嵐の過ぎ去った痕



 萌が来るまで暇なので、俺は足元で起きた異変の調査に乗り出す事にした。屋上の下と言えば、放送室がある場所だ。が、放送室にロッカーは無かった筈なので、あの音が発生した場所は放送室の隣。空き教室と言えばいいだろうか。多分そこが発生源だ。屋上へ行くにはここを通過しなければならないので、萌とすれ違う事もない。俺は十段ばかりの階段を降りて、放送室の隣にある空き教室を覗き込んでみた。



「…………ッ!」



 扉の窓越しに見えたその景色に、俺はつい先程、事態の詳細を知りに動かなかった事を幸運に思った。もし見に行っていたら、俺もあんな風になっていたのだろうか。自分の見た光景がどうにも信じられないので、がたついた扉を開いて、俺は足を踏み入れる。


 教室の隅に配置されているロッカーが、ボコボコに凹んでいた。さっきの音からして明らかだが、それは経年劣化だとか、何らかの事故による損傷とかではない。俺は凹み具合から何で殴ったかを特定出来る程鑑識染みてはいないから確信は無いが、近くに棒がある訳でも無いので、恐らく拳でやったものだと思われる。周りにあるものと言えば余った椅子と机だけだが、そのいずれも破損が見受けられない。となれば、やはりそうだろう。


 只の凹みであれば俺も見た事があるが、一体どれだけの力で殴ればここまで露骨に凹むのか。扉は歪み、ロッカー自体も中がボコボコだ。素人がこんな事をすればロッカーが壊れるよりも先に自分の手が壊れると思うのだが。


「怪物でも徘徊してんのかよ…………」


 真昼間に徘徊する怪物とは一体。畑川の死体やあのよく分からん奴じゃあるまいし、まさか自分達に纏わりついているなんて事は……



『マダアソビタリナイノ?』



 頭の中で木霊するその言葉。まさかとは思うが、一人かくれんぼは終わっていないのだろうか。いや、そんな筈は。碧花がきちんと終わらせたらしいし、まさか…………そんな。心の何処かに迷いがあるのは事実だった。一人かくれんぼは二時間以内に終わらせないと霊が帰ってくれなくなるらしいが、


 では碧花はどうやって終わらせたのだろう。


「せーんぱい!」


「どわああッ!」


 不意に背後から視線を封じられて、俺は反射的に抵抗。よろめきつつ振り返ると、このロッカーをボコボコにした犯人ではなく、萌だった。俺に対する呼び方で理解すべきだったのだろうが、壊れる筈の無いロッカーが壊されているという点で、その辺りの正常な判断が出来なくなっていた。事情を知らない萌は、俺の過剰な反応に首を傾げていた。


「あれ、どうかしました?」


「い、いや別に……なあ萌、あのロッカーさ、最初からああなってたか?」


 俺が指さした方向を見るも、萌は知らんと言わんばかりに首を傾げた。そりゃそうだ。だってここに用事がある奴なんて普通は居ない。それこそこのロッカーを壊す為だけに来たりすれば別だが、そんな物好きがこの学校に居るとは思いたくない。


「何でここに?」


「いやな、お前達が屋上から離れてった後に、何だか物凄い音が聞こえてさ。見に行ったらこんな風になってて、最初からこんな風じゃなかったよな?」


「あー…………そうですね。これ多分殴ったんじゃないですか?」


「俺に言われても困るけど、何でそう思うんだ?」


「たまに部長がやるんですよ。都市伝説が誰かの流布したデマだったりすると、廃墟とかで良く壁に当たってるんです」


 怖!?


 あの温厚なクオン部長がそこまで凶暴になるとは。いやしかし、思い当たる節が無い訳ではない。部長はオカルトガチ勢だ。「アホな奴が食いつくやろ」と言わんばかりにデマを流されれば、ぶちぎれても不思議はない。廃墟でやる辺りが彼らしい。でも多分、一番怖いのはそれを間近で見てる萌だ。普通に止めた方がいいだろうに。


「しかもフィールドワークを兼ねてる場合がありますし、時間帯が夜の場合無言になるしで、もう最悪なんですよー」


「因みに、終わった後ってどうなるんだ?」


「落ち着きますけど。壁が凹みだらけになるんですよね。廃墟だから劣化してるってのは分かるんですけど、だからってあんな簡単に壊れるのかなあって。部長の手も血塗れになるんですけど」


「直ぐに止めてやれよ! もうそれ下手なお化けよりも怖いぞ!」


 前々から変人だと思っていたが、まさか変というよりはヤバい奴だったか。この瞬間、俺はこれからも引き続き萌を守る事を決意した。クオン部長は頼れる存在かもしれないが、同時に危険すぎる存在だ。萌を隣には置いておけない。この少女を過剰に大切にしている節があるとはいえ、いつその拳が向くか分からないのだから。


「……なあ萌。一つ聞いて良いか?」


「はいッ、何でしょう」


「後どれくらいで学校は放課後になるんだ?」


 俺が屋上に残る理由というのも、学校を歩いていては先程の菜雲ではないが、また何か問題を起こす可能性がある。だから屋上で時間を潰して、安全に帰ろうという計画の為なのだが、時間が知れればそれまで思う存分に暇を潰せる。この部屋の時計は止まっているので、参考にならない。


