第283話 海の奥深くの底で


 こうして海に潜るのは、エヴァーのために海の賢者のもとへ訪れて以来二回目だが、空気の膜にしっかりと守られているとはいえ、どうも癖で息を止めてしまう。


「じゃ、潜るぜ」


「むぐ……う、うん」


 ラルフの背にしがみついて、隆也は海の奥深くへと潜っていく。


 アンブレイカブルは取れる場所ははっきりしているものの、かなりの深さまで潜らなければならず、水圧などの関係もあって、簡単に採掘することはできない。


 今回狙っているアンブレイカブル鉱石は、水深約1000メートルほどのところ。


 この世界でそこまで潜るためには、魔法を使うしかない。もちろん、どれだけ強い水圧がかかっても耐えられるよう、より高い素質と魔力量をもった人間が適任だ。


 高い魔力レベルと、深い海でもなんなく潜ることのできる体力の持ち主。

 

 考え付くかぎりでは、隆也にはラルフしかいなかったというわけだ。


「ラルフ、どう? 順調にいけそうかな?」


「もともとベイロード付近は魔獣が少ないからな。さっきからサメが俺たちの様子を伺っているが、俺が強いから特に問題ない。ちょっと脅してソイツに潜らせるか?」


「……いや、このままで」


 敵のほうは考えなくてもよさそうだ。


 しかし、ラルフだが、海中であっても、まるで海上にいるかのような動きを見せて、水の抵抗をまったく苦にしていない。これは心強い。


 海からの光が徐々に届くなり、それまで美しい姿を見せていた海の景色が、一瞬にして、夜のような暗闇へと染まっていく。


 この場所になるとまた危険度が一段と上がる。以前の世界でも、深海では未知の生物などが確認されていたから、異世界ともなれば、より得体の知れない魔獣たちが生きをひそめているだろう。


 先ほどラルフが仕留めたデビルクラーケンも、本来なら深海を主に生息地としている魔獣である。それが最近になって上がってきたということは……一応、警戒するに越したことはないだろう。


「――タカヤ、頭下げろ」


「え――」


 指示通り下げたところで、ラルフがなにかを掴むような仕草を見せる。


「な、なに?」


「ん? いや、ダツが突っ込んできたから捕まえたんだけどよ……これ、ここの海域のやつじゃねえな」


 ラルフの手のなかでびちびちと抵抗しているのは、体全体が真っ黒のダツ。まるで深海に侵入してきた敵を闇討ちするためだけに生まれたような魚だが、問題は、この海域に本来いないということだ。


 この世界での一般常識として、ベイロード海域に出現する魔獣たちは、危険度は少ないと言われている。だが、本来深海にいるものが浅瀬に、そして本来別の海域の深海に生息するものがベイロードの深海にいるということは、海の中で、なんらかの異常が起きている可能性がある。


「……ラルフ、どうする? 一応、慎重を期していったん戻ってもいいけど」


「いや、いい。ここで帰ったら次の休暇まで日がだいぶ空いちまう。前金、依頼料、成功報酬も一部はちゃんともらってるから、もらった分はしっかり仕事させてもらうぜ。それに、」


 海の奥深くをじいっと見つめながら、ラルフはにやりと笑う。


「もし、海で異常が起きてて、例えばクソ強え魔獣が出て来てるんだとしたら……絶対に戦わねえと、損、だからな……!」


 彼は生粋の冒険者だから、そういう時こそ血が騒ぐのだろう。


 元々、現在攻略中だという境界においても、自分の怪我をかえりみずに嬉々として進んでいく性格だし、それがより闘志に火を点けた可能性はある。もちろん、自分の故郷が魔獣によって潰されたという過去の記憶も手伝っているかもしれない。


 まあ、こちらとしても長い間相棒なしは避けたいところなので、今は自分の依頼した冒険者の実力を信じることにしよう。


「うーし、体も心もあったまってきたところで、そろそろスピード上げるぜ。俺の首絞めるぐらいの気持ちで、しっかりつかまってろよ」


「わかっ……うわっ!?」


 思い切りラルフの首に腕を絡ませた瞬間、まるでギアが一段上がったかのように、海の中を『落下』していく。


「はっはー! どけどけ海の雑魚ども! 後ろのタカヤにおいしい刺身に捌かれたいヤツだけ、かかってこい!」


「それだと俺にかかってこないかな? 大丈夫?」


 一抹の不安を抱えながら、隆也は深海1000メートル、ベイロード沖海底火山の火口付近へと辿りつこうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る