猛る獣は黒の道
いつも通り狐面を着けている部長の表情など、この場に居る誰もが読める筈はない。しかし矛先にない筈の俺達までも、心の底から凍てついた彼の声に耐え切れず、身体を震わせた。ここまで体が震えたのは、いつ以来だろうか。
切れている。あの部長が。
この状況下で一言でも発そうという勇気が俺には無かった。今は亡き陽太の時にも彼は怒っていたが、今回はそれの比ではない。誰も居なければ菜雲を殺すのではないかという気迫さえあった。この高校生とは思えない強烈な気迫には、さしもの彼女も恐怖し、言葉を失ってしまった。俺も忘れるが、クオン部長は部長なだけであり、高校生に違いは無いのだ。なのにその風格は明らかに人間を超越しており、時々俺は彼が未成年なのかを疑いたくなる。
「な……な…………」
「………………」
悪意を宿した沈黙は、何か言葉を掛けるよりも人の心を折る事に長けている。それ以上は何も言わず部長が黙していると、菜雲はその場にへたりと座り込んでしまった。よく顔を掴まれた状態で座り込めるものだが、流石に部長も殺意までは無いらしい。座り込むタイミングに合わせて、手を離した。
「二人共、行くぞ」
「え…………あ、はい」
「い、行きましょう…………」
この場に居るのは幾ら何でも居心地が悪い。雰囲気の戻らぬ部長についていくのも躊躇したが、どちらかと言えば部長は俺達の味方だ。それについていかない道理はない。萌の手を引きながら、俺達は部長に導かれるままに、屋上へと向かう事になった。
屋上は碧花との集合場所なのだが、彼女は今回の文化祭を真面目に取り組んでいる様で、屋上に辿り着いた俺達を出迎えるなんて事は無かった。
クオン部長は適当な所で身を翻し、俺達を見つめる。
「大丈夫か?」
「……部長、どうして」
「どうしてとは? 可愛い後輩を守るのは先輩の役目だとは思わないか。まあ何となく胸騒ぎがしてな。実際、お前達は階段から突き落とされていた」
「可愛いですか、俺が?」
「ああ勿論。それと、萌を守ってくれて有難う、狩也君。オカルト部を代表してお礼を言う」
いつの間にか、先ほどの雰囲気は霧散しており、俺の目の前にはよく知るクオン部長の姿がそこにあった。理由は分からないが萌をとても大切にしていて、普段は飄々として掴みどころのない男。それが俺の知るクオン部長だ。
当人の目の前でお礼をするのもどうかと思うが。
「そういえばクオン部長は準備終わったんですか?」
「ん、終わってないぞ?」
「え? じゃあ猶更どうして駆け付けられたんですか?」
「後輩の危機、特に萌はいつ何時でも守るのが部長の役目というものだ。勘違いしないで欲しいのは―――別に、お前だけという訳ではない。只あの場に居たのがオカルト部の後輩、つまりお前だったというだけだ」
部長がこうも照れ隠し気味に言葉を補足するのは珍しい。やはり彼でも、当人の目の前で特別扱いは出来ないのだろうか。初めて会った時に萌の守護を頼まれた関係で、俺は彼が嘘を吐いた事を直ぐに見破れた。萌だけは首を傾げるばかりである。
「は、はい……?」
「そんな事よりも狩也君、あの生意気な二年生、どうやら君と顔見知りみたいだな。一体どういう訳があってああなったのか、俺に教えてくれないか?」
「え。別にいいですけど。そんな面白いもんじゃないですよ」
「面白さを求めて聞いているんじゃない。少し、判断材料にしようと思っているだけだ」
「判断材料…………?」
やけに不穏な響きを残していたが、彼が極悪人であるなどという予期が俺の中にある筈もない。怖い事は怖いし、変人なのは確かだが、根は良い人だ。先の恩に報いる意味もあり、俺はありのままを吐露した。
その途中、胸に手を当ててみる。いつもの部長が帰ってきた実感はあるが、それと同時に、俺の精神はあの凍てついた声に恐怖を刻みつけられていた。これは……あれだ。あの時の碧花と全く同じだ。感覚としては全く違うのだが、それを言葉に例える事の、なんと悍ましい事か。
碧花は冥府の底から伸びてきた腕に心臓を鷲掴みにされている感覚。その手はとても冷たく、掴まれた俺の心臓も引きずり込まれるのではないかと錯覚する、強烈な悪寒。
クオン部長は幾つもの刃を俺の心臓に当てている感覚。鋼鉄というものは非常に無機質な上に危険だ。言葉一つ間違えるだけで切り刻まれてしまいそうな感覚が…………或は既に氷漬けになっているのかもしれないが。
どっちが怖いかという相対的評価は出来そうもない。どっちも俺にとっては恐ろしい。おまけに部長は顔も見えないから普段すら不気味だ。萌を守った事で感謝するというのなら、その証に顔くらい見せて欲しいものである。
「…………成程。お前は『首狩り族』だから嫌われていると」
「はい。それだけです。これが一体何の判断材料になるんですか?」
「……何の判断材料にもならない、なんて事は無いぞ。お前を嫌うのは仕方ないとしてもだ―――人を傷つけちゃいけないって、まともな教育受けてたら分かるだろ。あの女はそれを犯した。罪は償わないとな」
仮面の奥に潜む瞳が怪しく輝く。萌も俺も、仮面の中に浮かぶ表情が何なのかを察して慄いた。何だか俺も最近、仮面があるにも拘らず彼の表情が読み取れるようになった気がする。いつかはこうなってしまうから、オカルト部の誰も彼の仮面を強引に取ろうと試みないのかもしれない。
「何をするつもりですか?」
「チクる」
「チクる?」
