歪曲者

 またも蝋燭歩きかと疑ったが、それは俺の幻聴だった。実際に俺を見つけたのは蝋燭歩きでもクオン部長でも無ければ、西園寺部長でも、オミカドサマでもない。碧花なんて事は絶対にあり得ない。


「いやあこんな所でもお会いするとは……本当に幸運、いや不運ですねえ首藤君!」


 野海である。自分の事を記者と名乗ってはいるが、果たして本当に記者なのか。それを知る前にこのような事態に巻き込まれた上、調査を依頼した碧花が意識不明である現状、それを知る術はない。一つ言えるとすれば、今の俺にとって彼の存在は死ぬ程どうでもいいという事だった。

「……アンタか」

 何でこの異常空間に彼までもが居るのかは、どうでもいい。そんな事言い出していたらキリがないし。今は碧花ないしはクオン部長をみつけるのが先決だ。こんな男が本当に記者であれそうでなかれ、今は急を要する事態の真っただ中だ。構ってられるか。

「おやおやあ、無視ですか? 私には殺す価値も無いと?」

「ソウイウコトにしておいてやるよ。だから帰れ。相手してる時間が惜しい」

「それは何故です?」

「言う意味があるノカ」

「ええありますとも! 情報というものはこの社会を握る鍵です。筆は剣より強しって言うでしょう? 私の筆一つで、貴方の評判が変わるんですよ」

「今更だ」

「何と言う開き直り! 殺人鬼が『殺人なんていつもの事だから別に構わない』と! これは問題発言!」

 そう言って意気揚々とこの場でメモを取る野海は、別に付き合いも無いので何とも言えないが、いつもの調子で安心した。ここまでいつも通りだと、いっそ日常の象徴とすら思えテクル。何を言われようと最優先は相変わらず碧花捜索なので、オレは気にしていない。



―――バチンッ!



 頭に電気ショックが流れ、弾けた気がした。俺は咄嗟にこめかみを抑えて野海の方を見たが、どうも殴られた訳ではないらしい。しかし頭はズキズキと明確な痛みを告げている。ナンダ、ナニゴトダ?

 心なしか、意識の何割かが虚空に埋め尽くされている気がするが、それだけだ。行動を止める理由にはならない。

 揶揄いに来ただけの記者なんか忘れて、引き続き捜索を続ける。

「……………おや、何故私の方を見たのでしょうか。まさか今度は、真実を暴露する私を標的に!? おー恐ろしい! これはいけませんねえ、メモメモ、と」

「―――言っても無駄かも知れないが、俺は誰一人殺してないからな」













「……ええ、勿論。知っていますよ」













 その言葉は俺の足を止めるには十分すぎた。プラフという可能性が果たして存在するのだろうか。こんな状況で、こんな時間に、二人きりで。

 ダメ元のつもりだったと言うか、どうせ信じてくれないと思っていた。今の今まで散々殺人鬼がどうこう言って騒ぎ立ててきたのだ。また適当な言葉で切り返されて、否が応でも俺が殺人鬼だという主張を覆さないのだと……そう思っていた。

 勿論、掌返しだけで俺の足は止まらない。重要なのは野海の発言の中身だ。『知っている』なんて聞いた事が無い。今までの人生で一度も、そんな事は言われなかった。だから俺の足は止まった。

 たとえ気に食わない記者と言えども、そうせざるを得なかった。

 俺はきちんと振り返って、彼に怪訝な表情を見せた。

「何だって?」


 野海の表情はいつになく穏やかで、何かに恍惚としていた。気持ち悪い。一体何を思い浮かべ、何を崇拝したらあんな表情が出来るのだろうか。表情がユルユルである。三十路を超えた、下手すると不惑に入った頃の男がする表情ではない。


「知っていますよ。貴方が人殺しなどではなく、潔白の人間だという事は」

「それを知った上で、今まで俺を罵って来たのか?」

「謝るつもりはありませんよ? 私は私の目的があって貴方を罵った。こんな状況だから言いますが、私は今すぐにでも、貴方に消えてもらいたいと思っている」

 こちらから手を出させる事を狙っているかのような挑発的な言動から一転、偉く攻撃的な台詞だ。そこまで直接的に敵意を剥き出しにされたのはいつ以来か。大して久しくない様な気もする。

「―――お前、本当に記者か?」

 明確に敵意を持って物事を尋ねたのは、本当に久しぶりだ。俺の怒りは基本的に全て俺自身に向けられているので、誰かに向かって怒るなんてあまりない。『友達』が絡めばまた話は変わってくるとしても、今みたいに『友達』が絡んでも居ないのに敵意を持つなんて―――思い返してみても、片手で数え切れるくらいの回数しか無かった。

「おや、どうしてそう思うんですか?」

「大人の発言にしちゃあ、あまりにも不自然だろ。偏見かもしれないが、特にアンタらの業界じゃ名誉毀損なんて馴染みのありそうな罪じゃないか。まともな記者なら、幾ら俺が相手でも慎重になる筈だ」

 名誉毀損なんて色々な方面からされている気もするし、今更な感じはあるが、法律ニワカを指摘されると劣勢になりそうなので、黙っておく。飽くまで相手の言葉にだけ反応していれば、揚げ足を取られる事はあるまい。

「ほうほう。それだけの事で私を本当の記者かどうか疑うなんて。やっぱり君はどうかしてますねえ!」

「アンタにだけは言われたくないよ。人の事を故意に殺人鬼呼ばわりするなんてな。いよいよ本当に名誉毀損だな、こりゃ」

「お互い様、という事ですか! ……そうですねえ。まあ今教えたって、どうって事は無いでしょう。ええ、正解です。私は自称記者―――本業は、そうですねえ。しがない通り魔でしょうか」

 通り魔は説明するまでも無いが犯罪者である。名誉毀損以前の問題だった。

 そもそも職業(間違っても通り魔は職業ではないが、ここでは彼の発言に倣って便宜上そう呼ぶ)から犯罪者なら、どれだけ犯罪として扱わそうな発言をしても関係ないという理屈らしい。控えめに言ってクソみたいな理屈だ。人はこれを屁理屈と呼ぶ。

「その通り魔がどうしてここに? 活動場所はここじゃないだろう」

 通り魔の出現場所は主に人通りの少ない場所、または多い場所。とにかく生活圏である事が必須条件だ。でなければ通り魔が出来ない。森の中で人と遭遇する確率は、参道ならまだしも整備すらされていない道で出会う確率は異常に低いし、一生出会えないかもという『リスク』を感じたいのなら樹海にでも籠ればいい話だ。多分生きている人間よりも死者の方が早く会えるだろう。

 答えを聞く前に、俺は一歩退いて、逃走の準備を整えた。答えを聞いておいて何だが、俺にはその答えが分かっていた。


 だって、ついさっき。他でもない彼から出た言葉だ。『今でも消えてもらいたいと思っている』という言葉は。


 こちらの準備に勘付いたらしい。俺が逃走を開始するよりも僅かに早く、野海は懐からナイフを取り出し、俺に襲い掛かってきた。

「愛しきあの御方の為に……ここで死んでいただきますよお!」

 碧花を探す事を最優先としたいが、気が変わった。俺の命が無ければ彼女を探す事も出来ない。一度目標を追跡を撒く事に切り替えて、俺は混然とした闇の中に駆け込んでいった。

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