幸福


 幸せだ。碧花とこうして一緒に登校出来るなんて。そんな漫画みたいな話があり得るなんて、思っても見なかった。欲を張るなら彼女がお隣さんであれば完璧だったのだが、そこまで張っても損しかない。この現状だけでも良しとしよう。

 俺は足る事を知らぬ俗物ではあるが、渇き続ければ破滅する事を知っている。こういうのは妥協が大事なのだ。

「……ふぁ~」

 碧花に不信感を抱かずに済んだ安堵からか、欠伸が漏れた。さっきはああ言ったが、嘘は言っていない処ではなく、俺は真実を言ったのかもしれない。マジで眠い。俺もベッドで眠るべきだったのかもしれないが、それだと萌か由利のどちらかと密着して眠る事になる。それだけは避けたかった。怪我が悪化する可能性もあるし、怪我人は襲わないと言った手前言い辛いが、何かの間違いで興奮してしまったかもしれない。

 最善を選んだ筈なのに結果が次善とは笑える。因果なる概念はどうやら一本道ではないらしい。

「本当に眠いんだね」

「ああ……眠いよお。多分寝るなあ、これ。授業中……寝る。マジで」

「同じ事を繰り返すなんてよっぽどだね。自分の発言とか、分かるかい?」

「分かる。分かるけど……眠い。眠すぎる。ああ、寝るよ。これ。授業中」

「……寝たい?」

「寝たいなあ……でも、頭良くねえからなあ……反省文なんか書かされたりしたら、嫌だなあ」

 クリスマス会も控えているというのに、嫌な気持ちを味わいたくない。その気持ちこそ明確に認識出来ていたが、それ以外はぼんやりとして、夢心地で。何もかも、幻みたいで。一度でも立ち止まれば、その瞬間に眠ってしまう自信があった。

「―――狩也君。昼休み、屋上来れるかい?」

「え、屋上? いつもの集合場所じゃないか。何で急に」

 碧花はゆっくり俺の背後に回り込み、耳元で誘惑する様に囁いた。


「良い事、してあげるから」


 彼女の声はオレの鼓膜を通して脳に伝わり、意識に絡みついていた眠気という粘着性の概念を一瞬で吹き飛ばした。彼女がそっちの方向の話も大丈夫なのは知っているが、いつも直球で言ってくる彼女にしては凄く珍しい。

 一体何なのか、凄く気になる。良い事って……何だろう。エロい事なら、あんな婉曲的に言う筈がない。

 自分の教室へと向かっていく彼女の背中は、いつも以上にご機嫌に見えた。


















 デカい。

 ああ、デカい。

 こう間近で見ると、ボリュームというか、量感と言うか。それが物凄い。今すぐにでもしゃぶりつきたくて、揉みしだきたくて。でも自制する。いや、自制しなくちゃならない。俺は何のためにここにいる? 碧花の身体を貪り喰らう為ではない。

 寝る為に居るのだ。

「どう? 気持ちいい……かな。こういうのは、初めてなんだけど」

「ああ、助かった。良い事って言うから何かと思ったけど、こういう事だったんだな」

 昼休みに入ってから、俺は至福の時を過ごした。

 眠気の取れぬまま屋上へ向かった俺は、早速碧花と共に昼食へ。しかし二人の来訪と寝不足による意識力の低下のせいもあり、俺は昼食を持ち込み忘れていた。天奈が居ると思い込んでいたならまだしも、間違いなくそれは無いので、本当に只、うっかりしていた。

 しかしそれのお陰で、碧花の弁当にありつけた。

 何をどうやったのかこれを予知したらしい碧花が、弁当を二つ用意していたのだ。予言というにはあまりにもしょうもない行動だが、俺にとっては非常に有難かった。唯一問題があるとすれば、眠すぎて昼食を食べる気にもならなかったという事だが、最初の一口を碧花に「あーん」してもらってからは、食欲が嘘みたいに復活した。

 そうやって昼食を終え、今の俺がある。分かりやすく言うなら、昼休みが終わるまで、膝枕してもらっている。碧花みたいに胸が大きいと、超近距離でその胸の隆起が拝めるので、これ以上に幸せな事はない。

 この状態なら、安心して眠れる。

「そう言ってくれると、私も嬉しいよ。もっとして欲しい事とか無い? 今だったら特別に、応えてあげるよ?」

「……どんな事でも?」

「うん。普通の子には出来ない様な要求でも、何でもいいよ。君がどんなに変態さんでも、私なら受け止められる。何かある?」

「……………………いやあ、思いつかない。今はとにかく眠いなあ。だから子守歌でも歌ってくれると、助かる」

「ふむ、子守歌かい。じゃあどういう子守歌がいいかな? ロックとかジャズとか、色々あるだろ」

「ロックやジャズを子守歌にする事はもしかしたらあり得ても、子守歌にロックもジャズも無いと思うぞ」

 天気が良い事も幸いして、心地よすぎる。このまま丸一日、泥の様に眠りたい気分だ。でもそれが叶わない事は、俺自身分かっている。学校の授業を抜きにしても、今日はツーショット対決最終日だ。マギャク部長がどれだけ出来ているかは知らないが、俺も俺で、限界まで知り合いを辿って集めなければ。

「…………なあ、碧花」

「何?」

「お前さ、彼氏欲しいとか思った事……あるか?」

 夢現の俺に躊躇は無い。少なくとも正常に意識を操作している時よりは。

「また急な話だね。どうしてそんな事を?」

「いや……お前って、すっごく美人じゃないか。男なんて選び放題だし、一回くらいあんじゃねえかと思って」

 多分、何回も聞いている。けれど眠さによって意識が鈍重になった俺には、それが分からなかった。

「ああ、そういう。小学校の頃も言ったけど、無いよ。お金を積まれたってあり得ない。離婚を渋る夫が目の前で一千万円見せつけられたら、無言で離婚届にサインしたって話を聞いた事があるけれどね。一千万も一億も、私にとっては生活上必要な紙きれだ。魅力的じゃない。だからあり得ないよ」

「…………俺は?」

「君は『トモダチ』だ。とても魅力的な男性だと思っている。お金なんかよりも、ずっとね」

「……じゃあ、さ。もし俺がこの場で、『結婚してください』ってプロポーズしたら、どうする?」 


   







「…………………………………………………………………ぷ、プロポーズッ?」










 どんな表情をしているのか気になったが、どうせ見た所で意識の濁っている俺には理解出来ないだろう。乙女の表情はとてもシビアで、デリケートなのだ。

「ぷ、プロポーズ……ほ、本気なの?」

「いや、どうするかって話なんだけどぉ…………」

「――――――あ、そ、そっか。ごめん。勘違いしちゃってた。ぷ、プロポーズだよね? プロポーズ……」

 彼女の動揺は、流石に今の俺でも理解出来た。あまりにも彼女らしくない動揺ぶりには、眠気を通しても気付いてしまう。

「そ、そんな…………の。決まってる………………じゃないか」

 眠い。膝枕が存外に心地良過ぎる。碧花の答えが出る頃には、俺の目は完全に閉じ切っていた。





「………………よ、よ……………喜んで、うけ、う、受けます」





 鐘が鳴るまで、俺の意識は眠りに落ちた。

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