マガツクロノ

 奇跡的に、というか必然的に、俺の家の電気は点いた。いっそ点いてくれない方が、『実は停電だった』というオチで納得出来たから良かったのだが、こうなると本当に不可解だ。どうして俺の家の電気だけが点く。どうして他の家から人の気配がしない。電気が点かない。


 暗い世界が怖すぎて、暫く引き籠ってしまいそうだった。


「準備、急がなくていいですよ。私ここで待ってますから!」


「ああ、そうしてくれ。一応聞いておきたいんだけど、テレビつくか?」


「…………はい、つきますよ?」


「番組は?」


「やってます?」


「因みに何の番組見てるんだ?」


「ニュース見ても仕方ないので、バラエティをと。都合でも悪いですか?」


「いや、別に。変な事聞いて済まなかった」


 日本全土で同じ現象が起きている、という訳では無さそうだ。となるとこの区画だけなのか。もしやこの区画がクローズドサークル化しているのかもしれないと思って携帯を見たが、普通にネットに繋がる。余計に訳が分からなくなった。いよいよ以て、この不思議に納得の行く決着をつけるには、俺以外の住人が急速に高齢化したとしか言いようがなくなってしまう。


 まあ、それも含めて調査するとしようか。クオン部長の姿も見えない以上、暫くは俺の家が拠点となりそうだ。この暗黒の支配する世界で唯一光の当たる場所でもあるから、拠点としてはそれだけでも十分である。そこから離れるとなると、やはり懐中電灯に、予備の電池に……ついでに、部長がくれたあの手記も持っていこうか。その他にも色々持っていきたいが、足の遅い俺が変に荷物を持っていくと文字通りの足手まといとなってしまう。この程度が適量だと思う。


 準備の途中、何気なくリビングの方を覗き込むと、バラエティを鑑賞する萌が無邪気に笑っていた。こんな状況で笑えるのは、やはり彼女の肝が据わっている証拠だろう。俺には無い強さなので、素直に尊敬している。こんな状況でもいつもと変わらず最大限楽しめる彼女とは違い、俺は度々聞こえる幻聴の様な何かに、心を悩まされていた。


 ―――何を悩んでんだよ、俺は。


 碧花は俺の事を理由なしに信じてくれたのに、俺は彼女の事を信じられていない。こんな話があるか。これではまるで彼女の事を裏切っているようではないか。そんなつもりは全くないのに、脈絡もなく聞こえてくる幻聴が、俺の意思を揺らしてくる。


「準備出来たぞー」


「あ、分かりました! 直ぐ向かいます」


 テレビを消してから廊下に向かうまでに数秒もかかる道理はない。萌は直ぐに来てくれた。


「それじゃあ、行きましょう!」


 家を出る直前に、俺は電気を消すかどうか悩んだが、考えた末に点けっぱなしという選択肢を取る事にした。電気代というデメリットこそ背負うが、街が不思議な状態になっている今、拠点は少しでも分かりやすい方が良いだろうから。


 それに電気が点いていれば、泥棒も中に人が居ると勘違いしてくれるだろう。普通、電気をつけっぱなしにする輩は居ない。


 玄関を開けると、暗黒の世界が大口を開けてこちらを待ち構えていた。再度深淵に潜らんとする俺達に、不吉な祝福が吹き荒ぶ。意を決して玄関から飛び出した。背後から聞こえた扉の音は、もう二度と帰っては来ない主を見送っている様でもあった。



 ―――絶対帰ってきてやるからな。



 何に歯向かっているのか分からないが、一度心に決めたのだから、果たさなければ。進行方向を懐中電灯で照らしながら、萌と共に俺は当てもなく歩き出す。探している対象が対象なので、手掛かりもないならまず見つけ出すのは困難である。ゆうくん然り、マガツクロノ然り。


