決闘の結末

「あああああああ…………」


 人生で一度たりとも風呂を欠かせた事は……風邪を引いた時以外無いが、その時の俺の声は、まるで初めて身体を洗った人……否、湯船に浸かった人であった。隙間風みたいな声は、お湯の気持ち良さに感激した際の音である。


「やっぱお前、お嬢様じゃん」


「……パパの趣味」


 趣味でこうはならない。お風呂というより、これはもう部屋だった。正確な比較ではないが、俺の部屋より広いのではないだろうか。だからってここに住む気はないが、ここまで広いのなら、混浴という手段も取れた気がする。俺が混浴を嫌がっていたのは、倫理的な意味合いの他にも窮屈になるかもしれないという危惧があったからだ。その危惧は、杞憂だったと言える。


「で……一体、何がどうなったの」


「ああ。えーと、俺は説明が下手だから、順に説明するけどいいか?」


「…………いいよ」


 こういう時に文章を纏める能力があれば苦労しないのだが、これだからテスト平均マンは困る。碧花に勉強を教えてもらわなければ高得点を取れないのは、彼女に依存しているとも言える為、あまり良い状態とは言えない。


 俺は可能な限り由利に全てを教えた。部長との一件は不明瞭な点もあるので非常に説明しにくかったが、文字通り一から説明したので、回りくどかろうと由利には伝わっただろう。


「………………だから多分、もう部長には連絡が取れないと思う」


「―――首藤君、その事なんだけど」


「ん?」


「実は、首藤君から連絡が来る前に、部長から連絡があったの」


「え!?」


 湯船の中で俺は振り返る。透過度の低い硝子のドアでは、そこに由利がいるかどうかは定かじゃない。




「こう言ってた。『お前に全てを引き継ぐ。萌の事は、お前が守ってくれ。俺は……もう、部長としてお前達を守れない。頼んだぞ、御影部長』……って」




「……どういう事だ?」


「分からない。けれど、その瞬間に爆発音がして…………それっきり」


「爆発音? ……クオン部長は理科室にでも居るのか?」


「発想が古い。そんな事をいうって事は、知らないの」


「ん? 何が」


 百聞は一見に如かず。由利は浴室の扉を手が通るくらい少しだけ開けると、携帯の画面をこちらに見せてきた。当の本人はそっぽを向いているので、俺の裸は見られていない。画面には『廃工場爆発 若者の不法侵入か』の文字が描かれていた。


「見た?」


「見た」


「この工場って、結構近い所にあるの。知ってる?」


「いや、工場っつってもなあ。まあ……廃屋って事なら、幾らか心当たりがないでもないが」


 確か碧花の家に繋がる帰り道に空き地があり、そこから少し移動したらあった気がする。パッと思い出せるのはそのくらいだ。後はもう、今まで俺が歩いてきた道をもう一度歩いて思い出すしかない。


「…………私だって、部長にはお世話になってたから。死んだなんて思いたくない。でも、首藤君の話を聞く限り、もう部長は……死んだのかなって」


 萌とは違い、由利の精神は安定していた。彼女とは違って、薄々彼が死んでいた事には気付いていたのかもしれない。でも認めたくなかった。俺にとっては最近知り合ったばかりの男かもしれないが、由利にとっても萌にとっても、彼は自分達を引っ張ってくれた部長なのである。信用できないとは言いつつ、彼の事を決して嫌ってはいなかった。


「……死体は見つかったのか?」


「ニュースでは、今の所見つかってない。首藤君の話に沿うなら、失踪になっちゃうかもしれない」


「なら、諦めるなよ。もしかしたら死んでないかもしれないだろ」


「でも、部長は死を確信してた。でなきゃあんな事、私に言わない」


 そりゃそうだ。死ぬ気が無い奴が『全てを託す』なんて言わない。ましてあの部長が、言う筈ない。俺が彼を語ると怒りだす人が居ないか不安だが、彼ならば生き残る手段が……失礼。抗う手段がある限り、最後まで抗おうとする筈だ。人はこれを潔くないとも言うが、このしぶとさがあるから、部長はきっと今まで生き残れたのだと思う。


 そんな部長がまるで死を確信したみたいな言葉を言うのだから、これを死んだと思わないのは、むしろ不自然である。俺は自分のいい加減な発言を恥じた。由利を励ますつもりだったのだが、それ故に道理の通らぬ発言をしてしまったのは、己のミスである。


「……すまん」


「いいの。突然って訳でもないから」


「―――え? 前々から似た様な事を言ってたのか?」


「いや、そういう事じゃないんだけど……以前、私が部長の事を信用できないって言ったのは覚えてる?」


「何か隠してると思ったんだっけか」


「うん。何を隠してたのか……最近分かったんだけど、それって、部長がわざと私を尾行させてくれたから分かった事なの。それを知った時、部長が隠すのも無理は無いなって思って」


「何を隠してたんだ?」


 俺は何気なく尋ねたつもりだったのだが、その話題になった瞬間、由利の口が突然重くなった。


「…………ごめん。首藤君には教えられないの」


「そんなにヤバいもんなのか」


「部長が私に『全てを引き継がせた』のは、きっとこういう事なんだと思う。部長が隠してたそれは、まだ未完成だったの。それで、完成させるには私が部長がしてた事を続けないといけないの。部長が居なくなったら、私が次の部長だから」


 すると部長は、文字通り世代交代をした訳か。何をやっていたのかは知らないが、引継ぎ作業も完璧に終わり、もう自分がするべき事は無いと。だから…………死んだ?



