第255話 復活 2


 ※


 とぷん、という音がロアーの耳元で響いた。


 誰もいない、さざ波すらない静かな海の中へ静かに潜り込んだような感覚。


 もちろん、実際は隆也の上に軽くのしかかっているだけで、隆也の体内に入り込んだわけではない。相変わらず暗い穴の底で、冷たい空気に意識を飛ばされそうになるのを耐え忍んでいるだけだ。


 あくまで幻、脳が作り出した虚像。


 しかし、今のロアーは、確実に大海の底に沈み、そしてもがくようにして暗い中を進んでいた。


「これが、アイツの見ていた世界……」


 簡単にやっているのだろうとばかり思っていた。実際、隆也はどんな仕事でも『大丈夫だよ』と涼しい顔をして取り組んでいた。あれだけできれば楽な人生だな、と。


 誰にもこぼさなかったが、ちょっとばかり嫉妬することも。


 だが、こうして、完全な再現とはいかずとも隆也に今なら言える。


「やっぱすげえよ、タカヤ。俺なら、もうとっくにへこたれてる」


 ロアーの口から正直な感想が漏れる。不可思議な状況に足が竦み、本能がここから逃げろと言っている。


 隆也はきっと、こんな状況に何度も何度も巻き込まれ、そして乗り越えてきたのだ。


 そんなことになれば、確かに小さな貧乏ギルドの財政状況を立て直すことなんて訳ないだろう。


 ロアーよりも年下で、まだあどけなさを顔に残した小さな英雄。


 そう考えると、神狼でも魔族でも賢者でもなんでも引っ張ってきてしまうはずだ。ロアーが女でも、きっと放っておかなかったろう。仲間のメイリールが不憫で仕方がない。


 そんな英雄が、今、これまでにない苦境に喘いでいる。以前のように体をボロボロに傷めつけられたわけではない。ここで失敗しても命まで取られるとはない。


 だが、このままだと隆也は間違いなく死ぬ。


 これまで幾度となく周囲を驚かせ、そして助けとなってくれた『英雄』としての隆也が、という意味で。


 ロアーもメイリールもダイクも、おそらくシーラットに関わる全ての皆は、そうなっても隆也を見捨てることはない。能力が元通りにならなくても、これまで隆也がやったとこまで失われるわけではないのだから。


 問題なのは、隆也がどう思うかだ。才能がなくなった以上、隆也にできることはほとんどなくなる。デスクワークぐらいなら任せられるだろうが、これまでのように調合や鍛冶、そして冒険者としての仕事はできなくなる。


 お人よしの隆也のことだから、そうなれば、きっと必要以上に責任を感じてしまう。ダイクのように神経が呆れるほど図太ければいいのだが、隆也は繊細な人間だ。職場の片隅で、ふさぎ込む姿がはっきりと想像できる。


「――ごめんだぜ、そんなのは」


 隆也には、これからもシーラットのエースでいてもらわなければならない。そうじゃなければ、能力に目覚めてしまったロアーにすべてのしわ寄せがくるからだ。


 そうなれば、ロアーの胃痛がますますひどいことになる。これまでその症状を和らげてくれていた隆也特製の胃薬の補充が期待できなくなるのに。


 そんなのはごめんだ。


 隆也には、みんなの中心で笑っていてもらう。その役割は、きっと隆也にしかできないはずだから。


「だからよ、タカヤ……お前にはこれからも涼しい顔で『英雄』をやってもらうぜ。じゃなきゃ、俺の胃に大穴が空いちまう」


 そのために、今は気合を入れ、より深く隆也の内部へと潜っていく。


 もともと才能があったと思しき場所へと。



 もがくようにして深海のような内部を進むと、ふと、なにかにぶつかるような感触があった。


「なんだ……? 壁……?」


 真っ暗闇なので、明確には見えないが、確かに行先を通せんぼしているなにかが存在している。


【――……―#$】


「あ? なんだ?」


 なんとかならないかと思い切り腕に力をいれたところで、正体不明の声が響いた。


【――……―#$】


 声はなおも続く。いや、これは声だろうか。人間の声にしては抑揚がなく、なんだか気持ちが悪い。耳からではない、頭に直接響く感覚。それが余計に嫌悪感に増大させた。


 多分、先程隆也から聞かされた現象なのだろう。隆也はここを突破しようとして、攻撃を受けたそうだ。


【――……―#$】


「うるせえな……」


 だが、ここで退くことなどありえない。


「大丈夫……絶対いける」


 目を閉じ、肺の中にたっぷりと空気を入れる。


 策はある。うまく行けば、隆也ですら超えられなかったこのわけのわからない『壁』を超えることができるだろう。


 あとは、躊躇いなくできるかどうかだ。


「借りるぞ、メイリール、ダイク……」


 両肩に二人の体温を感じる。おそらくロアーに寄り添ってくれているのだろう。


 二人のリーダーとして、たまには格好いいところを見せなければならない。


【――……―#$】


「だからうるせえって……言ってんだろうが!!」


 いったん距離を取ったロアーは、思い切り『壁』に向けて突貫を開始する。


【――……―#$】


「すまんが、通させてもらう……!」


 そうして、ロアーは『壁』の前から消えた。



 ※◇●▽▼□●◇※


 ――――?


 なんだ、何が起こった。


 さきほどまで間違いなくそこにいたはずだ。


 才能はあったようだが、それまでの侵入者と較べても、警戒するほどではないレベルのはずだ。


 それなのに、どうだ。


 突破されている。


 これまで誰一人として突破できなかった、強固な秩序の壁が。


 もちろん、いずれは突破されるだろうとは思っていた。前回の侵入者などは特にその可能性を感じさせた。

 

 だが、さすがにこの展開は予想外だった。


 壁を破った……いや、正確にはすり抜けたと言うべきだろうか。


 しかも、それを成し遂げたのはこの世界の人間だ。恩恵を受けた転生者ではない。


 ――面白い。


 もういい加減飽き飽きしていたが……どうやらこの世界、まだまだ私を楽しませてくれそうである。

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