クオンの瞳



 分からない。分からないが、分かる事は、走らねば死ぬという事だ。既に町中がおかしな事になっているが、俺達が巻き込まれている状況はそれ以上に訳が分からなかった。その訳が分からないのも、どうして分からないのかと言われれば分からない。何も分からない…………



 少し、落ち着こう。



 こんな危機的状況は初めてだが、似た様な状況であれば、一人かくれんぼが相当するだろう。あの時だって、俺は命の危機を覚えていた。あの時こそ隣に居たのは碧花だったが、変わった点と言えば、ひょっとするとそこだけだろう。マガツクロノが怪異か殺人者かはともかく、俺は命を狙われている。もしくは、萌が。


 隣に居る人物が変わるだけでやるべき事が変わるかと言われると、それはない。ただ、違いはある。萌を守る人物と言えば部長が居るが、碧花には俺しか居ない。違いがあるとすればそれくらいだが、それで対応法が変わる訳ではないだろう。肝心のクオン部長は近くには居ないのだし。


「ハアッ……ハアッ!」


 人は命の危機に瀕した時、普段は眠りし真の力を発揮するものである。実際はそれ程大袈裟なものではないが、少なくとも日頃フィールドワークを行っている萌に遅れは取らないくらい、覚醒していた。


 しかしそれも時間の問題。姿こそ確認出来ないが、確実に背後からそれは迫ってきている。殺人依頼サイト『マガツクロノ』。依頼遂行の際の実行犯。便宜上、これもマガツクロノと呼称が統合されているが、それが適当かどうかは、今考えるべき事ではない。ネーミングなぞにケチをつける暇があるのなら、この状況にケチつける方が幾らか有益であろう。


 このまま走っていても追いつかれる。理由は分からないが、そんな予感があった。


「……先輩ッ」


「何だ?」


「一つ……提案があるんですけど!」


 怪異でなかったとしても逃げる事には慣れているのか、一度でも呼吸のペースを乱せばきっと足を止めてしまう俺とは違い、彼女は全く息を切らせていなかった。その声音から察するに、冗談の一つや二つくらいは造作もなく言えてしまいそうである。或いは何らかの小噺を一つ、話せるかもしれない。


「この先……T字路があるんですけど! 二手に分かれませんか?」


「は…………? お前、何言ってんのか分かってんのか! はぐれたら終わりだぞ!」


 何処の家を覗いても、電気すら点いていない様な状況で、萌と離れたらどうなる。再び俺の背中に孤独が舞い降りてくるに決まっている。今は命が懸かっているからそんな自分勝手は許されないのは百も承知だが、それを抜きにしても、二手に分かれる事に特段メリットを感じない。


「でも……このまま走ってたら二人共やられちゃいますッ。だったら、せめて被害人数を軽減しないと!」


「先輩に後輩を見捨てろって言いたいのかよッ!」


「私が狙われてるとは限りません!」


「それはそれで問題あるだろ!」


 決して俺を見捨てるつもりとか、そういう訳ではない筈だ。だが俺がさっき言った通り、二手に分かれた所で特段メリットはない。どっちが狙われているか分かれば、策の練りようもある。それが分からないとなると、あらゆる裏目が想定出来てしまうし、それらを全て潰す事は不可能だ。



 …………いや。



 想定できない事もない、か。


 直前に萌は言っていたではないか。報酬を要求しない代わりにある事を約束させるマガツクロノは、それを破った者を殺しに来ると。つまり、逆に考えれば、殺しに来られている者は、少なくともサイトを見つけ出した事があり、あまつさえ依頼もしたという事だ。そう考えると、俺は萌に聞くまで詳細を知らなかったので、狙われている者は萌という事に…………しかし、それはそれでおかしい。もしも彼女が依頼主だと仮定するなら、あまりに発言が迂闊、そして情報が不鮮明すぎる。


 結論付けるには、まだ情報が足りないらしい。


 彼女の言った通り、俺達の前方にT字路が現れた。何にせよ、決断の時は近い。萌の言う通りにするか、それともそれには従わず、何か別の案を考えるか。クオン部長には頼れない。彼はこの場に居ないのだから。


