カイダンバナシ

 不思議だ。明かりなど持ち合わせていないのに、暗闇の中がとても鮮明に見える。誰かが配慮してくれたとか、まさか俺を殺さんとしてきている野海が後ろからライトを照らしてくれている訳ではないだろう。仮に照らしてくれていたとしても、ここまで鮮明に全方位が明るくなるなんてあり得ない。今から太陽が顔を出す事があり得たら、それには流石に劣ってしまうが、一メートル間隔で天井に白熱電球が付けられている様な明るさと言えば、分かるのではないだろうか。

 分かり辛いと思ったなら―――日の沈んだ頃の体育館と言えば伝わるかもしれない。あの天井に設置された何十個もの明かりが一斉に付いていると考えれば、少なくとも学生には伝わるだろう。

「逃げるんですかあ!?」

 そりゃあ逃げる。事と次第によっては相手をぶん殴ったり蹴っ飛ばしたりする事もあるが、それをするにしても完全な不意打ちでしないといけない。それが素人の定めというか、素人と玄人の差を埋める方法と言うか。今みたいに追い回されている状態で使えるものではない。幸い、視界が明るいのはこちらだけ(何度も木にぶつかりかけている様子が背後から見て取れる)らしいので、その利を活かしていこう。

「逃げても無駄ですよッ? 貴方は目を付けられている。至高にして至宝、類稀なる美貌と殺意を持つ彼女にね!」

 喋る暇は無い。体力の無い俺がそんな事をしたって死期を早めるだけだ。只、先程から不思議で仕方ないのだが、俺は本当に走っているのだろうか…………いや、足は間違いなく動いているし、動かしているからそれを疑うつもりはない。


 全く疲労を感じないのだ。


 体力のある人間の気持ちというものを、今まで俺は理解出来なかった。それもその筈、当人の体力が無いから、ある人間の気持ちなんて分かりようがない。五分で歩く事すら億劫、とまでは流石にいかないが、少なくとも身体に重さは感じてくる。

 だが今はどうだろう。体重という概念がこの世から消え去ったのではと思えてしまうくらい足取りは軽く、微塵も疲れる様子が無い。ここが森である関係上、速度を抑えねば幾ら見えると言っても木に激突してしまうが、もしもここが平地で、何の突起物も見当たらない場所だったのなら、俺は文字通り風になっていたかもしれない。

 とはいえ調子に乗り過ぎるのも悪運を呼び寄せかねないので、程々に。飽くまで逃げる事にのみ意識を割いているお蔭で、今の所、会話はあちらからの一方通行だ。余程話したくてたまらないのだろう。こんな状況でも無ければしらを切りそうな情報まで吐いてくれそうな気さえする。

 そんな俺の能天気な予想は的中した。野海からすれば冥土の土産のつもりなのだろうが、俺に死ぬつもりは全くない以上、話せば話す程、それは冥土の土産などではなく、語るに落ちると言う。

「今まで不思議に思いませんでしたか? 貴方は誰一人として殺していない。なのにその異名ばかりが有名になっていく。それが本当に只の不運だと……まさか思っていた訳ではありませんよねえ?」

 彼には悪いが、本当にそう思っていた。最近は少し……疑いがあるが、今の今まで、俺は『首狩り族』を超絶的不運だと欠片の疑いもなくそう思っていた。正確には、そう思う事で精神の安定を図っていた。周りの人物を全員自分が殺したなんて思い始めた日には、一日と経たず精神を患ってしまうからだ。

 実際の所は深層意識でそう思っているが、普段俺が使っているのは表面意識なので、考え方によってはどうとでもなる。碧花も『君のせいじゃない』と言ってくれたし、お蔭で今まで生きて来れた。

「貴方にも心当たりはあるのではないですか? 自分以外の人間が死んでいく中、無傷で貴方の傍に居る女性を! 御方を!」

 このまま走り続ければ間違いなく逃げ切れる。しかし俺は、その有利を捨ててでも、振り返られなければならなかった。『あの御方』と濁しに濁されたその人物に心当たりがあったから。


 もっと言うなら、『あの御方』とされている事が聞き捨てならなかったから。


 野海の方も話したくて仕方ない様子。こうして俺が歩みを止めたのだからさっさと殺しに来ればいいのに、一定の距離まで近づくと、彼も足を止めた。その距離およそ三メートル。

 何とも言えない距離だが、そのまま前にまた走ればいい野海と、一度振り返らなければならない俺で比較するなら、かなり不味い距離だと考えられる。確かに最終速度は俺の方が早いが、初速は明らかにあちらの方が早い。

 会話が終わるなり、刺殺されそうではある。

「アンタの言うあの御方ってのは……碧花の事か?」

「ええ、その通り! あの御方こそ私が崇拝せし女神、そして殺人鬼! 貴方の隣に居るにはもったいないくらいの……そう! 選ばれし人間!」

 その表情が恍惚としていたのは、そういう理由だったか。俺を油断させる為の嘘……とは思えない。これが演技だったら、アカデミー賞ものだ。

「―――概ねその意見には同意するよ。俺の隣に居るのはもったいないし、選ばれし人間ってのも、あんだけスタイル良くて頭も良いんじゃ頷ける。けど、殺人鬼ってのは解せないな。根拠はあるのか?」

