第167話 心をあわせて 



 ゲッカを差し出しながらそう言った隆也に、アカネの顔がすぐさまこわばった。


 信じられないものを見るような視線を、隆也へとむけている。


「――タカヤ、お前、お母さまのさっきの話を聞かなかったのか?」


「いいえ。ちゃんと聞かせていただきましたよ。この刀のせいで、一生治らない傷を、ユリさんも、ロクロウさんも、そしてアカネさんも負ってしまった。気の毒でした、なんて言葉すらかけられないほどに」


 それでも、隆也はゲッカをアカネの眼前に差し出したまま、動かない。


「それをわかったうえで、俺はアカネさんにお願いしているんです。家族をめちゃくちゃにしてしまったこの刀を握らせるなんて、あまりにも酷だと思います。多分、正気の沙汰じゃないことだって」


「わかっているなら、なんで……」


「それは……その、」


 隆也はほんの一瞬、口をつぐんだ。包み隠すことなく、正直な気持ちをさらけ出してもよいのかと。


 はっきり言ってしまえば、ゲッカを振るうのがアカネでなければならない正当な理由は何一つない。王都に向かえば、アカネをはるかに上回る剣の素質を持つ冒険者はいるだろう。


【ご主人様、何度も言いますが私は反対です。この娘は、私に対して明らかに恐怖している。私と向き合うことすら拒否するような臆病者を、主として認めるわけにはいきません】


 そして、ゲッカはゲッカで先ほどからこの調子である。炎と氷、相反する二つの属性。相性がいいとは思えない。


 だが、それでも。


「……綺麗だと思ったんです。アカネさんのこと」


「え……?」


 意外な答えだったのか、アカネがきょとんとした表情を浮かべた。見えていないが、おそらくユリもロクロウもそんな顔をしているだろう。ゲッカですら呆気にとられて絶句しているのだから、間違いない。


「初めて会ったときから思ってました。見とれるぐらい綺麗なのに、いざ刀を持ったらすごい速さで、ばったと敵を切り伏せていく姿が格好良くて……俺にはそんな才能なんてないから、余計に憧れました」


 気恥ずかしさで、隆也はアカネから目をそらした。自分はいったい何を口走っているのだろう。


 だが、それが隆也の正直な気持ちだった。少しぶっきらぼうだが、いつも弟弟子である隆也のことを気にかけてくれ、いざとなれば身を挺して守ってくれる。迷ったら助言してくれ、正しい場所へ導こうとしてくれている。


「そっ、そんなこと、私なんか全然……」


「そんなことありません。俺が今こうしていられるのは、アカネさんがここまで俺のことを見守ってくれたからです。あなたがいたから、多分、俺はシマズを救うことができた」


 アカネも、隆也にとっては、シーラットの皆と同じくこの世界における恩人である。弱っちく頼りない『子供』だった隆也を、『冒険者』として鍛えてくれた最初のひと。


「この刀はアカネさんが振るうためにある……俺は、今でもずっとそう思ってます。全てを凍りつかせる刀を振るう、赤い角の鬼――そのことだけ考えて、俺はこのゲッカに命を吹き込みました」


「お前、そんなくだらない理由で……」


「そうかもしれません。でも、それでも俺はあなたにこの刀を託したい。そして、いつものように俺の助けになって欲しいんです」


「……わがままな職人さんなのね、タカヤさんは」


 アカネの傍らにいるユリが、そう言って困ったように笑った。隆也もそれに同意見だったが、だからといって意志を曲げるつもりもない。


 その様子をじっと見つめていたユリだったが、一歩も引かない隆也の様子に、やがて諦めたように肩を落とした。


「……アカネ、どうするかはあなたが決めなさい。タカヤさんのお願いを受け入れて島から出ていくか、拒否してここに残るか」


「お母さま、でもそれでは……」


「生活のことなら屋敷に戻れば問題ないわ。ソウジやキハチロウもいるし、いざとなれば他の子たちも手助けしてくれる」


 それについては、後で隆也もフジに話を通すつもりでいた。以前のことで関係性が悪いのかもしれないが、フジからもアカネのことはお願いされているし、おそらく聞き入れてくれるだろう。


 隆也は、改めてアカネに頭を下げた。


「お願いです、俺と一緒に王都に来てください。ゲッカと契約した以上、俺は彼女の『目的』を果たさないといけない。でも、それは俺一人じゃ無理なんです。それに、その……」


「その、なんだ?」


「俺が、アカネさんと離れたくないから……です」


 色々理由を並べ立てたが、結局はそこが一番の理由だった。どうしようもない甘ったれのシスコンだが、もう少しだけ、自信をもって一人前だと胸を張れるようになるまでは側にいてほしいと思った。


 恥ずかしながら、それが隆也の正直な気持ちだった。


「あらあら、甘えん坊さんね。ね、『お姉ちゃん』?」


「お母さまっ……タカヤ、お前ってやつは、もう……!」


「……大変申し訳ありません」


 ユリから生温かい視線を感じて、タカヤとアカネは同じように頬を染めて俯いた。もう少し格好良く説得できればいいのだろうが、今の隆也にはこれが限界だった。


「くそっ……なんで私がこんなことに……!」


 ゲッカを見つめるアカネの手が、今もなお震えている。数年前にトラウマを植え付けられた相手だ。そう簡単に克服できるはずもない。


 だが、今は昔とは違う。一人で立ち向かう時は、もう終わったのだ。


「アカネさん」


 そう言って、隆也は自分の手を震えるアカネの手へ添えた。ひんやりとした感触が、隆也の手のひらにゆっくりと伝わっていく。


「……大丈夫です。アカネさんの側には、俺がついてます。半人前だからちょっと頼りないかもしれないけど、その分ぐらいは支えることができる」


 折れてしまったアカネの心は、もう元通りにはならないかもしれない。自分がいかに無力であるかを、彼女はゲッカを通して思い知ってしまった。


 だが、今のアカネには仲間がいる。隆也がいて、ミケがいて、師匠がいる。お願いすれば、シーラットの皆も助けてくれるだろう。


 一人では無理でも、皆で支えれば、折れた心を立て直すぐらいはできる。


「……いいのか? 本当に、私で」


「はい」


「刀を握ろうとするだけで、ここまで震えている。いつまでたっても臆病者の私を、それでもお前は支えてくれるのか」


「大丈夫です。俺だけじゃなく、みんなも。ねえ? そうでしょう?」


 隆也は、背後にいる二人に声をかけた。


 約束より少し早く迎えに来たエヴァーと、彼女に連れられたミケだ。


「そうだな。辞めるとは言われたが、私はまだ認めてないしな。弟子をとるからには独り立ちまで面倒を見る……それが、師匠としての責務だ。まあ、フジに借りた金のこともあるが」


「ミケも、アカネがいてくれたほうがうれしいよ?」


「師匠、ミケ。私、私は……」


 気づくと、アカネの頬から、ぽろぽろといくつもの滴が伝っていった。拭っても拭っても、アカネの黒く澄んだ瞳からは、涙があふれ続けてる。


 それが本心だった。アカネも、本当は隆也たちとともに居たかったのだ。


 ゲッカを強く握りしめたアカネの手から少しずつ震えがなくなっていくのを、隆也は感じていた。

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