第170話 賢者と賢者


 大陸中央の平野部に位置する王都アルタナーガ。


 数千年前、とある出来事をきっかけにして急速に発展を遂げたそこは、なにもかもが隆也の想像以上の光景を見せてつけてくれた。


 地平線の向こうまで続いているかと錯覚するほどに伸びる大小の施設、建物、網目のように張り巡らされた道に水路。窮屈そうに行き交うヒト、亜人、獣人。ボロを纏う物乞いや、いかにもな成金風の商人やその取り巻きなど。


 ヒト、モノ、カネ。そのすべてが集まる世界最大の都市。


 ちなみに今はまだ早朝である。海沿いのベイロードも朝は早いし騒がしいが、ここまでのカオスに遭遇するのは、この世界では間違いなく初めてだ。


「どうだ、初めての王都は」


「ちょっと……臭いますね」


「そりゃそうさ。これだけ人がいれば、必然的にそうなる」


 宿の窓の先に広がる景色の印象。それを正直に述べた隆也に、隣のエヴァーは苦笑した。集まる人間が多くなればなるほど、そこの場所のモラルは失われていき、街の景観は悪くなっていく。


 隆也が今いる場所は、王都の中でも治安の良い場所だとされているようだが、それでも、建物と建物の隙間に投棄された生ごみから異臭が放たれ、それに誘われたカラスや野良の犬猫たちが、我先に中身を漁り、そして散らかしていく。


 元居た世界、お世辞にも美しいとはいえない繁華街のような景観が、王都ここにもあった。


「あら、お二人ともおはようございますぅ。タカヤさん、一晩経ちましたけど、何か変わりはありませんでしたかあ?」


 と、扉がノックされると同時に、エルニカが部屋へと入ってきた。


 すでに宿を出る準備は整っているようで、彼女の正装だという、ふわふわの毛で編まれた白の魔法衣をきっちりと着込んでいた。


 こうして全身を見る機会は初めてだが、意外に小柄である。身長だけ見れば、隆也とそう変わらないぐらいだ。


「エルニカさん、早いですね。出発ですか?」


「ええ。私の治癒が必要な方は、世界中にいますからあ」


 話によれば、エルニカは、ほぼ全ての魔法の使用ができる六賢者の中でも、特に治癒・再生に特化した素質の持ち主だという。今回、度重なる能力や技能の酷使によってボロボロに破壊された隆也の魔力回路を治したのも、そんな彼女の能力のおかげ、ということだった。


「ところで、本当にお礼とかはしなくていいんですか? 師匠から聞きましたけど、本来ならかなりの治療費がかかるって……」


「いいんですよお。普通のお客様ならそうですけど、他でもないエヴァーからのお願いですからあ」


「でも……」


「では、今回のことは『貸し』ということでどうでしょうかあ? いつか私が困ったときに、手助けしてくれる――これなら、おあいこでしょう?」


 師匠と肩を並べるほどの人が、隆也の助けを必要とする場面などなさそうだが、正規の治療費を払えるだけの財力は、今の状況では逆立ちしても出てこない。


「では、出世払いということでお願いします」


「ええ。きっと、待っていますよ。ねえ? エヴァー」


「ああ……そうできるように大事に育てるさ。お前にはやらんが」


「ええ~、いいじゃないですかあ、ちょっとぐらい。『教会』に入って洗礼を受ければ、きっと、私のような立派で敬虔な信徒に……ねえ?」


「……あの、俺の家、代々無宗教なので」


「あら、残念ざぁんねん。振られちゃいましたかあ」


 くすくすと笑って、エルニカは二人の横を通り過ぎて、窓から外へ、とぴょこん、と軽い足取りで跳躍した。


 直後、彼女の背中に、純白に輝く美しい二対の羽があらわれる。


 魔法か何かで作り出したのだろうか――エルニカの本来もつ美しさと相まって、まるで天使が現れたような感覚を、隆也は覚えた。


「それではご機嫌よう――今日も一日、神のご加護がありますように」


「早く帰れよ、バカ天使」


「もう、エヴァーったらあ」


 呆れたように肩をすくめたエルニカは、そのまま白い転移の光に包まれた後、その姿を完全に消した。


「……なんだか、不思議な人でしたね」


「賢者なんて人種は、大抵あんなものだ。仲がいいように見えて、実際はどんな腹を隠しもっているかもわからない」


「それは……師匠も含めて、ですか?」


「さあ、どうかな?」


 そう意地悪く言って、エヴァーも、エルニカの後を追うように転移魔法を展開させた。


「? えっと……これからどこかへ用事ですか?」


「いや? タカヤのかわりに一週間ただ働きのおかげで疲れたから、温泉地にでも行って体を休めてくる」


「もう……くれぐれも借金はダメですよ。ツケも禁止。いいですね?」


「はは、了解」


 意地悪な笑みのまま言って、エヴァーも、隆也の元からすぐに姿を消す。相変わらずの気まぐれだが、放っておいても、隆也に何かあれば血相を変えて駆けつけてくれるだろう。


「……ムムルゥ、そこにいる?」


「はいっス。メイリールとミケも。そっちは力尽きて寝てるっスけど」


 エルニカとエヴァーがいなくなったところで、隆也は、部屋の外で控えていたムムルゥを呼ぶ。彼女にしては珍しく、治療が終わるまでの間、ずっと起きて待っていてくれたようだ。


 なんでも、彼女に関していえば、この一週間ずっと暇だったらしく、休養は十分なのだとか。


「ちょっとお使いを頼みたいんだけど――」


 隆也の視線の先に、都市の中心部を守護するように囲む、巨大な壁がそびえたっていた。

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