第325話 四条那由多
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四条那由多がこの世界に転移してきたのは、隆也の先輩にあたる光哉がこの世界へ転移するきっかけとなった飛行機事故の、さらにずっと昔。彼女の話によれば、50年以上も前になるらしい。
この世界の時間の流れに換算すると、光哉より遥かに長い時を生きていることになる。
那由多がこの世界に来たのは、まだ彼女が2、3歳といったところ。ちょうど家族と船での旅行で世界を回っていた時に起きた事故だという。
深夜に突如発生した謎の大嵐によってあっという間に船は沈没。
逃げる暇もなく、彼女は両親とともに夜の暗い海の底へと沈んでいったという。
暗闇に飲まれる中、幼いながらも死を覚悟した彼女だったが、酸素がなくなり気を失った彼女が次に気づいたとき、彼女は、何もない平原の上で目を覚ました。
死んでいないのは良かったが、周りには彼女以外何も存在していなかった。
海も、直前まで捕まっていたはずの船の瓦礫も、そして両親も。
大声で泣いても、両親の名前を叫んでも、ただ空しく地平線の向こう側に吸い込まれていくだけ。
体力だけいたずらに消耗して、彼女はどんどん衰弱していく。食べるものはなにもないし、飲み物は自分が目を覚ました場所にあった水たまりの水だけ。それも泥混じりで、飲んだもすぐに戻してしまう。
せめて綺麗な水が飲みたい――衰弱しながらそう強く願ったそのとき、彼女の手のひらから、淡いブルーの光を纏った透明な水の球体が現れたの気付いた。
なぜいきなりそんなものが現れたのかわからなかったが、それは明らかに水だった。
数日ぶりの、しょっぱくない無味無臭の冷たい水。
自分の体から出てきたものだから悪いものであるはずがないと直感的に思った彼女はその球体に口をつけ、一気にそれを飲み干す。
その瞬間、度重なる疲労でほとんど動くことができなかった体から、嘘のように活力が取り戻されていくのに彼女は気づいた。
喉が潤い、体が動くようになったら次は空腹を満たすために動くことにした。色々試してみた結果、彼女は水の他にも、炎や風、雷など、色々なものを手のひらから出せるようになっていたのだ。それがこの世界における『魔法』であることを理解するのはまだ先の話しだったが。
旅行以前、両親が見ていたテレビ番組の映像を記憶から引っ張りだす。野生の動物は、生きるために他の動物を狩り、それを食べて生きているという。
彼女は人間だが、そうしなければ空腹を満たすことはできない。ここには黙っていても食事を持ってきてくれる人は誰もいないのだから。
かくして行動を開始した彼女だったが、しかし、歩いても歩いても、果てしない原っぱが続いているだけ。小さい虫一匹いないような環境だった。
途方に暮れた彼女は、おもむろに平原の土を手ですくいあげた。
わずかに湿り気を帯びた、黄土色の土――これがクリームとかケーキみたいなお菓子だったらいいのに、と甘いもの好きの彼女は考えた。
その時、彼女の中に不思議な感覚が沸き起こる。
――これ、もしかしたら食べられるかもしれない、と。
普通ならそんなことは考えつかないはずである。夜寝る時に土の匂いはいつも嗅いでいるが、こんなもの口に入れても飲み込めやしないはず。
だが、彼女がじいっと見つづているうち、彼女の手に握られていた土から甘い匂いがしているのに気づいた。それは、彼女が親によく食べさせてもらっていたスポンジケーキにそっくりだったのだ。
半信半疑で、彼女はその土を口に入れた。頭で考えるとどう考えてもおかしいが、しかし、不思議と食べられるような気がしたのだ。
口に入れ、何度か咀嚼を繰り返した彼女は確信する。
信じられないことに、それは、ケーキだった。
そうして、彼女の頭にある可能性が思い浮かぶ。
この世界は、もしかしたら自分が願えばなんでも思い通りになるのではないか、と。
※
「――まあ、私の昔話はこんなところかな。……はい、『命令:私がいいと言うまで世界は音を失う』、解除」
那由多がそう命じた瞬間、この世界の人々に音が取り戻される。
仲間たちは何が起こっているのかまったく理解していないだろう。呼吸を止められ、突然聴覚を意のままに支配されて――皆一様に、驚愕と困惑が入り混じったような顔をしている。
「どう? 『管理者』としての私の能力は?」
「……この化物め」
隆也にはそうとしか表現できなった。ゼンヤの【
確かにこれでは隆也たちの仲間が束になったところで敵うはずもない。
いくらなんでも、ずる過ぎる。
こんな能力を授けられたら、誰だって自分が神の代行者かなにかと勘違いしてしまうだろう。
尊大な態度を崩さない目の前の那由多が、その証拠だった。
「……さあ、これを踏まえてもう一度訊くよ、隆也君。……私の友達になって?」
「っ……」
こんなのお願いでもなんでもない。命令だ。
彼女はあくまで隆也のことを友達として扱いたいようだが、この状況で出来上がるのは友達関係ではなく主従関係だ。
仲間たちを人質にとられた隆也は、那由多の奴隷になるしかない。
「…………」
本来なら嫌だ、と言いたいが、あの能力を見せられた以上、そう答えることができない。
その言葉を吐いた瞬間、隆也はすべてを失ってしまう。
この世界の人々を自分の玩具か何かと勘違いしている子供によって、絆で繋がった仲間たちが死んでいく。
それだけは、絶対に避けたかった。
「ふふ、悩んでるね隆也君。わかるよ、その気持ち。せっかくこの世界で初めて出来た友人たちだものね」
「ちっ、このクソ外道が……!」
「あははっ、光哉君、魔王代理の君に言われたくないね。っていうか、キミはいらない子だから、ちょっと『黙ってて』」
「っご……!?」
光哉や異世界人ではないので、命令は完全に効いてはいないものの、吸血鬼になっている分だけ中途半端に苦しんでいる形だ。
那由多は、その様子を見て楽しんでいる。
これほどの邪悪な心を少女がいるとは……下手すれば詩折以上かもしれない。
「まあ、私も鬼じゃないから、一応考える猶予を与えるよ。……一週間だ。その間に悔いのない決断をしてほしい。もちろん、その間は『覗かない』ことを誓わせてもらうよ、それは安心してほしい」
「一週間のうちに別れを済ませろって、そういうことか?」
「そんなこと言ってないよ。友達になるのがやっぱり嫌だったらそう言ってくれても全然構わないよ。まあ、断られた時は私もショックを受けるだろうから、その時の私が何をするかは一週間後の私にしかわからないわけだけど」
物好きなヤツだ、とゼンヤがぼそりと呟いている。物好きどころか悪趣味極まりない。
「ま、とにかく今日のところはここでお暇させてもらうよ。じゃあね、隆也君に、そのお仲間さんたち。久々に楽しい時間を過ごせたよ、ありがとう。……さあ、私たちお家に帰ろうかゼンヤくん」
「はいはい……じゃあな、異世界猿ども。もう二度とこの僕に逆らおうなんて思うんじゃないぞ」
そう言って、那由多とゼンヤ、二人の転移者は雷雲船から飛び降りて、隆也達の前から忽然と姿を消す。
「……隆也、その、どうする?」
「……とりあえず、今日はもう帰ろう。俺たちの家に」
脅威が去った後、無言のまま、隆也と仲間たちは拠点であるベイロードへと帰還したのだった。
今のところ、この状況を打開できる知恵は誰の頭にもなかった。
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