第106話 激突 1
斬魔鬼将の拠点である城の、とある一室で、ムムルゥは、その時が訪れるのを静かに待っていた。
といっても、静かにせざるを得ない状況である。
まず、余計な抵抗ができないよう、鋼鉄製と思しき頑丈な手枷と足枷がはめられている。鉄製というだけなら、魔法を使っていかようにもできる力を彼女は持っているが、それも対策済みのようで、うまく魔力操作ができないようになっている。
そして、この部屋は牢だ。見張りの手下たちが定期的に入れ替わり、何かおかしな行動を起こさないよう、逐一、行動を監視されている。
「……タカヤ様」
狭い牢の部屋の片隅で膝を抱えて座るムムルゥが、そんなことを呟いた。
魔界において、誰かの嫁になるということは、つまり、その者の孕み袋として一生を過ごすというのと同義だ。魅魔という種族は、魔族の中では特に生殖能力に長けていて、種さえあれば、次世代を必ず、確実に残すことができる。
それこそ、ライゴウが治めるデーモン種だろうが、ヒトだろうが、ケモノだろうが。
その中で、彼女はもっとも群を抜いて能力が高い。魔族の素質は、ヒトのような突然変異が起こることはまずない。上限レベルの差はあるが、必ず、父と母の能力を受け継いで生まれる。
デーモン種は単純な腕力等は魔族なかでも群を抜いているが、魔法はからっきし、ということが多い。種族としてその欠点を埋めていくのであれば、それは他種族からもってくるしかないのだ。
だからこそ、斬魔鬼将は彼女に目を付けたのだろう。
「嫌だな……」
合理的に考えるのであれば、ライゴウの子を宿すことは、それぞれの種族を強くするため、というその一点だけを考えれば悪くはないと思う。
前まではそれでもいいと思っていた。それが、種を代表するといっても過言ではない『四天王』としての自分の役割であるなら、仕方がないことだと。
しかし、今の彼女自身の心は、それを頑なに否定する。
ムムルゥの脳裏に浮かぶのは、たった一人の、ただ呆れてしまうほどにお人好しなヒトの少年の顔だった。
別れ際、彼はムムルゥに『待っていてくれ』と言っていた。必ず新しい槍を、彼女自身のもとに届けると。
その時のことを思い出す度、彼女の胸はどうしようもなく高鳴ってしまう。魔界で、もしくは潜入先の人間界で、過去、彼女も色々な男から言い寄られたことはあるが、こんな気持ちになったのはこれまでで初めてのことだった。
彼は、必ず約束を果たす。ムムルゥはそう信じている。
トライオブダルクを超える魔槍を届ける。そんな、俄かには信じがたい話。
だが、タカヤ少年ならやり遂げてくれる。だからこそ、今こうして、牢にぶち込まれている状況でも、彼女はじっと、辛抱強く待っていたのである。
「――ムムルゥさん!!」
「っ、タカヤ様……!!」
こうして、反撃の狼煙があがる時を。
×
「――ムムルゥさん! 俺です、隆也です! 約束通り、届けに来ました!」
斬魔鬼将の本拠地である『ゼルガレア』という城の城門前で、レティやフェイリア達から一歩踏み出た隆也は、思い切り声を振り絞って叫んだ。
手には、もちろん、これからムムルゥに渡す予定のトライオブオールが握られている。これを使って城門を突き破り、姫を救いに来た騎士よろしく、彼女の待つところまではせ参じればどれだけ格好いいかと思うが、残念ながら、槍を両手で抱えることがやっとの隆也では土台無理な話である。
下級魔族三人に、ハイエルフ、そしてただのヒト。
ライゴウは、間違いなくこちら側を侮っている。だからこそ、彼はこんなにも悪趣味な手紙をよこし、仲間達の、いや、隆也の目の前で、ムムルゥを自身のものしようとしているのだろう。
しかし、だからこそ、そこに隆也達が付け入る隙がある。
「……タカヤ様!」
重く閉ざされた巨大な石扉が開き始めると、空いたわずかな隙間に体を捻じ込んで外にでたムムルゥが、一目散に隆也のもとへ駆けてくる。
「ごめんなさい、ムムルゥさん。遅く、なりました」
隆也の言葉に、ムムルゥはふるふると首を振った。ボロボロになった戦闘衣、ぱさぱさになった紫の髪。手にはおそらく魔法の使用に干渉する枷がはめられている。脚のほうにも枷がきつく装着されていたのか、足首にその痣が痛々しく残っていた。
「――来たか、ニンゲン。我の恐ろしさに怖気づいて来ないとも思ったが……どうやら勇気だけはあるらしい」
「……斬魔鬼将」
言いながら、デイルブリンガーの刀身を肩に担いだライゴウが、ムムルゥの後に次いで姿を現した。
その後ろ、そして、城門の上からも、ライゴウの手下たちが大勢控えている。
見届け人、ということだろうか。
「……反吐が出るな」
「同意見ですね。自分達を王様かなにかと勘違いしているのでしょうね。それが小さなお山だと気付かず」
「フン、活きがいいな。下級魅魔にハイエルフ。貴様らも、我らの『嫁』となるか?」
嫌悪感を欠片も隠さずに言い放つフェイリアとレティを、ライゴウは、背後に控える仲間達とともに嘲笑した。雑魚のくせに、力で抑えつければ何もできずにただ泣きわめいて命乞いするしか能のないくせに、と。
二人の怒りはすでに頂点に達しているが、ここはまだ耐えてもらわなければならない。
「魅魔煌将よ、その槍をとれ。先のお前との戦いは、それがなかったせいで茶番もいいところだったからな。後、それからニンゲン」
「なんだ? 残念だけど、俺は戦えないぞ」
「そうではない。慈悲深い我が、貴様にも、別れの言葉をかける機会を与えてやろう。魅魔煌将も、貴様のことを特に気にかけていたようだからな」
「……下衆野郎め」
だが、今はまだそれでいい。
隆也は、まだ愚かなヒトでいなければならない。
この後の勝利を確実なモノにするために。
「タカヤ様、気にしなくていいっスよ。あんなヤツ、この槍で私がブッ潰してやるっスから」
いつもの明るい顔と口調で、ムムルゥがにしし、と笑う。余計な心配をかけさせまいと表情をつくるその姿が、隆也を初めに闇の淵から救い上げてくれた誰かのものと重なった気がした。
「ムムルゥさん……その、一つ、いいですか?」
「? なんスか? 愛の告白なら、この戦いが終わった後にでも——むむっ!?」
ムムルゥが冗談を言い終わる前に、隆也は、ついに行動を起こした。
「んぅ、んぅうぅ……!??」
「ムムルゥさん、本当にごめんなさいっ……!」
突然、相手の唇に自身の口を塞がれて顔を真っ赤に上気させたムムルゥに、隆也は一言そう呟いたのだった。
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