「ゆうくんの声、今は聞こえるか?」


「聞こえてたら苦労はしませんよッ。多分、ゆうくんが居るならマガツクロノについて探してる筈だから、先に私たちがマガツクロノを見つけられれば、出会えると思いますッ」


「あー……それなんだけどさ。萌。すまん。俺、そのマガツクロノについて名前しか知らないんだ。だから詳細を教えてくれないか?」


「いいですけど、飽くまで目撃情報や噂を集めただけなので、信憑性はたかが知れてますよッ?」


「別にいい。教えてくれ」


 萌は懐にしまってあった手帳を開いた。









「まず、マガツクロノっていうのは、厳密には殺人依頼サイトの事を指すんですけど、便宜上、私達は依頼をこなす実行犯の事もそう呼んでます。殺人方法は様々で、その殺し方はどうやら依頼人が指定出来るみたいです。肝心のサイトですが、私も部長も見つけられていません。報道もされていない上、事態が鎮静化した訳でもないので、警察の人も見つけられていないんでしょうけど……どうやって隠れてるんでしょうね。一説には、殺意を明確に抱いてる人しか見つけ出せないって言われてますけど、現実的じゃないですね」









「オカルト部が現実を語るのか」


「ネットなんて現実の産物で、嘘が九割の場所ですし。正直オカルトを語るにはちょっとタイプが違うかなって思ってます。後…………そうですね。マガツクロノはどうやら報酬を一切要求しないらしいです」


「報酬を要求しない? 依頼サイトなのにッ?」


「サイトを利用した人に話を聞けたんですけど、特に身の回りで何かが変化した訳ではないそうです。とにもかくにも謎に包まれているのがマガツクロノ……だからテレビで報道されるくらい、有名になったんでしょうね」


 何ともおかしなサイトだ。個人経営なのだろうが、どうやって収益支出の帳尻を合わせているのか気になる。趣味という事なら合わせる意味もないから、そういう事なのだろうか。それにしても、ゆうくんと同じくらい情報が無いサイトだ。


「目撃情報ってのは?」


「うーん。匿名で届いたので何処からってのは分からないんですけど。裏地が赤の黒っぽいフードに、ナイフを内ポケットに何十本も収納してるらしいです」


「急に具体的になったな! ていうかそれ……さ。本人じゃねえの?」


「ふぇ?」


 萌の足が止まったのに応じて、俺も止まる。懐中電灯で前を照らす事は忘れない。


「だって、内ポケットなんて見えねえだろうし、本人が挑発とか挑戦状のつもりで、自分の情報を送って来たんじゃないのか?」


 冗談半分、本気半分で言ったつもりだったが、珍しく萌はみるみる顔を青ざめさせて、俺の瞳を見つめていた。そんな反応をされるとは思わず、面食らったのはむしろ俺である。一体何の発言が肝の据わった彼女をここまで恐怖させたのか、俺にはそれが分からなかった。


「……せ、先輩! どうしましょう……」


「ど、どうしたんだよッ」


「……言い忘れたんですけど。マガツクロノって報酬を一切要求しない代わりに、ある事を約束させるんだそうです。もし破ったら―――殺しに来」











 萌が言い終わるより一瞬早く、俺は萌を全力で突き飛ばした。彼女は何が起きたか分かっていない様子だったが、足元に転がっているナイフを見て、確信した事だろう。どうして俺も反応出来たか分からない。闇雲に懐中電灯を向けるが、何処にも『マガツクロノ』らしき姿はない。


「―――先……輩」


「話は後だ! とっとと逃げるぞ!」


 直ぐには立ち上がれないでいる萌を素早く助け起こし、俺達は走り出した。背後から迫りくる気配など微塵も感じない。強いて言えば、暗黒が迫ってきていた。



 ―――いつも、いつも、いつも、いつも、いつも。



 何でこんな事になるんだ! いつからこんな事になった!



 俺は。俺は―――








 テスト勉強が、したかっただけなのに!  

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