 野海は恭しく胸に手を置いて、にんまりと笑った。

「勿論。これでも記者を名乗るくらいの情報収集能力はありますから」

「…………聞かせてみろ」

「興味がおありですか?」

「どうせ俺を殺すんだから、いいだろ」

 問うに落ちず、語るに落ちる。追跡時もそうだったが、こうして少し煽ってやれば、この男はいとも簡単に情報を吐き出してくれる。

「成程! しかし……私はあの御方の殺しが見たいのであって、殺されたい訳ではない。これを話してしまうと私まで標的にされかねないので、やめましょうかね」

「……は?」

 肩透かしを本当に喰らうと、暫く声が出なくなる様だ。俺は暫く思考を停止させて、数秒かけて『断られた』事を理解した。

「何と言えばいいのか……そう! 私は彼女が誰かを殺している姿が見たいだけ! 傍観者で居たいのですよ。彼女の事を最も知りながら、最も遠くで見つめていたい……貴方には分からないでしょう、この美しい価値観はッ」

「分かりたくもないな。お前の言い方だと、アイツはまるで作品じゃないか」

「作品とは、言い得て妙ですね。確かに彼女の殺しの手際は作品です。一つとして証拠を残さず、今の今まで殺しを続けてきた訳ですから」

「……一つも証拠を残さない?」

 その言葉を聞いた瞬間、俺はこの男の発言が一から百まで全てが出鱈目である事を悟った。前後の発言と矛盾しているとかではなく。


 その言葉自体が、あり得ないから。


「そう! 彼女は人を殺したい衝動に駆られているのではなく、自由自在に操っているんですよ! だから衝動的な殺人はしない。綿密に計画を練って、被害者以外の誰にもバレない様に殺す。誰かを殺したいという己が欲望に忠実に従いながら、しかし計画的に立ち回り、一般人である事を装い続ける! 私が傍観者で居たいのはね……その罪深さをいつまでも見ていたいからですよ」

「……お前の発言は間違ってる」

「ほう。何処が?」

「一つ。傍観者ってのは手出ししない人間の事だ。だけどお前は俺を殺そうとしてる。それを傍観者とは言わない。二つ。一つも証拠を残さないんじゃない。やってないから証拠が無いんだ。殺人しておきながら証拠が残らないなんて、何だそりゃ? よっぽど犯人側にご都合の良いドラマじゃねえんだ。現実にはあり得ない。小学生だってそこまで警察舐めてねえ」

 碧花がどれだけ頭が良くても、所詮は高校生に過ぎない。学生の知恵程度で警察の目を完璧に欺くなんて絶対に無理だ。それくらい警察が有能だから、俺達はこうして平和に暮らせている訳で。俺も『首狩り族』を不運だと思っている訳で(別に犯人が居るなら、捕まっている筈だから)。

 多分この男は、妄想を拗らせてしまったのだ。いつどこで碧花の名前を知ったのかは定かではないが、よくもここまでの出鱈目を紛れもない隠された真実であると言い切れる。筋金入りの嘘吐き(嘘を吐き過ぎると自分でも嘘か本当か分からなくなるらしい)か、それともとっくに手遅れとなった狂人か。

 足を止めて損した。こんな妄言を聞くぐらいなら、素直に撒いた方が良かったかもしれない。

「ふむ……間違っていると言われても、真実を話しているだけなのですがね。それに貴方を殺そうとしている件についても、別に矛盾はしていない」

「…………?」

「良いですか? 彼女が計画的に立ち回っているのは、人殺しである事を周りに悟られたくないから。そしてその為に貴方を使っている」

「俺を?」

「貴方は『首狩り族』と呼ばれていますが、それは彼女が貴方に着せた濡れ衣です。彼女は自分が人殺しである事を悟られない様に、一番近くに居る貴方に罪を被せた! そうすれば、自分に人殺しの疑惑は向けられませんからねッ」

「……で。それがどう関係してくるんだ?」

「まだ分からないんですかッ? 悟られたくないから貴方に罪を着せている。となれば、彼女の罪に気付く可能性があるのは貴方一人。貴方が真相を知れば、彼女は少なくとも貴方に人殺しである事を知られてしまう。そうなれば……ああ、考えるのもおぞましい。あの御方の罪深さが消えてなくなってしまう!」

 実際的には何も起きていないのに、野海の表情はさも想定した様な出来事が目の前で起きたみたいに青ざめ、引き攣り、震えていた。俺はついさっきこれが嘘だったらアカデミー賞ものだと言ったが、もう賞をあげてしまっても良いのではないかと思う。

 この男は自分を騙す天才だ。どうしたらここまでの出鱈目を本当だと思い込めるのか。特殊な機関の訓練でも受けているのかと邪推してしまった。最初の出鱈目に比べれば幾らか理は通っている気もするが、騙されてはいけない。


 碧花に疑惑を向けている俺が言うのはおかしいが、彼女が殺人衝動を抱えているなんてあり得ない。


 そんな人間だったら、俺はこうも長く彼女と交流を保てていない。

「私はあの御方の罪深さをいつまでも見ていたいのです。だからその罪深さが消える事は我慢ならない。つまらなかった劇に対してゴミを投げ入れる行為をご存知ですか? 私がやっているのはあれと同じ事ですよ。要は意思の表明です」

「只の迷惑行為だと思うんだがな」

「どうぞ何とでも仰ってください。どの道貴方はここで死ぬんですから、死人に口なしという奴です」

 それだけは事実だから、何とも言い難い。俺はこんな妄言を聞きたいと思ったが為に足を止めてしまった事を激しく後悔した。こんな事しか言わないのなら、聞くべきじゃ無かった。

「…………あ。後さ」

 俺は口元を硬く引き締めて、指を固めて痛いくらいの拳を作った。

「何でしょうか」

「もう一つお前の発言、間違ってるよ」

「ほう。それは一体?」

「―――碧花の事を最も知っているって言ったよな」























「お前如きが、碧花をカタるナ!」

 俺の好きな人は、そんな浅く語れる程、中身の薄い人間じゃない

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