 いいや、そんな筈はない。



 正確には、俺がそう思いたくない。彼がもし本当に死を選んだのだとしたら、俺は間接的に二人から部長を……もっとも頼れる男性を奪ってしまった事になる。そんな事実、絶対受け入れたくなかった。


「……その、部長の隠し事が分かったのって、いつの事だ?」


「本当に最近。今日の昼休み」


 今日の昼休み……となると、マギャク部長が碧花に公開告白した所か。俺は碧花の様子が心配でその後は屋上に言ったので、部長の事は一切マークしていない。どう動いていた所で、俺が把握できる道理は無かったが。




 そのタイミングで起きたという事実は、俺にとって最悪なものだった。




 つまり。俺が碧花に構っている頃、部長は由利に己の役割を全て引き継がせる事で、その後の行動の幅を広げたのだ。どうして己の役割を全て引き継がせたのかは、恐らく元凶である俺を殺せなかったから。


 あの昼休みを終えて放課後。何があったかは語るまでもない。俺は部長の真実を良かれと暴き、萌の精神を不安定にさせるきっかけを作ってしまった。俺の行動が、全てを悪い方向へと押し流したのである。


 そう考えたら罪悪感がこみあげてきて、それはそれで失礼な行動に当たるが、俺はこの風呂から出たくなくなってしまった。何が包容力が無いから慰められない、だ。そもそも俺が元凶なのだから、慰めるも糞もないではないか。



 俺が萌を泣かせた様なものではないか!



 湯船に浸かっている筈なのに、寒い。罪の意識が背中を這いずり回り、悪寒として俺に伝わってきた。


 湯船での音が由利に聞こえた様だ。彼女はこちらを見ないまま、恐る恐る尋ねてきた。


「どうか、した」


「………………すまん。由利。俺が真実を暴いたせいで、クオン部長が」


「それはいい。同じ立場なら、私も同じ事をしてた」


「でもそのせいで、萌がッ!」


「萌が泣いてたのはあの子のお父さんのせい。首藤君は何も悪くない」


 一呼吸おいてから、由利は続けた。


「貴方は首狩り族。関わった人全てを不幸にするのは、事実的には本当の事かもしれない。けれどだからって、全ての元凶と思い込むのは違う」


「でも、部長がそう言ってたぞ!」


「それは部長の見解。私は、そうは思ってない」


「いいや、俺が元凶なんだ! 俺のお陰で何人死んでると思ってる? こんな俺が元凶じゃないなんて、筋が通らな―――!」







  


「じゃあクオン部長は、どうして萌を貴方に守らせてるのッ?」








 こんな光景を当事者となって目撃する事は二度とないだろう。あの御影が、言葉を荒げて俺を叱ったのだ。言葉こそ勢いがあるが、初対面の頃とは違い、棘がある訳ではない。むしろ彼女は、俺を慰めようとしてくれていた。一人でネガティブになり続ける俺を、必死で食い止めていた。


「クオン部長は、萌の事を贔屓してた。その部長が、萌を危ない所に置く筈がない」


「…………だけど」


「貴方が関わってるのは事実。でも中心じゃない。何もかも自分のせいなんて、思わないで」


 彼の真意など彼のみぞ知る事。由利の言う事だって、絶対に正しい訳ではない。彼が単に勘違いをしていた可能性だってゼロじゃない。


 だが、こんな俺を何とかして励まそうとしてくれる彼女を、間違っているなんて思いたくなかった。合っているとさえ思いたかった。その方が気が楽だったから。


 萌と言い俺と言い、メンタル弱過ぎである。由利も確かに一度は壊れたとはいえ、それは怪異のせいだ。俺達とは違う。


 萌は最たる恐怖物との接触で、


 俺は今までの積み重ねで。


 由利は、理解する事も出来ない非科学的な存在によって。


 俺達とは、ベクトルが違う。自壊的になのが俺達で、そうじゃないのが由利だ。


「……首藤君。部長がずっと口にしてた事、知ってる?」


「何だ?」













「『真相究明は使命だが、真実は到達点じゃない。俺達が本当に人間なら、それを知った上でどう行動するのか。それが一番、重要なんだ』」












 居ない筈の男の声が、俺の耳に響いた。



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