俺は決して喧嘩しない
「あっつつつ…………ん?」
階段を上るや否やぶつかったのは、菜雲だった。今世紀最大の不幸に、俺は自らの運命を呪った。超絶的不運が俺にも牙を剥いてきた、と言えば周りに振りまいた被害を考えると言い過ぎだが、序章と考えれば説明がつく。よりにもよって彼女とぶつかるとは運が無い。無さ過ぎる。あまりにも最悪極まる事故だった。
彼女の方も最初は申し訳なさそうな顔をしていたが、ぶつかった人物が俺と分かった途端に態度をころっと変えて、威圧的になった。
「アンタねえ、サボるだけじゃいざ知らず、邪魔までしてくるなんて! 何、そんなに文化祭がやりたくないのッ?」
「いや、ちが―――」
「本当に信じらんない! 何でアンタなんかが同じクラスに居るのよ!」
どれだけ威圧された所で、俺にとって一番怖かったのはあの時の碧花なので、今みたいに怯んでいるとすれば、それは決して恐れているからではない。今回の場合は、俺にも罪悪感があるので、申し訳なくなっているだけだ。その上で、文化祭がやりたくない訳ではないので否定している。邪魔をするつもりも無かったし。
「違うんだって! 俺は邪魔しないようにサボってたんだけだよッ」
「やっぱサボってんじゃない! 最低!」
「だって、お前達ビビるじゃん俺の事! 俺が居ても作業が捗らないんなら仕方ないだろ!」
「そりゃアンタみたいな人殺しと一緒に作業なんかしたくないわよ、私だってしたくないし!」
「人殺しって…………俺は、そんな事してねえよ。ていうかさ、だったら俺サボってた方が良いじゃねえか。居ない奴が居なくなるのは良い事だろ」
一つ言っておきたいが、俺は只事実を述べているだけである。どうして俺が煙たがられるのかって、それは居なくなって欲しいと思われているからだ。それが素直に居なくなったのだから、むしろ気にしないでもらいたい。
そんな俺の態度を舐めていると感じたのか、菜雲が頭を掻き毟った。
「あーもう屁理屈ばっかり! そんだけ理屈っぽいから彼女なんて出来ないのよ!」
「うぐッ!?」
どれだけ凄まれようとも微動だにしなかった俺だが、その一言のみクリティカルヒット。一発KO。思わず仰け反り、たたらを踏んだ。
「……だって、事実だろ」
「うるさいうるさい。私に口答えなんて何様のつもりよ! あーもうあったま来た! ここで土下座してもらわないと、アンタの事絶対許さないからッ」
ええ…………。
こればかりは流石の俺も困惑してしまった。話の流れが正しいようでおかしい。まず、
俺と菜雲がぶつかる→次に俺が人殺し云々文化祭云々と言われてそれを否定する→口答えしたから土下座しないと許さない→
…………え?
何か、おかしくはないだろうか。ぶつかった以上、謝るべきなのは認めるが、俺が居ると作業が進まなくなるのは事実なので、その点に関して俺に非は無い、と思う。けれどこれも飽くまで個人の意見だ。非があるとされるのだったら謝ろうと思う。
だが、彼女が土下座を要求した理由は何だった。『私に口答えしたから』だ。それはおかしい。どう考えてもおかしい。口答えというか、そもそも立場は同等だし、俺は事実を述べていただけだし。菜雲は俺に対して何様だと言っていたが、俺に言わせれば彼女の方こそ何様のつもりだ。理屈っぽいから彼女が出来ないと俺を評したが、俺に言わせれば理屈の崩壊した言葉を並べ立てる彼女もまた、彼氏が出来ないに違いない。
心の中でそう思ってしまうくらい、幾ら何でも俺だって腹の立つ理屈だったが、ここで俺までが乗ってしまうと、それこそ文化祭の準備が滞るわ、学校に迷惑が掛かるわ散々な結果になってしまう。菜雲はクラス委員だ。彼女をここで足止めすれば俺のクラスの指揮系統が乱れる。少なくとも、その状況を見据えられる状況に居ながら、俺に我を貫く選択は出来なかった。
俺は足を整えて、彼女の前に正座。
「……へえ。意外と素直なのね」
「お前には敵わないからな」
