男一人は肩身が狭い



「お待たせいたしました、お嬢様。こちらパンの詰め合わせにございます」


「わーそれっぽいですね! うむ、くるしゅーない。そこにおきたまへ、すどー」


「お前は全然それっぽくねえな。西洋なのか和なのかよく分かんねえし。どっちにしたって姫の言葉じゃねえだろ」


「えー? じゃあお姫様ってどういう感じの言葉言うんですか?」


「俺に言われてもなあ。うーん……あれだよ。ゴミでも見る様な蔑んだ目で足を組みながら、こちらの行いに対して当然の奉仕とでも言わんばかりの高圧的な口調で『遅い』とか……」


「……先輩。そういう女の人が好みなんですか?」


 シチュエーションこそ違うが、萌にそんな目で見られる日が来るとは欠片も思わなかった。本気で言ったつもりが無かったのに、本気で蔑んだ目で見られてる。


「い、いや違うぞ! やめろ萌。大体俺が姫様の言葉を知ってるなんて思ったお前にも責任が……やめろ!」


 俺にも責任が全くない訳ではない。面白くなくても何でもいいから由利の料理が出来上がるまで無難な事言って場を繋げとけばよかったのである。そもそも俺はどうしてよりにもよってこんな事を言ってしまったのか。俺にとっての女性のイメージはどうなっているのか。


 大体こんなセリフ、友達の内の誰が言いそうだと思うのだ。由利は違うだろうし、萌は性格的にあり得ない。碧花は…………



 アイツのせいだ。



 碧花に限ると、俺の言った台詞は違和感が無い。どうやらアイツと絡み過ぎて、俺も頭がおかしくなってしまった様だ。


「そう言えば先輩。料理を運ぶんじゃなかったんですか? これ本当にパンだけですよ」


「料理が出来るまで暇だろうから、それでも食べててくれって事らしい。どうやら執事の心得が欠片も無い俺にはお役御免も何もする仕事が無いらしくてな。曰く『零したらどうやって責任取るの』らしいから、待っていてほしいんだと」


 それでもパンを運ぶ仕事は与えてくれたので、素人執事こと俺からすれば、何となく仕事を全うした感じが得られて満足である。後はお姫様こと萌の話し相手として時間を潰してやれば、それで俺の仕事は終わる筈だ。


 決して役立たずとは言うな。悲しいから。


「……なあ萌」


「ふぁい?」


 俺が話を振るよりも早く、萌はフランスパンにかぶりついていた。『パンだけ』などという発言は遠回しな嫌味か何かだろうと思っていたのだが、本当に疑問に思っただけだった様だ。文句ひとつ言わず、もきゅもきゅと食べている。


「ここさ、天蓋ベッド一つしかないだろ?」


「―――――んッ。そうですね。一つしかないです。御影先輩の部屋なんですから当たり前じゃないですか?」


「いやまあ、当たり前なんだろうよ。この状況を除いたらさ」


 こんな夜に男一人連れ込む事を、良くもまあ彼女の両親は許可したものだ。俺だったらこんな不運の塊みたいな冴えない男、一歩たりとも敷地に入れたくないというのに。



 もしかするとあれだろうか。彼氏が遂に出来たと喜んで浮かれてるのだろうか。



 何処かですれ違う事も無かったから真偽は明らかではないが、ひょっとすると両親は俺の事を由利の彼氏だと思っているのかもしれない。娘の趣味に理解が無いという前提だが、そう考えれば全ての納得がいく。


 オカルト部に所属する様な女性により付く人はまずいない。物好きだ。または考えが浅はかな人か。だから今まで由利には彼氏が居なかった。孫を見たい両親は、その現状をとても心配していた。


 そこに現れたのが、俺。


 唐突に現れた男性に困惑しつつも、彼女が連れてきた初めての男に狂喜乱舞。こんな時間帯になってもすれ違わなかったのは、初々しいカップルの初体験を邪魔しない様にする為…………


 無い。たった今俺は考え直した。その可能性自体は排除できるものではないが、それにしたって萌という要素がつっかえ棒になっている。考えても見て欲しい。仮に俺と由利がカップルだったとして、じゃあ萌は何だというのか。俺の彼女か? そうなると二股だ。この国で二股は許されていない。萌が余程物好きで、他人の性行為を見たいという人ならまだしも、そういう人物じゃない事は俺も良く分かっている。


