第166話 折られた心


 ×××


 悠々と月花一輪に触れた瞬間、アカネは、自分が、いや、この計画にかかわったすべての人間が、間違いだったことに気づいた。


「ダメだ、これはダメだ……!」


 月に一度だけ、シマズを覆う雪雲が薄くなり、そこから顔を出す月の光を浴びて、その姿を現す月花一輪。

 

 青白い光を纏う、息をのむほどの剥きだしの刀身に、肌が触れた瞬間だった。


【あなたには、その資格がない――】


 アカネの頭に直接、そんな声が響く。子供とも大人ともつかない口調で、その刀は言った。


 瞬間、アカネの全身から、熱という熱が奪われた。それまで彼女の中で猛っていた炎だけではなく、体温でさえも。


 跪くように這いつくばる少女に、今や先祖の面影などこれっぽっちもない。あるのは、ただ全身を恐怖で震わせるか弱い黒髪の少女だったのである。


【幻を使って『私』を欺いた――その判断に間違いはない。弱いから、その差を補うために策を弄することは。昔から、そうやって私を滅ぼそうと】


「昔、から……?」


 そんなはずはなかったはずだ。この計画を企てたのは、両親たちが最初で、歴代の月守たちは参加していないはずだ。


 その証拠に、月守の巫女であるフジは一貫して『月花様に逆らうべきでない』の一点張りで、一切協力することはなかった。先代も、そのまた先代も、同じ立場だったと。


 なんて腰抜けたちだ、と両親やアカネ、それに仲間たちは愚痴を言い合ったものである。


【だが、それではダメだ。私の目的を果たすために、私は強い者を主とする必要がある。知恵がいらないわけではない。だが、その知恵は『私』と真っ向から戦うために使われなければならない。だから、あなたには、その資格がない】


 そう告げられた時、アカネは間違いに気づいた。


 おばあさまだって、ひいおばあさまだって、この状況をなんとかしようとしていたのだ。巫女は、それぞれの時代で最も力に秀でたものがなれる。それは、アカネと同じように。


 フジが頑なに『逆らうな』と言っていたのはそれが理由だったのだ、やっても、どうせこんなふうになってしまうから、と。


 だが、両親含む若い者らはそれがわからなかった。明るい未来のことだけ考えて忠告を無視し、秘密裏に作戦を進めてしまった。


「あ……げ、月花、さま……ご、ごめん、なさい。私が、私たちが間違っていました。だから、許して……」


 恐怖と寒さで震える歯をがちがちと鳴らして、アカネは必死に月花一輪に土下座をし、心から謝罪する。


 ただ刀身に軽く触れただけでこの有様だ。もし目の前の彼女が少しでも力を解放したのなら、アカネは一瞬にして殺されるだろう。


【……許しません。あなたは報いを受けなければならない。『私』を欺くという愚かな働きに対する報いを】


「ひっ……!?」


 キン、という鋭い金属音とともに、青白い光が閃いた。これから何が起こるのかはアカネにはわからない。だが、そんなことを気にしてもしょうがないことだ。


「ごめんなさい、お父さん、お母さん、みんな――私は、無力だった」


 どうせ、結果は変わらないのだから――。


「「――アカネッ!!」」


 しかし、次の瞬間、そんな声とともに、アカネの体にかぶさった二つの影があった。


「おとう、さん。おかあ、さん……?」


 ごめんなさい、ごめんなさい――暗転する意識の中で、母親であるユリの声が遠くから響いていた。



 ×××



「――私たちの話は、これで全部です。フジ様がとっさに教えてくれたおかげでアカネは助かったけど、その代わりに私は両腕を、そして夫は両脚と声を失った。この子の怪我はすぐに治ったけど、もう昔ほどの力は出せなくなってしまった」


 ユリの話を聞いて、ようやく隆也は、アカネがこれほどまでに頑なだったわけを理解した。


 アカネは自分一人で責任で背負い込んでいたのだ。もちろん彼女一人のせいでないことは明らかだが、それでも責任感の強い彼女は、今もなお自分を責め続けている。


 自分にもっと力があれば、才能があれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに、と。


 アカネの心は、もうずっと前から折れてしまっていた。


「……もう、わかっただろう。私は、本当は弱いんだ。天才でもなんでもない、ただちょっと炎の術だったり、剣が使えるだけの。そんな私が、タカヤ、お前みたいな『本物の天才』の隣に立つ資格なんて……だから私のことなんて――」


「いやです! 放ってなんかおきません!」


 しかし、なおも隆也はそう言って、どっかと胡坐をかいた。


【……! ……!?】


 ゲッカがさっきから隆也の頭の中で、何事か喋りかけているが、そんなことは関係ない。


「資格がないとか、弱いとか、そんなことどうでもいいことです! 俺がアカネさんに力になってほしいと思っているから、隣にしてほしいと思ったから、わざわざこんな孤島まで来たんです」


 そう言って、隆也はアカネに刀を差し出した。彼女の炎をイメージした、緋色の鞘に収まっている、その刀を。


「――お願いします。俺のために、この『ゲッカ』をアカネさんの新しい相棒にしてくれませんか?」

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