第73話 エンカウント 1


 できるだけ近いところに降り立ちますように、と願いながら、隆也はムムルゥ達とともに魔界へと侵入した。


「っ……」


 どす黒い輝きを放つ黒点を抜けた瞬間、さらに強い瘴気が彼らの体に纏わりつこうとするが、隆也の周囲に展開された魔法盾リーフフォースがそれを許さない。


 黒く濃い靄が一旦晴れると、下を向いた隆也の視界には、荒廃した大地が広がっていった。


「ここが、魔界……」


 瘴気が蔓延しているせいなのだろうか、隆也が確認する限りでは、一本の植物すら存在していない。


 大きくひび割れたやせこけた大地。


 初めてエヴァーの館がある森の秘境に来た時は、その雄大な自然にそれなりの感動を受けたものだったが、それとはまた種類の違う衝撃を、隆也は受けていた。


「レティ……魔族の人達はこんなところで生活をしているの?」


「ええ。我々魔族には、呼吸器や循環器に、取り込んだ瘴気を自身の養分として変換する器官が備わっていますから。といっても、そうでもしないとここでの生活が危うくなるから、そうなっただけなんですが」


 魚などが持つエラみたいな感じだろう、と、レティからの話を隆也は理解する。


 厳しい環境を生き抜くために自身の肉体を適応させるしかないのは、どの世界でも当然のことだ。そこはヒトだろうが魔族だろうが魔獣だろうが大差はない。



「う~ん、あまり見慣れない空……レティ、ここ、どの辺だと思うッスか?」


「気温や瘴気濃度の感じから言うと、おそらく南西地域のどこかと思われますが……」


斬魔鬼将ざんまきしょうのとこっスか……じゃあさっさと移動したほう良さそうっすね」


 彼女がしかめっ面をしたところによると、どうやら突入前の祈祷は無意味だったようである。


「あの、斬魔鬼将って……」


魅魔煌将みまこうしょうと並んで四天王とされる者の称号だ。私の記憶では、確か代々レッドデーモンの一族が主に受け継いでいると聞いたが」


「よく知ってるッスね、チビエルフ」


「チビは余計だ馬鹿者……その反応を見るに、どうやらあまり状況はよろしくないようだな」


「ええ。正直、私ら魅魔の一族とデーモン種は、あまり仲がいい関係とは言えないっスからね」


 魔王の下につく『四天王』といえど、その内情は決して平和ではないということだろう。


 考えてみれば、もし、現在の魔王に何かあった時、当然、その代わりを務めるのは四天王の内の誰か、ということになる。


 魔界を統べる王の役割。当然、喉から手が出るほど欲しいと思う陣営もいるだろう。


 次の魔王をどの種族が担うかは、当然、現魔王が決めることだから、それに対して悪い印象を持たれるのは、基本避けておかなければならない。


 例えば、そう、自身の最も大事な武器を壊した挙句、それをあろうことか人間に修理を頼むような真似をするような事態が明るみに出るのは。


 そう考えると、この問題、意外に根が深いものなのかもしれない。


「タカヤ様、副社長、今から隠匿ハイドの闇魔法をお二人に掛けます。私達が魔界で何をしようが勝手ですが、さすがにヒトとエルフを連れてとなると、あまり良い言い訳はできませんから」


「仕方ないだろうな……タカヤ、一旦、魔法盾を解除する。瘴気が多少肺に入るかもしれないが、我慢しろ」


 頷き、隆也は鼻と口を防ぐためにスカーフをぐるぐる巻きにした。


 漂う瘴気が眼球をちくちくとした痛みを与えるが、頻繁に瞬きをしていれば耐えられないほどではない。瞳が多少潤むくらいだ。


「レティ、頼んだッス。今の私じゃ、上手いこと力の加減が出来ないっスからね」


「お嬢様、ちなみに魔槍は今どこに?」


「クソババアのとこ。許可がないと持ち出し出来ないっス」


 となると、今のムムルゥは魔槍の恩恵がない状態ということになる。


 四天王にいきなり喧嘩を吹っ掛けるような存在などいないとは思いたいが、魔界は好戦的な種族が多いようだし、しかも、魅魔族とデーモン種は仲があまりよろしくない。なので、油断は禁物である。


「それではお二人とも一瞬だけ息を止めておきますよう——闇隠ダークハイド!」


 レティがそう唱えると、彼女の角の先端より灰色の煙のようなものが漏れ出し、綿のようになって隆也とフェイリアの体に纏わりついた。そのせいで少しだけ視界が霞む。


「少し息苦しいかもしれませんが、ここを抜けるまでの間我慢してくださいッス、タカヤ様」


 ムムルゥが隆也を、レティがフェイリアをそれぞれ捕まらせて、早速四人は移動を開始する。


 魔界に来て二人とも本来の力が戻っているのか、人間界に居た時よりも、角や翼が一回り程大きくなっているようだ。


 小柄なはずのムムルゥの背中が、今はなんだかとても頼もしく感じる。


「お嬢様、ひとまずは中央の魔王城の方角へ。タカヤ様たちがいるので、全力は無理ですが、それでも半日飛べば我々の支配域には辿りつけるかと」


「そうっスね。じゃあさっさとこんなクソ気分の悪い場所からはおさらばして——」


 と、ムムルゥがさらに速度を上げようと翼を大きく広げたその時、


「――ヨウ、『デキソコナイ』ドモ。コンナトコロ、デ、ナニヲシテイル?」


 その道を遮るようにして、数匹の赤肌の悪魔たちが、隆也達の前に姿を現したのだった。

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