「後……一時間くらいですかね」


「一時間か……良し。じゃあ屋上に戻るか。どうやって暇潰すかは考えてないけど、何とかなるだろ!」


「お付き合いしますッ」


 一瞬、俺と付き合ってくれるのかと思って振り返ったが、そんな訳が無かった。彼女が何をした訳でもないのに落胆し、重い足取りで屋上に戻る。欲しい欲しいと今の今までずっと嘆いてきたのだ。彼女の事は好きだし、彼女になってくれるなら俺はとても嬉しかったのだが、世の中上手く行かないものである。


 俺達はベンチに座った。因みに碧花に送ったメッセージだが、まだ既読がつかない。よっぽど忙しいのだろうか。


「せっかくだから、ずっと気になってた事を聞かせてもらうぞ!」


「何ですか? 先輩だったら私、何でも答えちゃいますよッ」



 何でも。



 スリーサイズを聞く度胸は俺には無い。というか、元々聞くつもりはない。けれど何故だろう。何でもと言われると、どうしても聞きたくなってしまう。碧花にさえ聞けていないので、萌に言えたら俺は多重人格者の疑いがある。


「えっと、フィールドワークってさ、やっぱり夜の場合が多いんだろ?」


「はい」


「親とかにはどうやって説明してるんだ? 普通高校生を夜に出歩かせたりしないだろ」


 悪気は無かったのだが、そう尋ねた瞬間、今まで明るかった萌の顔色が変わった。目はあらゆる方向に逸れて、手は遊び処を失くしたみたいに動きだして。


 それは今まで裏表の無い様に思えた彼女から、初めて見えた裏側だった。


「あ…………えっと、親は、気にしないんですよ。私が何処に行っても、何も」 


「……不味い事、聞いたか?」


「いえ、別に良いんです。えっと……そうですね。私のお母さん、今新しいお父さんに夢中で、私の事なんかどうでもいいんですよ」


「新しいお父さん……って事は、え? そうなのか?」


 予想外に生々しい問題に、俺も敢えて直接の言及はしなかった。それは幾ら何でも踏み込み過ぎだ。俺も先輩と後輩の境界くらいは弁えている。これ以上踏み込みたければ、恋人になるしかないだろう。


「私がオカルト部に入ったのは、単純に好きだったからですけど、部長はそんな私の事情を知ってから、よく連れて行ってくれるようになりました。オカルト部が休部になる前は全員で行く事も勿論あったんですけど、私と二人きりの時もありました。先輩と校舎入った時みたいに、危険な目に遭う事もありますけど、その日々が嬉しくて。だから説明はしてないし、出歩いてても文句は言われません。警察とかは部長についていけばまずバレたりしないので」


 何やらとんでもなくグレーゾーンな事を聞いた気がするが、俺は見逃す。別に現行犯という事でもないので、それでも良いだろう。俺は絶対正義を語る偽善者とは訳が違うのだ。むしろ日々の行いを考えたら俺も同じグレーゾーンの住人なので、ここは同じ住人同士見逃す事も必要だろう。


 萌が俺に身体を預けてくる。小さくて柔らかい身体が、俺の半身に触れた。


「今の話を聞いても、私を憐れとは思わないでください。先輩と部長が居てくれるだけで、私すっごく毎日が楽しいんですッ。……ねえ先輩、これからも仲良くしてくださいねッ!」


「―――お、おう」


「ふふ。先輩、大好きですッ!」


 光と影は表裏一体。光が強ければ強い程、その裏側にはより強い影が出来る。ひょっとすると部長は、敢えて変人を演じているのではないだろうか。萌を寂しい気持ちにさせないために。


 もしも、敢えて自分が変人である様に振舞っているのだとしたら、俺は彼への評価を改めなければならない。そして俺は、交流をする以上、彼女の闇について少なからず目を向けなければならない。


「―――なあ萌。お前、好きな人って居るか?」


 彼女は無垢だ。それは事実だろう。しかし、無垢だからと言って闇が全くない事の証明にはならない。無垢とは即ち穢れていない事。無垢だからこそ、純粋な闇を抱える事だってあるだろう。常人であればそれを確認する方法は無いが、一つだけ俺は、それを確認する術を知っていた。


「好きな人、ですか?」


 萌は三回目を瞬いて、俺の手を握った。



「―――居ますけど、秘密です!」



 













  


 好き、というモノには種類がある。あまりにも重い愛があれば、友達以上恋人未満の軽い愛だってある。俺は今まで、彼女の発言する『好き』を、後者の様なものだと考えていた。それでも全く嬉しくない訳では無かったが、この前提が覆った時、俺も俺で、きちんとそれを受け止めなければいけなくなる。


 もしも。彼女の『好き』が愛の飢えから来る欲求なのだとしたら。或いは無意識下に感じる孤独を紛らわせてくれる俺への感謝なのだとしたら。



 俺は―――――

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