雰囲気とは裏腹に、何ともしょぼくせこい発言に、身構えていた俺は呆気にとられた。「チクる」とは、一言で言って殆ど全ての生徒に嫌われる行為である。発言の形態こそしょぼっちいが、要は告発なので、好む生徒が居たらむしろ驚きだ。
俺とは全く無縁な話だが、小学校のトラブルに置いて、何かと先生に頼るとそいつは「先生べったり」と呼ばれ、孤立してしまうらしい。曰く、何でもかんでも先生に言われてしまうので絡みたくないらしい。
じゃあ先生に言われて都合の悪い事をするなよと今なら言えるが、小学生事情はそう単純ではないのだ。少なくとも、当人たちにしてみれば。
「ち、チクる?」
「昔からこういう面倒は丸投げにするのが一番だ。いや、丸投げというよりかは、連絡と言った方が良いか」
「俺の担任に、ですか……」
気が進まないと言えば進まない。菜雲の視点に立ってみると分かるが、この状態で彼女が怒られると、まるで俺がチクったみたいになるからだ。その気も無いのに巻き込まれるなんて御免被る。露骨にげんなりすると、クオン部長が萌の頬を引っ張った。
「大丈夫だ。君は巻き込まれない。文化祭を楽しく終わりたいのは俺も同じだ、なあ萌」
「しょうでぇひゅけど、ぶひょう! いはいでづ!」
とても柔らかそうだ。見ているだけでムニュムニュと言った擬音が聞こえてきそうである。視線だけで助けを求められたが、もう我慢出来ない。俺も彼女の頬を突く事にした。
「にゃ!? やめてくらびゃいふたび―――っもうッ!」
萌は勢いよく飛び退って、頬を膨らませた。
「やめてくださいよ! 全然こっちは気持ち良くなんか無いですから! 先輩も何乗ってるんですかッ。部長のノリに付いていくなってあれ程言ったじゃないですか!」
「言われた覚えがねえよ! てかオカルト部とそこまで親交ねえし!」
「ほほう。親交が無いのにこのノリの良さ……やはり、俺が教えただけの事はあるな」
「アンタに師匠面される覚えもないね! 何だ、記憶喪失だったりするのか俺? 忘れてる関係が一杯あるのか?」
「それを俺に聞かれても困るんだが」
「アンタが師匠面したからだろ! ……はあ。もしかして放課後まで、ずっとここに居ればいいんですかね?」
だとするならば、暇である。準備にも関われず、碧花とも話せず、部長達は戻るだろうし。これならばいっそ御影と話していた方がまだ良かったかもしれない。あの暗所自体は嫌いだが、御影は苦手というだけで、決して嫌いな訳ではない。また、仮に嫌いだったとしても、無限の退屈よりかはマシだ。
屋上のベンチに腰掛けて、天を仰ぐ。綺麗な空だ。曇りだけど。
「じゃあ私も一緒に残りますよ!」
萌が授業で指名されたみたいに手を挙げた。
「いいのか?」
「さっきの仕事をまだ終わらせてないんで今すぐには無理ですけど。十分後には戻ってきます! あ、都合とかは気にしないでください。こうして先輩と二人きりになるのなんて、初めてだから嬉しいんですッ」
それは嘘であり、誠である。七不思議の調査をしに学校へ来た時、俺と彼女は二人きりになった。彼女が敢えてそれを含めなかったのは、きっとゆっくり出来る場所で二人きりになる、という状況に限定しているのだろう。罪悪感は感じるが、本人が良いと言っているのに俺が遠慮する必要はない。
「じゃあ…………頼む」
「お任せあれ! それでは少し失礼します。部長、またあの人が居るとちょっと怖いんで、ついてきてくれませんか?」
「ああ。丁度俺も同じ方向に用があった。付き合おう」
二人の背中を見送って、俺は屋上で一人ぼっち。少し待てば萌が来てくれるのだが、結局それまで孤独を味わう事になる。いや、むしろ後々人が来てくれるからこそ、空白の時間はより強い孤独を感じる。寂しさを感じる。
一人かくれんぼをやろうと思った時も、確かこんな寂しさを胸に抱えていた気がする。
バン!
屋上に居て、物音が聞こえるなんて初めての事だった。脈絡のない騒音に、俺は音の方向に首を傾ける。床だった。つまり俺の座っているこの場所の、丁度真下から聞こえた。多分窓が開きっぱなしになっているとかで音が漏れたのだろう。明らかに生活音とは思えない音だった。
バン! バン! バン!
多分ロッカーの音だ。掃除用具入れの扉を閉める時にこれみたいな音がよく鳴る。しかしここまで大きくは無い。ここまで大きいと、扉を閉める閉めないというよりかは、ロッカーを殴りつけている様にも聞こえた。
バン! バン! バン! バン! バン! バン!
耳を澄ませてみると、声も聞こえる。
「……ない。……さない。…………さない。……やる……てやる」
俺の耳が悪いせいで、まるで昼休みに聞く放送みたいに聞き取り辛かった。断片的に拾えた音声だけでは、この音を立てている人間が何を喋っているのか分からない。
「え、演劇とか……かな」
言葉に出してまで強引に納得しないと、この現象について俺は非科学的な考察をする事になる。それきり音は聞こえなかったが、何だろう。もし俺が動いていたら、何かとんでもないものを目にしていた様な気がする。
気分を紛らわせる為に、俺は携帯の簡易交流アプリから碧花とのトーク画面を開き、何となく話しかけてみる。きっと作業をしていると思うので、反応してくれたら幸いだ。
『どれくらい進んだんだ?』
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