「良く分かってるじゃない。ほら、早く土下座しなさいよ。分かる? 土下座? どーげーざ?」
人はこれを調子に乗っていると云う。
俺は怒りをぐっと抑えて、深々と頭を下げるべく、両手をついた。土下座というものは謝罪の最上級だが、これは不思議な謝罪で、使えば使う程その効力を薄れさせてしまう事になる。だとすれば、俺がこれを使う時は碧花が機嫌を悪くした時くらいなのだが、どうやらここで使う羽目になってしまうらしい。
まあここで彼女の怒りが収まれば、文化祭は何事もなく開催される。クラスの出し物も完成する。俺一人が理不尽な怒りを呑み込めば済むだけならば、飽くまで俺はその選択をしよう。『首狩り族』だなんだと言われようと、俺だってクラスの一員なのだから。
「あれ、先輩? 何してるんですか?」
俺が正に土下座をしようとした瞬間、この最悪の光景を通過した者が居た。俺の事を先輩と呼んでくれる後輩など一人しか居ない。
そう。萌だ。
彼女は、どうやら段ボールを捨てに行く途中だったようだ。纏まった段ボールが袋の中に詰められている。小柄な彼女が持つには重そうな感じもしたが、特に重そうにはしていなかった。オカルト部のフィールドワークの賜物なのだろうか。
萌は一旦袋を壁に置くと、床で正座する俺を不思議そうに見つめていた。
「路上ライブならぬ路上茶道ですか?」
「結構なお手前で……って言ってる場合じゃねえだろ! 気にしないでくれ、これは俺と同級生の―――」
「貴方も何してるんですか?」
「おい」
まるで話を聞いてくれない。菜雲の顰め面が、まるで穢れを知らない萌の表情を捉えた。俺とは流石に違うようで、彼女は一瞬だけ仰け反ったが、しかし菜雲の顔と俺の状態からして、只事でないのを察したらしい。逃げるのを踏み留まり、菜雲を見つめ返す。
「先輩は、どうして正座してるんですか?」
「こいつサボってるのよ。だから土下座させようとしてたの。一年生は黙ってなさい。ほら、仕事があるんでしょ?」
「ど、土下座!? でも先輩。先輩がサボる理由って……」
それは萌が俺に声を掛けた原因でもある。そしてつい先程廊下で遭遇した際、俺は彼女にその事を漏らしている。どうしてサボっていたのかについて、彼女ならば俺の真意を十二分にくみ取れるのである。
「ど、土下座なんかする必要ないじゃないですか! 先輩も何で素直にやろうとしてるんですかッ。立って、ほら!」
萌は強引に俺の脇に手を通し、持ち上げようと体を伸ばした。が、流石に俺の身体を彼女みたいに小柄な女子が持ち上げるのは無理がある。この土下座が本意とは言い難かったので、彼女の力に従い、俺も立ち上がった。今更菜雲が制止に掛かるが、もう立ってしまっているので時既に遅しである。
「ちょっと、一年生が口挟まないでよ!」
「挟みますよ! だって理不尽じゃないですかッ。先輩は『首狩り族』って呼ばれてるからクラスの皆に嫌われてて、だから邪魔しない様にってクラスから離れてるんですよ? 土下座なんてあんまりです!」
「こいつ、私とぶつかって邪魔したのよ!?」
「だからって、ここまでさせませんよ!」
俺の代わりに萌が喧嘩してくれているので、かえって俺は冷静になっていた。当人にも拘らず、何故か俺はこの状況を俯瞰していたのだ。菜雲は名も知らぬ一年生に腹を立てているし、萌は萌で俺がサボっている理由を知っているから一向に退かないし、これはどうやって決着させればよいのだろうか。
「……菜雲」
「何よ!」
「ごめんなさい。お前の邪魔をして、悪かった」
邪魔とは、彼女とぶつかった事である。そもそも俺が部長の顔を拝む為にこの階段を上らなければぶつかる事は無かったので。そういう意味では俺に非がある。土下座ではないが、これでもきちんと謝った。
それでも彼女の怒りは、収まる処か、むしろ爆発していた。
「だから土下座しろって言ってんでしょ! 悪いと思ってないから土下座出来ないのよ! そんな薄っぺらい謝罪なんか要らないのよ、欲しいのはちゃんとした謝罪!」
