百世不磨の思い


「…………もう何でもありだな」

 具体的にはどうするつもりなのかは知らないが、楼は間違っても冗談は言わない。意思と目的は別と本人も言った通り、個人の想いはともかくとして、間違いなく実行はする。そういう人物だ。

「君が嫌うその罪を全て僕が引き受ける。そうしたら君も、ここを離れる理由は無いんじゃないの?」

「断る」

「早いね。何も記憶を全部奪おうって訳じゃない。君の嫌な記憶だけを譲ってくれればいいんだ。こんな都合の良い話は無いだろ」

「矛盾してるかもしれないが、俺は罪に目を向けたくない。忘れたい。でも記憶から無くすってのは、違うと思うんだ」

「何が違うのさ」


「俺は妹の存在を忘れたくない」


 矛盾は現実に存在できないが、人の心の中でのみ存在出来る。俺が罪から逃げたくなった理由は、間違いなく妹の死がきっかけだ。情けない。悔しい。どうしようもない。救われない。俺を兄と慕う妹が幸せになれない事が、理不尽で仕方ない。

 そして妹が死んだのは思い込みでも何でもなく俺のせいだ。俺が『首狩り族』だったばかりに悲劇が起きた。今まで『俺のせいじゃない』と慰められ、辛うじて逃げられていた罪を、一気に突きつけられた。それが辛かった。全てを忘れたかった。だから思い出せない間は、この世界が心地よくて仕方なかった。

「妹は俺のせいで死んだ。それなのに俺が忘れたら、妹は誰のせいで死んだ事になるんだ? 他でもない俺が、妹を忘れるなんて許されて良いのか? 逃げたいよ、忘れたいよ、自分は一ミリの罪もない潔白な人間だって胸を張って言いたいよ。でもさ、やっぱり忘れたくないんだ。俺には大好きな妹が居て、それが最近まで生きてたっていう記憶は忘れたくないんだ。妹だけじゃない。碧花の事だって忘れたくない。俺が何年アイツの事を好きになり続けたか、お前に分かるか? 小学校の頃からずっと、アイツの事が好きだった。アイツの笑顔が好きだった。アイツの優しさが好きだった。俺を俺として見てくれるアイツの瞳が好きだった。アイツが居なきゃ俺という人間は居なかった。俺の罪には、いつもアイツが居る。いつも俺を慰めてくれたのはアイツだった。嫌な記憶は、いつもアイツと分かち合っていた。それを忘れるなんて冗談じゃない。俺は、俺の犯した罪が嫌いだが、同時に俺という人間は、罪を犯して生きてるんだ。だからこそ、俺はお前達の事が好きだった」

「…………」

「俺は喧嘩が弱くて、身体もそれ程丈夫じゃなくて、頭も良くない。優秀な遺伝子なんて無いし、周りを不幸にする大罪人だ。そんな俺の罪が、罰なくして消えるなんて認めない。いや、罰があった所で、俺の罪は消えない。そんなのは罪に同程度の罰を与えて誤魔化してるだけだ。罪が消える訳じゃない。それでも罰は無くちゃいけない。あらゆる人間に劣る俺に罰があるとすれば、それは『忘れない』事だ。心も強くない俺が常に忘れないなんてそりゃ無理だ。現に今だって、忘却旅行の最中だったんだからな。でもお前に記憶を譲ったら、もうどんなに時間が経っても、どんなに俺の心が強くなっても、俺のせいで死んだ奴等を思い出せなくなる。だから絶対に記憶は譲らない。それをして、その後の俺が幸せでも、今の俺はそんな結末を許さない」

「君は―――矛盾してるね。辛いのが嫌なのに、辛い道を選ぶんだ。僕達と一緒に居れば幸せなのに、居ようとしない。罪を忘れれば楽なのに、忘れたくない。でも忘れたいなんて、何を言ってるのかさっぱり分からないよ。そんな矛盾が許されると思っているのかい?」

「許されないだろうな。でも許されなくていいんだ。妹殺しが許されちゃいけない。家族殺しが許されちゃいけない。それでも俺は生きてなくちゃいけない。碧花まで悲しませたくない。アイツは俺に生きていてほしいと言った。その為に生と死の理も無視して、俺を蘇らせた。そんな女性を悲しませたら、いよいよ俺は何なんだ? 好きな女の子を泣かせて何がしたいんだ? そんな事してまで幸せになりたくない」

 碧花は俺が幸せなら一緒に居ても良いと言った。でも俺はここに居たくない。罪から逃げられなくなるから居たくない。罪から逃げたくないから居たくない。また矛盾だ。俺の感情は、俺の贖罪意識は、俺の心は矛盾している。この矛盾は一言じゃとても説明出来ないし、そもそも人に理解されようという所から間違っているのかもしれない。

 それでも一つだけ確かな事がある。これは誰かに譲れるものじゃない。

 俺という人間が、首藤狩也が死ぬまで持ち続けなくてはならない矛盾だ。どんなに難解で、他人に理解のされない感情だったとしても、いや、だからこそ俺が持ち続けなきゃいけない。あれだけ俺に優しくしてくれた楼に、この記憶は譲れない。