 一万歩譲って萌と由利が俺の彼女だったとしても、俺はスリーピースな浮気ックスに興じる程頭はおかしくない。ハーレムを築けるのなら願ったり叶ったりだが、現実的に考えて、体力が持たない。そうでなくても甲斐性が無い。そうでなくても肉体がそんなに美しくない。ハーレムは夢の中だけにしておいた方が、色々得だ。少なくとも、俺にとっては。


「って違う違う!」


「何が違うんですか?」


「あ……すまん。思考と被った。そういう事を言いたいんじゃないんだ。ベッド一つだろう? 俺達どうやって寝るんだ?」


「どうやってって…………一緒のお布団じゃないんですか?」





 この時から、俺は妙な危惧を覚えていた。萌に俺の言いたい事が、伝わらない様な気がしていたのだ。





 勿論、話を切り出した以上は今更引き返せない。覚悟を決めて、俺は話を続ける。


「そういう事だけど違う! 何平然としてるんだよ。一緒のベッドだぞ? 確かに広いベッドだけど、三人が眠れるようには設計されてない! 密着する必要があるッ!」


「……ああ! もしかして先輩っ」


「やっと気づいたか―――」


「寝相悪いから外側に寝られないんですね!」


「ちげえよ!」


 駄目だこの後輩。鈍い。圧倒的鈍さだ。


 頭が切れるという慣用句があるが、萌の頭はどれだけ研磨しても、最後まで鈍のままなのだろう。それくらい鈍い。俺の言いたい事が伝わっていない。俺が何に動揺しているかも、分かっていない。


 それと寝相は確かに悪かったが、小学校の頃碧花の家に初めて泊まった時、寝相が悪すぎて碧花の胸を鷲掴みしていた事があって、その件で死ぬ程謝罪して以来直っている。間違っても外側には落ちない。


「……いいか、萌。この世には、男性と女性が居るんだ」


「え、何ですか急に?」


 世界創生から語り始めたかの如く厳しい口調になった俺に、萌は首を傾げていた。彼女にすれば『何を当たり前な事を』くらいなのかもしれないが、ここまで鈍いのなら文字通り一から全てを教えるしかあるまい。


 俺が教えるより前に、そもそも保健体育で習わなかったのだろうか。


「男性はな、特にこのお年頃は、性欲の塊なんだ。分からないか? 教室にAV持ってきてる奴とか、エロ本持ってきてる奴とか居るだろう? 保健体育の教科書で女性の裸が出た時、そればっかり見てる奴とかさ」


「居るんですか?」


「ああ。男はな、ヤる事しか考えてないんだ。いや、これは流石に嘘だけど、そういう機会があるなら是非もないという輩が多いんだ。ここには俺と萌と由利が居る。性別で区分すると、俺が男性、お前達が女性だ。そんなお前達に密着される。これがどういう事か。つまりな―――」






「俺がお前達を襲ってしまう可能性があるという事だ!」






 人差し指を突き付けられて、萌は目を見開いた。瞼がすっかり上がっている。どうやら俺の説明は無事に理解された様だ。学校の代わりにまさか保健体育の事を教えるなんて夢にも思わなかったが、これも良い経験だ。


 如何なる人物も、ちゃんと一から説明してやれば理解出来るのだと。発想力が著しく悪いだけで、この世に馬鹿なんて一人も居ないのだと。この瞬間、俺は確信した。


「…………せ、先輩。襲うんですかッ?」


「……俺だって襲いたくないさ。だけどな、そう言う状況になったらしてしまうかもしれないんだ。俺は仏様じゃない。まして菩薩でも、如来でも無い。煩悩に負ける事だってある、むしろ負け越してるまである凡人なんだ!」


「先輩…………」


 萌の中では、きっと俺の評価が下がった。でも仕方ない。こういう事は早い内に教えてやらねば、いつか悪い男に引っ掛けられたかもしれないのだ。知るは一時の恥、知らぬは一生の恥。彼女の今後が幸せになる為であれば、多少嫌われようとも俺は―――


「でも先輩、優しいじゃないですか!」



 は?



「お前、俺の話聞いてた?」


「聞いてました! でも先輩は優しいので絶対襲わないって信じてます! えへへッ」



















「……どういう事なの」


 いつの間にか部屋の扉は開いており。俺が気付く頃、話の流れ(特に萌の発言)が掴めずにいた由利は、廊下で立ち尽くしていた。   


  

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