「先輩する必要ないですよ。先輩は悪くないんですからッ!」
「一年生は黙ってなさい!」
「黙りません!」
萌は俺の前に立って、両手を大きく広げた。
「先輩は……良い人ですよ。少し運が悪いだけじゃないですか。謝ったじゃないですか。何でそこまで土下座させるんですか。先輩の何が気に食わないんですか」
「全部よ全部よ! 大体、この男の何処に良いって思える場所があるの? 聞かせてもらおうじゃない、一年生」
「全部全部って、そんな最初から粗探しするつもりで見てたら、見つかる訳ないじゃないですか。そんな漠然とした事じゃなくて、もっと具体的に言って下さい」
女子に守られていて、凄く情けない。碧花も、萌も、ずっと俺より強いのだ。どうしてこうも食らいつける。どうしてこうも反抗できる。どうして自分の言葉に自信が持てる。
俺は面倒事を避ける為に不幸を善しとしてきたが、彼女達はそうではない。己が信じる何かの為に、面倒事を上等としているのだ。俺はきっと、この二人に勝つ事は無いのだと思う。女性は男性が守るもの、なんて古い考えと罵られるかもしれないが、それでも、俺が守れればどんなに良いか。
俺が守れれば……どんなに俺は自信を持てるか。
「―――ていうかさ、さっきから思ってたけど」
「何です―――」
菜雲が急に接近してきたかと思ったら、次の瞬間。
萌の身体が、俺の方向に突き飛ばされた。
「上級生に口答えしてんじゃないわよ」
修羅場と言っても過言でない程の口論が繰り広げられているここは階段だ。俺と菜雲は踊り場に居て、萌はそんな俺の前に居る。そして俺は土下座の関係上踊り場に上がっただけなので、背後は階段という事になる。
つまり萌がこのまま突き飛ばされると―――彼女は階段を落下する事になる。
「萌!」
なりふり構ってはいられない。彼女の背中に素早く組み付くと、俺は自分の負傷も厭わずに己を緩衝材に。短い階段だったのが幸いしたか、意識は残ったままだ。それでも数段を転げ落ちたので、全身が痛いし、特に頭が痛い。壁で反発した際にぶつかったのだ。
「…………大丈夫か?」
「あ、あ、有難う……ございます」
俺が手を離すと、萌は直ぐに立ち上がれた。続いて俺も立ち上がろうとするが、萌の助けを借りてようやくだった。どうも、頭をぶつけてしまった事で若干平衡感覚が狂ってしまったらしい。たんこぶとか出来てないだろうか。
「何するんですか!」
「上級生に口答えしたアンタが悪いのよ。それとそいつに味方してたから。不運だとでも思えば? 『首狩り族』って狩也曰く、超絶的な不運なんでしょ?」
間違っちゃいない。俺の異名は俺の不運が強すぎる故だ。けれどこんな不運の事を言っている訳ではないので、彼女は明らかに嫌味で言っている事が分かる。立ち位置の関係で萌の顔を見る事は叶わないが、菜雲の眉間が寄った所を見ると、どうやらかなり反抗的な目付きらしい。
「……何、その顔。気に入らないんだけど」
菜雲が階段を下りてくる。数段下りて、俺達と同じ床を踏んだ。
「……上級生に口答えしたらどうなるか、教えてあげる」
一体彼女が何をするつもりなのか。それは彼女の拳が固められた時点で察する事が出来る。萌は少しも怯まず、俺の前に立ちはだかり続けた。いよいよ間合いまで入ると彼女も我慢の限界だったらしい。直ぐに肘を引いて、拳を放った―――
「それ以上萌に触るな」
萌の顔に拳が届く寸前、何処からか出現したクオン部長が菜雲の顔面を掴んだ事で、攻撃は制止した。掴むと言っても、それは覆っている訳ではない。口元だけを掴む形で、人差し指と中指が彼女の眼球スレスレで止まっている状態だ。
「な…………な」
「上級生に口答えをするな、か。三年生を差し置いて先輩面とは笑わせるな笹雪菜雲。そいつは俺の大切な部員だ。もし俺の目の前で何かするつもりなら―――」
「オマエ、死んでも休めると思うなよ」
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