第226話 賢者の遺骸
「――す、すぐ、つきます、ので。……どうぞっ」
そんなミリガンの声と同時に、転移魔法が解除されようとする。闇の魔力が晴れた先にあるのは、おそらく、殺されたというシャムシールの亡骸だろう。
「……どうしたよ?」
「いや、死体をまともに調べるのって、俺、何気に初めてだから。……ちょっとビビっちゃって」
これまで激しい戦闘はいくらでもあったし、大怪我を負ったり、または負わせたりする場面には幾度となく遭遇したが、魔獣や魔族などの類ではなく、人間の死を目の当たりにしなければならない状況は、運がいいのか悪いのか、なかった。
「じゃ、いい機会だから、じっくり隅々まで観察して慣れておけよ。……この世界の命は、お前が思っている以上に軽いんだからな」
この世界でもかなりの年月を過ごしているはずの光哉である。しかも隆也と違って、彼の転移先は最初から魔界だ。死にかけだったところを、ティルチナに拾われる幸運で、今、魔王(代理)という立場として、この世界に存在している。
当時の経験が言葉から滲み出てくるかのような忠告だった。
「では、シャムシールさん、お部屋へ――」
と、転移魔法を解除しきったところで、ミリガンの表情が固まった。
「? どうした師匠」
「……え、えへ、」
「お、おいまさか――」
覆っていた黒い魔力が晴れた瞬間、隆也たちは、シャムシールの自室……ではなく、その遥か上の中空に位置していたのである。
下に目をやると、豆粒ほどのウォルス山の火口が。
「転移、久しぶり、なんで、失敗……その、え、えへ」
「バカやろッ! お前それでも賢者の端くれか!」
「光哉、叱ってる暇は……お、落ちるッ……!」
支えを失った四人は、重力に引かれるまま、速度を上げつつ地面へと真っ逆さまに落下していく。
「ったく、この姿は目立つから嫌だってのに……このアホ師匠!」
「えへ、申し訳、なく。……ついでに、もう魔力切れ、助けろ、ください」
大きく舌打ちすると、光哉が背中から大きな翼を生やした。形状はムムルゥに似ているが、内包している魔力に比例しているのか、その大きさは段違いだ。
「重ッ……師匠、アンタまた太ったな?」
「光哉さん、レディに、重い、言うの、失礼」
「やかましいわ、ババアッ! ……おい、半蜥蜴人! 師匠を殺された身で色々考えることはあるだろうが、ここはひとまず隆也のことを頼む」
「……仕方ない」
皆より一足先に落下していく隆也を、レグダは急降下で追いかけていく。
「背中に乗れ、そして捕まっていろ」
「ご、ごめんなさい! 恩に着ます!」
翼を器用にはばたかせて上手く真下に滑り込んだレグダの背中に、隆也はしがみついた。
無我夢中で隆也がしがみついたのは、ちょうど、シャムシールの『実験』によって変色した鱗だった。
「世話の焼ける……このまま落下するぞ!」
「あ、えっと……はい、お願いします!」
山頂にいる人々から見えないよう、火口から勢いよく吹き出す蒸気に紛れ込みながら降下していく。光哉もそれに倣って追いかけてきているようだ。
「ふ、ふう……今のはさすがに焦った」
「すまん、隆也。うちの似非賢者が」
「え、えせじゃな――わああん、た、叩くの、禁止です~」
頭を抱えて縮こまる闇の賢者ミリガンと、それを無視して防御の上からバシバシと彼女を叩く光哉。
二人を見ていると、どっちが師匠でどっちが弟子なのかわからない。
「……師匠なのに、容赦ないね」
「まあ、長い付き合いだからな。お前だって、後少しすれば、こんな感じになるさ」
「そうかな」
エヴァーと対等な関係になる……なんとも気の遠い話だ。少なくとも、彼女の行動に疑問符がつくような状況では、一生その時は訪れないだろう。
エヴァーがシャムシールを殺したとは思いたくない。信じたい。
「行こう、光哉……」
だからこそ、この目ではっきりとさせなくてはならない。
光哉とミリガンのように、お互いがお互いを信頼できるようになるために。
「……ここだ。いつの間にか、侵入しにくくなってしまっているようだがな」
「く……」
数日前、初めてシャムシールの元を訪れた際に通った穴は、今はどこからか伸びてきた木の根で覆われている。
自身の魔力を練って種を生みだし、そこから発芽した根っこを操る魔法である。種のもとになる魔力の質が良くなるほど、木の根の強靭さは増し、ちょっとやそっとの魔法や刃物ではびくともしない。
「注意しておけよ、隆也」
「え? あ、ああ、うん……」
そう言って、光哉は根っこに向かって、黒い炎を飛ばした。
「
瞬間、穴をふさいでいた根っこがみるみるうちに穴の奥へ奥へと引っ込んでいく。その隙をついて、レグダを先頭に四人はシャムシールの亡骸のもとへと向かった。
「……シャムシールさん」
縦横に巨大な木の根っこが這いまわっている部屋の中心。
散らばったツリーペーパーの上におびただしい鮮血を散らして、心臓を銀剣で一突きにされ息絶えているシャムシールがいた。
隆也は、すぐさま手を合わせる。
「……真面目だな」
「こっちに来て日は浅いからね。習慣はそう簡単には抜けないよ」
「それもそうか。じゃ、俺はさっさと失礼させてもらうぜ」
そう言って、光哉はお構いなしに現場内へと足を踏み入れ、血のこびりついた研究資料、そしてシャムシールの亡骸を隅々まで調べていく。
「なあ、師匠。確か六賢者って、一人でも自分以外の賢者がいると魔法が使えないんだったよな?」
「ええ。波長? 魔力? 私も、知らない、ですけど、それが共鳴して、強制的に、魔法が使えなく、魔力が、ダメになるというか」
魔法でなく、わざわざ剣を用いたのはそれが理由である。エヴァーも以前言っていたことだが、他の賢者の一人でも近くにいると、『魔法の使えないただのお姉さん』と化してしまうのだと。
「争った跡……は、この状況じゃわからんか。ただ、心臓の傷以外に目立った外傷は……いや、心臓がないし、それに……ん?」
「どうかしたの、光哉?」
「ん? ああいや、ちょっとだけ気になったんだが……なあ、師匠」
「はい?」
きょとんと首を傾げるミリガンへ、光哉は訊く。
「――六賢者の肉体ってのは、ただのハリボテだったのか?」
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