 俺は自分の不幸を嘆くが、誰かに不幸を押し付けてまで幸せになりたいとは思わない。それをするくらいなら、そのまま不幸で押し潰された方がマシだ。

「もっと言えば、辛い記憶だけをお前に渡したら、俺という人間は変わってしまうかもしれない。お前達の事が大好きなのは、そういう色々な体験も含めて、俺という人格がここにあるからだ。だから、俺の為を思って言ってくれているなら申し訳ないが―――記憶を譲って、穏便に終わらせるつもりは毛頭ない。他のどんな提案も俺は受け入れる気はない。俺を止めたいなら最初に自分で言ってみせた通り、両足を切れ」

 楼は手に持った斧に一度だけ視線を落とす。それから残念そうに溜息を吐いて、苦々しく笑った。

「参ったな。気が進まない。でも切らなきゃ行くつもりなんだろ?」

「…………ああ」

「ならやはり、切るしかないか。悪く思わないでくれよ、狩」 

「思わないさ。俺もお前達と一緒に居たい。居られないのも俺のせいなんだ」

 さて、どうやってこの場を切り抜けようか。

 色々と言いたい事を言ってスッキリしたかに見えるが、それは心の中だけで、状況はむしろ悪化している。背後には雪、前方には俺の足を切る以外の選択肢を失った楼。墓守の二人は気を利かせてこの場に居ないのだろうが、それにしても雪に出入り口を塞がれている以上、俺はこの墓地の中でどうにかこうにか逃げ回るしかない。

 しかし残念な事に、打開策自体は思い浮かんでない。時間稼ぎは出来るだろうが、打開策が思い浮かばなければ寿命を少し伸ばしているだけだ。

 いつ楼が襲い掛かってきても良い様に身構えていると、彼は不意に斧を俺の足元めがけて投擲。凄まじい回転を刻み、斧の刃が地面に突き刺さった。

「……何のつもりだ?」

「その斧、あげるよ。雪。後ろ通してやって」

「は?」

 今までの追跡具合からそう簡単に諦めるとは思えず、かえって俺は警戒を強めた。それを察したか、苦笑交じりに楼が言葉を付け加える。

「斧じゃ君の足を綺麗に落とせる自信がない。僕は一度家に帰る。その斧を使って精々護身に努めていなよ。滅多な事じゃその斧は折れないから、色々な事に使える筈だ。きっと脱出に重宝するよ」

「俺の脱出を助ける気か?」

「そんなつもりは全くない。ただ、怪物に殺されて君も怪物になったら元も子も無いだろ。僕が君の両足を切るまで生きていてほしいだけ。だからこの場は見逃すけど、次会ったら―――」

 『王』の瞳が、歪んだ輝きを放つ。




「容赦しない。君の傍に居た子もちゃんと狙う。君をここから脱出させようとする奴は皆殺しだ」




 それはきっと、冗談ではない。

 冗談なものか。

 意思と目的は別だと言っていた楼が、その二つの方向を一致させたのだ。もう話し合いは通じないし、交渉なんてするだけ無駄。時間稼ぎの為の会話すら、背後の雪みたいに拒絶するだろう。楼の瞳からは、碧花以上の凄みが感じられた。

 そうだ。既視感があると思ったら、碧花がマジギレした時と感覚が非常に近いからだ。肌で感じる殺気、と言えばいいのか。この全身に刃物を突き付けられた様な恐怖感が似通っている。

「さ、行った行った。僕の気が変わらない内に、さっきの子と合流すればいいさ」

 声音こそ明るいが、その表情は全く笑っていない。促される様に、俺は斧を手に取って、墓地を後にした。






















「楼、いいの?」

「いいんだよ。今のままだと、僕は狩を家族としてしか認識出来ない。彼を本当に引き留める為には、一時的にでも『敵』とみる必要がある」

 僕達には時間がない。実を言えば、彼が帰って来ようが来なかろうが、一度まほろばを出たが最後だ。僕達が巡り合う事は一生無い。

「僕も雪も、もうすぐ―――」

 根拠も確証も無いが、肌で感じる。そうなりたくない。『家族』に居なくなって欲しくないのは僕達だって同じだ。狩に残って欲しいのは、決して保身の為なんかじゃない。僕達は只、幸せに過ごしたいだけなんだ。

「雪。君は狩を追ってくれ。今度は君も殺す気でね。でも足は斬らないで。鉈で切るのは大変だろう。気絶さえさせてくれればいいから。分かった?」

「……分かった。けど楼、何を持ってくる気なの? 簡単に足を切れる道具なんて、想像もつかないんだけど」

「それはまあ、後のお楽しみという事で。僕が来るまで暫く頼んだよ。出来るだけ狩の周りの人物は追い払うか殺すかしておいてくれ」

 それだけ伝えると、僕は明後日の方向に歩き出して、帰路に着いた。暫くは雪が上手くやってくれるのを願おう。大丈夫だ。雪は僕よりも遥かに狩を好いている。僕以上に彼に居なくなって欲しくないのは雪だ。

 心に何処か迷いが見えたが、上手くやるだろう。

 

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