辛気臭さとはおさらば
一悶着と言っていいのかどうか分からないが、とにかくそれが落ち着いた俺は湯船から上がり、由利の家にあった男性用の服に着替えた―――
「なんで執事服なんだよ!」
メイドだ執事だと言っていた事は謝るが、そんな俺が当人になるのはどう考えてもおかしいだろう。しかし男性用の服はこれしかなく、拒絶するとなると、元の服を着なければいけなくなる……まあ制服なのだが。
修学旅行じゃあるまいし(流石に修学旅行でも、体操服に着替えるという選択肢はあったが)、興味が無い訳ではない。突っ込みつつも、俺はきっちり執事服に着替えた。
「お前には感謝してるけどさ! これはねえだろ!」
「先輩! 似合ってますよ!」
「何処が似合ってるんだよ!」
有り体に言って、凄くダサい。何でダサいかは説明不要だ。執事としての教育も受けておらず、心得も無い俺がこんなキッチリカッチリした服着て、カッコイイ筈無いだろう。鏡で見た瞬間悶絶死するかと思った。
「お前そういう人間家に居ないって言ってたよな!? 大嘘吐いてんじゃねえよ!」
「だから居ないって。何度言えば分かるの」
「いやいやいや! 居なかったらこんな服無いでしょうが! じゃあ由利さん、お尋ねしますが! 何で執事とかそういう金持ちの象徴みたいな人が居ないのにこんな服があるんですかッ!」
「…………文化祭」
「文化祭? がどうしたんだよ」
「中止になったでしょ。私達のクラス、執事喫茶やるつもりだったの。正確には、男装喫茶だけど」
「男装喫茶?」
「水鏡さんのクラスが、メイド喫茶やろうとしてたみたいだから。対抗しようとしてたみたい」
え?
そう言えば、俺を驚かせたい云々言って、秘密にしていた。結局文化祭自体は菜雲の死によって中止になったのですっかり忘れていたが、そうか。メイド喫茶やろうとしてたのか…………
「ていうかお前、碧花の事知ってたんだな」
「校内で一番の美人を知らない方がおかしい。一年生も部活とかで先輩に教えられたりして、一目惚れしてるみたい」
「……お、おう。つまり俺達が3年生にあがる頃には、アイツはもっと惚れられるのか。って、何でお前が知ってんだよ!」
「萌から聞いた。その事で続きがあるんだけど。水鏡さんと仲の良い男性って事で、『首狩り族』って知らなくても、一年生は貴方を敵視してるみたい」
「……まあ。別に良いよ。なんかとばっちり感あるけど。敵視されるのはいつもの事だからな」
こう思うと、もしかしたら碧花と縁を切ればたくさん友達が出来るのかもしれないが、残念ながら脅迫されようと一億円出されようと彼女と縁を切るつもりはない。俺は友達を大切にする。それも俺の好きな人なら猶更だ。同じ事を言って実際にお金を目の前に出されたら離婚した、という話を知っているが、一度俺はドッキリで目の前に出された事があるので、その手段は通用しない。
「これから過ごしづらくなると思う」
「それもいつもの事だ。…………はあ。彼女欲しいとは思うけど、ここまで悪化すると、学生生活中には無理なのかな」
由利は何も言わなかった。
「そんな事よりも先輩! そろそろご飯食べましょうよ!」
萌は完全に阿呆だったが、これくらい明るい方が可愛いので許す。やはりこう、精神が不安定になった時は、一人くらい子犬並みに無垢な人が隣に居てくれた方が安心出来る。いや、安心というか……自分が不安になるのが馬鹿馬鹿しくなってくるのだ。
俺の執事服は萌にドストライクだったようで、由利に「お姫様の服ってないですかッ?」などと尋ねている。俺と腕を組みながら。
やめろ。マジで恥ずかしい。
「…………作る」
「作るな!」
萌は似合うだろう。風格何ぞ俺と同じく存在しないが、姫の風格というものは年の蓄積で身に付ければいい。取り敢えず着れば、お年頃のお転婆なお姫様くらいにはなるだろう。スタイルは適当だし。
同じ理屈が俺に適用されるかと言われると、それはさっき言った通りだ。無理。執事は年とかじゃない。
「まあ夜食を貰えるのは有難いんだけど。お前の家族とかに迷惑掛からないのか? ほら、夜食用意したって事は、いつも食べる時間なんだろ?」
「その心配は、ない」
由利は部屋の中心に据えられた机を指さした。
「夜食は私が作るし、ここで食べるから」
「あ、そういう事か」
しかしそうなると、食事にありつけるまでもう何分か待たされる事になるのか。空腹を我慢出来ない訳じゃないが、執事服を着ながら何もしないというのは、俺のポリシーに反する!
執事歴五秒の俺が言うと、一ミリの説得力も無い。
立ち上がろうとした由利を、俺は手で制した。
「……何?」
「せっかく執事になったんだ。俺も同伴させてくれ。そんで、食事を運ばせてくれ」
自分でもクソダサイと思ってるコスプレだが、このままコスプレだけで終えると、いよいよ俺は只恥ずかしい格好をしているだけになる。せめてそれっぽい事をしないと、次の朝、俺は自分の醜態に耐えられなくなり気絶するだろう。
本当は食事まで作れれば良いのだが、他人様の台所は借りられないし、そもそも俺は料理が出来ない。
「……お客様に、手間を掛けさせる訳にはいかない」
「そう思うんならもっと別の服くれ。女性服以外な。それが出来ないならせめて職務に従事させてくれ! 頼む! マジで頼む!」
よりにもよってこんな服を着させられるとは。これもまた超絶的不運と言えるのだろうか。俺の周りが被った被害に比べれば、何でもないけど。
土下座までは行かないまでも、俺が深々と頭を下げた事に由利は動揺した様だ。「頭を上げてよ」と言われたので、頭を上げつつ、彼女の肩を掴んだ。
「頼む…………何かしてないと拷問なんだ……何もしない拷問なんだ…………」
「わ、分かったから。分かったからやめて」
「じゃあ運ばせてくれるのか!?」
「い、いいけど。じゃあハンドベル鳴らすから、聞こえたら取りに来て」
「こっちまで聞こえねえだろ! 同伴させてくれよ! ……何でそこまで渋るんだ?」
「…………料理風景。あんまり見られたくないの」
「は? 何で? 別に下着姿で料理してる訳じゃあるまいし」
極端な例を出しつつ首を傾げる俺に、御影は嫌そうな視線を向けた。
「…………首藤君に見られてるって思ったら、失敗しそうだから」
俺には彼女が頬を染める理由が分からなかった。
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