第217話 儀式


「むぅぅ……」


「よしよし。ほら、髪の毛の方はちゃんと直してやったから、機嫌直しなって」


 シャムシールによってボサボサになったミケの体毛を、隆也はしっかりと手入れし直す。


 本来、ミケの鮮やかな銀の毛並みは丈夫そのもので、高熱や極寒の環境にもその輝きを失わない。だが、火山の賢者の魔力が余程すごかったのか、ところどころ焼けて縮れている部分が見受けられた。


「ん? おい、犬っころにつけてるその水、っつか液体? ってなんだ?」


「これは髪を整える薬みたいなもんです。今回は毛先にかなりのダメージを受けちゃったので、回復薬も少し混ぜてますけど」


 いわゆるヘアコンディショナーのようなものだ。こちらの世界だと似たようなものがなかったので、色々と試したうえで、それっぽいものを隆也のほうで調合しておいたのだ。


 女性陣にも好評で、商品にしても問題ないだろうとお墨付きをもらっている。


「ふうん、エヴァーの言う通り、本当に色々なモンを作るもんだな。……顔は全然似てねえが」


「……顔?」


「ああ、昔にちょっとな。……お~い、行くぞバカ弟子! 道具も忘れずにな」


「はっ」


 赤い鱗に覆われた顔が、部屋の入口で待ち構えていた。どうやらミケの髪の手入れをしているうちに戻ってきたらしく、手にはシャムシールのいう『道具』の入った箱があった。


 医療器具のようなものだろうか、小さな針や、メスのような刃物がちらりとのぞいている。


 火山の賢者のいう『儀式』……どんな内容なのだろう。


「ご主人さま、用事終わったあと、私はどこにいけばいい? この国、匂いがきつくて、ご主人さまのこと鼻で追えないの」


「硫黄の匂いか……シャムシール様、これからどこに向かうつもりなんです?」


「火山の立ち入り禁止区域内にある礼拝堂だ。ここからは地下通路で繋がってる。場所は……まあ、現地のやつなら誰でも知ってるさ」


 なら、メイリールに案内してもらえばいい。地元の人間が一人増えたところでさして問題はないはずだ。


 そのことを伝え、ミケといったん別れた後、隆也は、シャムシールとレグダの後を追って、暗く狭い火山内の地下通路、もとい洞窟を進んでいく。


 通路内はいくつも枝分かれしていたが、これは、礼拝堂や温泉、宿泊施設など、ウォルスの主要な場所に行けるよう作られているためで、シャムシール専用に国が用意したものらしい。


 ちなみに火燦亭も含めて、利用にかかる料金もいらないという。


 それだけ、この国にとって火山の賢者は大事な存在なのだろう。何をしているのかは知らないが。


「……着いたぞ、ここだ」


 十分ほど歩き、隆也たちは『儀式』の場所である礼拝堂へとたどり着いた。通路から階段をのぼって扉を開けると、そこにはすでに数組の、赤ん坊を抱いた夫婦たちが待ち構えていた。


 姿を認めるなり、礼拝堂にいた人々はシャムシールに向けて深々と頭を下げる。


「よう、市長。今日はこれで全部か?」


「左様にございます、賢者様。……ところで、そこにいる少年は」


 顎にひげを蓄えた初老の男が、シャムシールへ丁寧に頭を下げる。どうやら彼が夫婦たちを引率してきたようだ。


 彼の細い瞳が、レグダの傍らに立っている隆也のほうへ向いた。


「古い友人ダチの弟子だ。色々あってな、しばらくウチで預かってんだ」


「……なるほど」


 シャムシールの古い友人となると、およそ想像できるのは他の賢者ぐらいしかいないだろう。そこで察したのか、男は納得したように頷き、引き下がる。


「……師匠」


「わかってるよ、レグダ。んじゃ、一人ずつやってこうか」


 その言葉を合図に、夫婦たちが一列に並ぶ。と同時に、レグダが箱から道具一式を取り出して、シャムシールに手渡した。


 先ほど見た、物騒な道具たち。


「タカヤ、お前はこっちに来い。特等席だ」


 手招きに頷いて、隆也はシャムシールの隣へ。作業台、いや、ここでは祭壇とでも言えばいいだろうか。すでに一人目の赤ん坊が、寝かせられている。魔法か薬かはわからないが、祭壇にいる子を含め、すやすやと小さな寝息をたて、ぐっすりと眠っているようだった。


「シャムシールさん、あの、これから何を……」


「授けんのさ。賢者の加護ってヤツを」


 シャムシールがニヤリと笑うと、彼女が手にもっていた器具の先端に、小さな焔が灯った。目を凝らしてみると、豆粒以下だが、消えることなく揺らめいているようだ。


 ぷつり、と赤ん坊の肩付近に針の先端が触れる。灯っていた焔が、針から赤ん坊へと移り、わずかに白煙を上げつつ、徐々にとなる紋様を浮かびあがらせた。


 微妙に形や痣の感じは異なるが、間違いない。昨日、メイリールが見せたくれたものと同じだった。


「レグダ、紙を」


「はっ」


 次いで、シャムシールが手に取ったのはツリーペーパーである。慣れた手つきで皮膚片を採取して、紙の中心にそれを置くと、それに反応して、素質の『木』がひとりでに描かれた。


「反応なし、か。この子は普通だな」


 シャムシールはぼそりと言って、一人目の子を両親に返す。隆也も横からちらりと木を見つめてみたが、何が普通で、何が特別なのかはよくわからない。隆也のように、極端な反応を見せてくれれば話は別なのだが。


 その後も、同じように儀式は行われ、つつがなく今日の分の全員を終えた。


 儀式は六組分あったが、シャムシールが『反応あり』と判断したのは、そのうちの二人だけ。どうやら全員に何かが起こるわけではないらしい。


 市長以下、参加した全員がいなくなると、一仕事終えたシャムシールはふう、と一息つくように煙草に火をつけ、紫煙をゆっくりと吐き出した。


「師匠、お疲れさまでした」


「ん。ま、今日はわりとマシだったんじゃないか? いいサンプルが採れた」


 レグダの労いの言葉に応じつつ、シャムシールは今日採取した六枚のうち、『反応あり』と評した二枚のサンプルを眺めている。


「タカヤ、お前、他とこの二枚の違いわかるか?」


「それはまあ……だって、この二枚だけ、木のそばに花が咲いていたり、虫が飛んでいたりで、別のものが描かれて――」


 瞬間、隆也の脳裏に浮かんだのは、自分や、もしくは仲間たちの『木』だった。メイリールを始めとしたシーラットの面々、ムムルゥ、アカネ、ミケ、そして光哉。


 隆也や光哉といった異世界転移組の『木』はいささか異質な形をとっているので参考になりにくいが、参考にすべきは、メイリールとダイク。この国出身の、おそらくはシャムシールの儀式を受けたと思われる二人。


 ちょっとした異能が使える二人。


「――あの、もしかして、今やった儀式の目的って」


「……察しがよくて助かる。まあ、元から全部話すつもりだったけどな」


 ぼう、と手のひらにボール大ほどの火球を出現させて、シャムシールは静かに告げた。


「産まれた時点で決まっている才能の『木』を、後から人為的に書き換える。つまりは素質改ざん……それこそ、私がやっている研究の主なうちの一つで、儀式の本当の目的ってわけさ」

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