどこにもいない。
脱出の時二人も隆也と一緒にいたから、おそらく同じようにクジラの口外へと投げ出されたはずだが。
「いや、ざっと見渡した限りはそんな奴らはいなかったと思ったけど……うん、お前以外の人間の血の匂いは、ここらへんにはねえ」
「そんな……!」
ということは、二人はまだ島クジラの体内の中に取り残されたままだというのか。
隆也がこうして、生還することができたのは、彼らの助けや励ましのおかげである。それがなければ、隆也はあの胃の中で消化されるのをただ待っていたはずだった。
十数年前にすでに死んだと思われていたデコとミラの二人こそ、隆也の命の恩人なのだ。
「とにかく、今は落ち着け。お前の他に二人いるっていうんなら探してやる。だが、それはお前をベッドの上に送り届けてからだ」
「くっ……わかった」
いくら光哉とて、深海では何もできない隆也は足手まといでしかない。今は彼に従うしかないだろう。
二人の安否が心配だが、今は祈るだけだ。
ひとまず光哉の背中に身を預けて、隆也は数か月振りの海上へと向けてぐんぐんと上昇していく。
島クジラのほうも、ほぼ完全に機能を停止しているのか、身じろぎ一つなく、まるで死体のようになって浮上を始めている。そして、以前はあった誰かからの妨害の気配もない。
「……そろそろ外に飛び出るけど、海に出てもしばらく濡れるからちょっとだけ我慢してろよ」
「どういうこと?」
「今ちょうど、ここらの海域に強烈な雨雲が発達しててな。一発どでかい稲妻をぶっ放さないと気がすまないらしい」
「??」
光哉の言っている意味がよく理解できないまま、隆也は海面から顔を出した。
「っ……はぁ……はぁ……生きてる、俺、生きてるよな……?」
外気に触れた瞬間、隆也は大きく息を吸い込んで新鮮な空気を肺の中に入れる。
今までずっと臭気の漂う内臓の中で生活していたものだから、やたらと空気が美味く感じる。
やはり、人間は地上で暮らすものだと隆也は改めて実感した。
「タカヤ様っ」
「ご主人様っ」
外に出た瞬間、隆也の頭上からムムルゥとミケの声が耳に届いた。
上を見ると、すでに二人は隆也の目の前におり、光哉がいるのにも構わず、二人は隆也の胸めがけて飛び込んできた。
「タカヤ様、よかったっス、本当に……もう、私、ずっと心配で心配で」
「ご主人様っ、ご主人様っ……!」
「ごめん、二人とも。心配かけた」
すすりなく二人の頭を、隆也は優しく撫でる。この数か月、おそらく隆也のことを一番心配してくれたのは彼女たちだ。
そして、おそらくはここにはいないメイリールやアカネたち、そしてエヴァーも。
「おい、お前らそろそろ離れろ。三人はさすがに重い」
「いやっス」
「やだ」
「お前らの目の前にいるの魔王なんだけど、そこんとこわかってんのかよ? ってか、ムムルゥは後で覚えとけよ」
頑なに隆也から離れようとしない二人の様子に諦めたのか、翼を大きく広げて三人(正確にはムムルゥとミケが抱き着いて離れない隆也)をもってゆっくりと上昇していく。
どうやらあの真っ黒な雷雲の中へと向かっているようだが、
「ねえ光哉……あれってまさか」
「ああ、雲の賢者のところの雷雲船。今、発射準備中」
「なにを?」
時折雷光が迸る雲のちょうど底部あたりに、眩いばかりの白光が煌めいているのがわかる。
ぞっとするほどの魔力に満ちたその光……おそらく、真下にいる標的に向かって攻撃をするようだ。
標的は、もちろん、もうすぐ海上にその姿を浮かべようとしている憎き敵、島クジラ。
内部でどのようなことが行われているのかここからでは判別はつかない。しかし、アレほどの魔力を一度に放出すれば、島一つなど簡単に消し飛ばすことが可能だろう。
これまで存分に暴れたツケを、全部まとめて支払わせるために。
「でも、あんなのぶっ放したら、それこそデコとミラが……」
島クジラを木っ端みじんにするのは構わないが、もしかしたら体内に二人が残っているかもしれないのだ。
そんな状況で、このままあんな化物級の兵器を撃たせるのは――
「――大丈夫だよ、タカヤ」
「――ええ、なんとか私たちも生き残れたわ」
「!! その声は――」
背後からの声に振り向くと、同じく駆け付けていたのだろうレティに抱えられたデコとミラの姿があった。
「攻撃の邪魔だったので、念のため回収したのですが……どうやら正解だったようだ」
「でかした、レティ!」
これでもう隆也の心配の種はない。
「――待ってたぜ、タカヤッ!!!!」
「ラルフッ!」
「後は、俺に任せろ!」
ラルフが雷雲から飛び出した瞬間、雷雲船にチャージされていた白光が発射され、その全てがラルフの構えた黄金の剣に降り注ぐ。
「くらいやがれデカブツっっ!!! 今度こそ、これが貴様の最後だ――!」
島クジラの体が海面に現れたその瞬間、雷雲船から離れた魔力光線と一体になったラルフが突っ込んでいく。
【神雷砲、剣――!!】
ラルフがそう叫んで剣を海面に叩きつけた瞬間、ベイロード沖の海域の空に、白と黄金の混ざったような巨大な光の柱が出現したのだった。
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