第77話 アザーシャ 1


 高速で飛翔するムムルゥに抱えられた隆也が再び目を開けることができたのは、レティやフェイリアと別れてから、数十分ほども経ってからだった。


 隆也がそれまで体感したことない速度で、それだけの時間を移動していたのだから、距離的には相当長いものになっているはず。


「……もう大丈夫ッスよ、タカヤ様。領地に着きました」


 耳元でやさしくムムルゥが囁いてくれたと同時に、スピードが徐々に落ちていく。

 

 それまで、まるで壁の中を突き進んでいるような感覚にさせてくれた風圧も、凪のようにぴったりと止んだ。


 隆也は恐る恐る瞼を開き、眼下に広がる魅魔族の領地の風景を眺めた。


「……ここには、多少自然が残っているんですね」


「私達魅魔族が領地にしている北東地域は、レッドデーモン達が棲家とする南西よりも、瘴気の濃度が大分薄いッスからね。それでもまともな植物は枯れてしまってるッスが」


 確かに、視界の先に小さく映る草木は、どれも丈は短いうえに、ほんの少しだけついている葉っぱの類も、まるで炭のように真っ黒である。


 目を凝らすと、多少花びらもつけている植物もいるが、黒と黄色のまだら模様だったり、妙な黒いブツブツが浮いている巨大な赤いものだったりと、なんだか妙に禍々しい色合い。


「まあ、アイツらデーモン種が魅魔族わたしたちのことを『出来損ない』と呼んで蔑むのはそれが理由なんスけどね。私やレティは瘴気を自身の魔力に変換して自身の力に出来る器官が発達してるっすけど、それはあくまで特別ッスから」


 ということは、彼女達以外では、瘴気に対して耐性の弱い個体もいるということなのだろう。


 魔界に漂う瘴気に耐えるために進化したのが魔族なのに、ちょっとでも環境がひどくなれば生き残れないというのは、確かに、種族としての純粋な強さを重要視する彼らにとってしてみれば、『魔族』としては出来損ない、という考えになるのかもしれない。


「魅魔だって、いいところはあるのに……」


 ぼそり、と隆也は一人呟いた。


 魔界では蔑ろにされがちかもしれないが、彼女達は彼女達で他の種より優れているところはあるはずだ。


 純粋な力比べでは負けるかもしれないが、闇魔法の扱いには慣れているようだし、それに何より、魅魔族には人間をあっさりと魅了してしまう美貌がある。


 ただの力自慢だけの戦士よりも、よっぽど使いどころがあると思うのだが。

 

「……ふふ、タカヤ様にそう言ってもらえると嬉しいっス」


 そう言って無邪気に微笑むムムルゥもかわいいと隆也は思う。


 ちょっとドジで抜けているところもあるけれど、でも、どこか憎めない。困っていると助けたくなってしまうような人柄。


 彼女をそうやって見てみると、レティが、偶にぶうたれながらも彼女のメイドとしての役割を、ずっと隣で勤め上げている理由が、彼にもなんとなくわかったような気がした。


「さて、ババアの根城まではあともう少しっスよ。さっさと顔合わせだけ済ませて、後はレティ達二人を迎えにいきましょう」


 × ×

 

 アザーシャが隠居生活を送っているという城に二人が着いたのは、彼女達の領地に到達してからすぐのことだった。


 城といったが、その規模は小さく、城というよりは大きな屋敷といったところだろうか。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「お帰りなさいませ」


 ムムルゥが門の前に降り立つと、門番を務めているらしい魅魔の二人がすぐさま頭を下げる。レティのほかに、ムムルゥやアザーシャに仕えているのだろう、レティと同様のメイド服にその身を包んでいる。


 一瞬、二人の視線が、ムムルゥの隣にいる隆也のほうを向くが、特に動揺した様子はない。


「レミ、ヤミ。ババ……じゃない、お母様はどちらに?」


「アザーシャ様は、私室にて、お嬢様とお連れ様の到着を待っておられます」


「到着したらすぐにお連れ様とともに全速力で駆けつけよ、と。ご機嫌がすぐれないようなので、お気をつけください」


「すぐれない、か。タカヤ様、顔が盛大にひしゃげた時のための体力全回復薬フルポーションとか持ってないっスか?」


「すぐれないだけで顔が破壊されるんですか!?」


 どんだけ凶暴な母親なのだろう。武闘派にもほどがあると隆也は思う。


 体力全回復薬フルポーション。一応あるにはあるが、フェイリアに渡したの者含めて、それは『失敗作』である。なので怪我の治療にはなるべく使いたくないのだが。


「……あの、ムムルゥさん」


「……はい、何っスか」


「……どうしても会わなきゃダメですか」


「……奇遇っッスね。私もちょうど今そう思ってたとこッスよ」


 レミとヤミという二人の魅魔メイドに案内されてアザーシャの私室の扉に着いた瞬間、二人の意見がちょうど一致する。


 なんというか、怖い。


 気配の察知や魔力探知に関しては素質ゼロのはずの隆也ですら感じる、扉の隙間から流れ出る黒い殺気。


 逃げろ、今すぐ逃げろ……そう、隆也の中の動物的本能がそう告げているような気がした。


 無言で顔を見合わせた隆也とムムルゥは、


「「よし、いったんここから離れよう」」


 と意見を一致させる。

 

 だが、隆也とムムルゥが扉から背を向けた瞬間、


「ぷっ——」


「……え?」


 視認できないほどの速さで黒い閃光が通り抜けると、それまで寄り添うようにして隆也の隣に立っていたムムルゥが、忽然と姿を消した。


 それと同時に、城内を怒号が響き渡る。


「――そこにいるのはわかっているのだぞ、ムムルゥ!! 逃げて、母の時間をまた無駄に浪費させる気か! このおおたわけがっ!!」


 粉々に破壊され尽くした扉の奥で仁王立ちの状態で佇んでいる、娘と同様の褐色の肌をもった美貌の魅魔が、高圧的かつ見下すような紫色の瞳を、ヒトである隆也へと向けた。


「――よく来たな、ニンゲン。我はアザーシャ……元『魅魔煌将』で、そこで気絶している愚かな娘の母だ。ヒトとはいえ、今日のお前は客だ。しっかりと『歓迎』してやるゆえ、覚悟しておくのだな」


 これまでの人生の中で、これほどまでに『いいえ結構です』と叫びたい状況があっただろう。


 アザーシャが投擲したのだろう、ムムルゥの顔面に垂直に突き立った魔槍トライオブダルクを見、隆也はただひきつった笑顔を晒すしかなかったのだった。

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