第318話 月花降臨 3


「――二人とも、今日、いいかな?」


 そこから数日後、隆也はデコとミラの二人にそう切り出した。


 体調、魔力回路の状態は万全の状態で、その他の道具も十分揃っている。


 やることは決まっていたので、後は隆也の決断待ちだった。


「わかった。……大丈夫、もう準備は済んでる。ミラ」


「ええ。今度こそ、ここからおさらばしなきゃ」


 二人にはすでに内容は伝えている。隆也がこれから再現させようとしているもの、それに伴う危険性について。


 隆也が降臨させるのは、月花一輪――隆也が彼女に出会う直前まで、シマズを氷結の島にしていた不完全な状態のものだ。


 あの状態のゲッカはとにかく生き長らえるために必死で、島に流れる地脈からもたらされる魔力を根こそぎ食い尽くすほどだ。


 島一つから丸ごと魔力を、そして熱を奪い去ってしまう隕石のかけら――クジラに対抗するのには、もっとも適任な相手ではないだろうか。


 といっても、実際に試してみて全く同じに再現できるかどうかはわからない。もちろん、期待した分だけの効果を発揮できるのかも。


 これまでの実験で、先に採取した肉片を氷で可能な限り冷やしたところ、それまで丈夫なゴムのようだった肉片が、まるでレンガのような状態になり、石の塊などで思い切り打ち付ければ粉々に砕けることがわかっている。


 なので、島クジラ全体をどうこうできなくても、目的の箇所さえ氷漬けに出来れば、爆薬によって、入口まで戻っていけるはずだ。


 もちろん、全てが上手くいくかどうかは、ぶっつけ本番になるのでわからない。


 以前までは実物があったゲッカを、今回はまったくのゼロから生み出すので、魔力回路の負担は相当のはずだ。


 おそらく、一度能力を使った瞬間、再び隆也の全身はズタボロになるだろう。いや、もしかした以前よりももっとひどいことになるかもしれない。


 下手すれば、もう二度と能力を使うことが出来なくなるだろう。魔法が使えない、回復薬の調合も出来ないとなれば、今度こそ隆也はただの人に成り下がってしまう。


 だが、それでも隆也はどうしてもここから脱出したい。再び仲間たちが待ってくれている場所へ。


「……ここから出られないのなら、やっぱり死んだ方がマシだ。行こう、二人とも」


「ああ」


「そうね」


 三人で拳を突き合わせて、隆也たちは最後の勝負へと向かう。




 もう何度も見てきて慣れたはずの場所だったが、いざこうしてしっかりと対峙してみると、そのあまりの大きさと異常さに驚く。まるで巨大な岩か何かのようだ。


 時刻はちょうど真夜中あたり。隆也達のいる胃の噴門部から口へとつながる道は、現在はぴったりと閉じている。


 普通、この場所が閉じているなんてありえないから、そう考えるとやはりこの道が初めから正解だったような気がする。


「前回水分を入れてから十数時間立ってるから、もうそろそろ開いてもおかしくない。すぐに対応を出来るよう、準備を進めよう」


 水を一口飲んで喉を潤してから、隆也は目をつぶり、精神を集中させる。


 今はまだ月花一輪をイメージするだけで、魔力錬成は行わない。デコとミラ、二人の合図があってからだ。


 噴門部が開いた瞬間に月花一輪を島クジラの体に突き刺し、周囲を一気に凍結。その後、予め仕掛けておいた爆薬を使って道をこじ開けて、そのまま口から体外へと出るという作戦だ。


 島クジラが現在いるのは深海だから、その後は仲間たちのことを信じるしかない。


 隆也が外に出て、魔法術式阻害の効果から逃れることが出来れば、今は効力を失っているであろう隆也の首にある護符が復活する。


 そうすれば片割れを肌身離さず身に着けているエヴァーに場所を伝えることはできるから、助ける方法はいくらでも存在する。


 もちろん、全ては仲間たちがそのために準備をしていてくれればの話で、他力本願な作戦だが、それでも隆也の知っている仲間たちなら、かならずそうしてくれているはず。


 だからこそ、今は自分のやるべきことをきっちりと果たすのみ。


「……すう」


 もういつ、作戦開始のタイミングが来てもおかしくない。


 体が、緊張で小刻みに震えている。


 正直に言えば、怖い。今まで何度も危ないところを越えてきたが、それは、いつも隣に頼りになりすぎるほどの仲間たちがいてくれたからだ。


 これで失敗すれば、隆也たちも、そして、もしかしたら、隆也の帰りを待つ仲間たちですらもう諦めてしまうかもしれない。隆也がこの場所に来て、少なくとも二か月以上は経過している。


 正真正銘、最初で最後の勝負。ここを落とすわけには絶対にいかないのだ。


「タカヤ、大丈夫。そんな今にも死にそうな顔するなって」


「そうよ。まだ死んでないうちから死んだ時のこと考えたってしょうがないでしょ」


「デコ、ミラ」


 昂る気持ちを隆也がなんとか抑えようとしていると、デコとミラの二人の手が、それぞれ隆也の肩に置かれる。


 服越しでも伝わる二人の手の暖かさに、緊張で冷えていた隆也の体が温度を取り戻し、体のこわばりが取れていく。


「死んだときは死んだときに考えればいいさ。死んだときに、考えられる頭が残っているかは知らないけど」


「……だね」


 全ては終わった後に考えればいい。


 今は、これまでの全てをこのデカブツにぶつければいいだけ。


【――――g】


「! 来た――」


 ちょうど決意が出来た瞬間、ついにその時が訪れる。


「タカヤ、頼んだ!」


 隆也は力強く頷いて、全神経を手のひらに集中させる。

 

【KKJHIGYUF’AR’&T&’(OYUIGQYUFARFDGI―――!!】


「あ、ぐ……!」


 意味不明な叫び声が頭に響いたと同時、隆也の全身を激しい痛みが襲った。


 全身を冷気に晒され、さらに電流を流されているような感覚に、意識が飛びそうになる。


 もうやめろ、と脳が警告を出す。


「まだ……だ……!」


 しかし、ここで大人しく本能に従う隆也ではない。


 唇が切れるのもお構いなしに噛みしめて、油断すればあっという間に持っていかれそうな意識を無理矢理につなぎとめる。


【……またお会いしましたね】


 そんな声が耳の奥で響いた気がする。脳裏によぎったのは、あの祠で初めて会った時の白い乙女の姿。


 もちろん、この彼女はあくまで隆也の記憶から再生されたものにすぎず、本来のゲッカは消えているはず。


 だが、今、タカヤの手のひらから溢れる魔力によって形作られていくものは、まさしく、極寒の闇の中、月の輝きを浴びて咲く一輪の花のようだった。

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