 俺はT字路の直前で足を止めると、振り返って奥の暗闇を見据えた。


「先輩!?」


 無策で突っ込む程、俺も馬鹿じゃない。どちらを狙われているかは不確かだが、優先的に狙われている相手が萌だという事はついさっきの投擲から分かる。俺が突き飛ばせたから萌は生きていたのだ。それを恩着せがましく言うつもりはないが、つまりあの投擲は彼女を狙っていた事になる。それを前提に萌を助ける為の筋道を立てるとなると、彼女の案は愚策も愚策。二手に分かれれば結局一人にしてしまうので、遅かれ早かれ彼女を殺されてしまう。



―――試してみよう。



 萌だってここで立ち止まれる程馬鹿じゃない。背後から気配は消えていた。俺達を追跡している人物は、俺が足を止めた事に困惑している筈だ。萌の発言が正しいなら、約束を破った者は殺されるそうだが、ついさっきまで俺が何をしていたかと言われると、勉強なので(テスト勉強をするな、という約束だったら諦めるが、そんな阿呆らしい約束をさせる輩は居ないだろう)、まず俺は狙われていない筈だ。


 ここであちらが取る行動は二つ。何らかの事情によりターゲットを俺に変えるか、無視するか。取られたくない選択肢は後者だが、携帯を所有している俺には、それを抑止する手段があった。


 俺は携帯のアプリからアラームを開くと、音量最大で町中に垂れ流した。





 ジリリリリリリリリリリリリ!





 町中には誰も居ない様に思えるが、これでハッキリする。ここまで煩ければ、もし人が居るのなら誰かが気付くだろう。騒音で文句を言われるのは目に見えているが、後輩の命が奪われるよりはマシだ。土下座なんて幾らでもしようではないか。


 ともかくこれで、マガツクロノは俺を無視出来ない。騒音により第三者が介入してくる可能性を考慮すれば、俺を狙わざるを得ない。これで萌は助かった訳だ。俺は全く助かっていないが、まあいいだろう。理不尽な死というものには抗うだけ無駄だ。痛いのも怖いのも嫌だが、どうしようもないなら受け入れるしかない―――










「うるさいぞ、君!」









 五分程経って俺に声を掛けてきたのは、クオン部長―――ではなく、何者かだった。当然、背後からである。


 振り向こうとしたが、「振り返らなくていい」と言われたので、素直に従っておく。ここで背中を見せれば、避けられる筈の攻撃も躱せないかもしれないし。


「近所迷惑だから、直ぐに消した方がいい」


「…………お断りします。ちょっと、今面倒に巻き込まれてるので」


「面倒? ……ひょっとして君、マガツクロノの被害に進行形で遭ってる人?」


 何者かというにはあまりに的確な言葉に、俺は驚きを隠せなかった。顔も見ていない人間にとやかく言うのもおかしいが、彼は第三者というには、あまりに事情を知っている気がした。


「どうしてそれを?」


 振り返らずにはいられない。事情を知っている以上は助けを求めたいし、何より俺の背後に立っている人物を信用するべきかどうか、自分の目で確かめる必要があるからだ。アラームを消しつつ、全力で背後を振り返る。


 そこに立っていたのは……やはり誰か分からなかった。黒色のハンチング帽に灰がかった髪。手には俺達の学校で配られたものと同一の生徒手帳と、見覚えのある仮面を持っていた。


「…………ひょっとして、クオン部長ですか?」


 声は違うが、その手に持っている狐面は、紛れもなく彼のものである。が、目の前の男は俺の言葉に怪訝そうな表情で首を傾げた後、訂正も含めて自己紹介をした。


「誰の事を言ってるのか知らないけど、違うよ。俺は西園寺悠吾。オカルト部の部長で、現在は君を襲ってきたモノについて調査してる。君は?」


「あ、首藤狩也です。えーと……『首狩り族』ってご存知ですか?」


「いや、知らないな。何、それはひょっとして新しい都市伝説ッ!? 良かったら聞かせてもらいたいんだけど―――ああ! いや! 言わなくていい。今はマガツクロノの調査中だ。君のその話、とても面白そうだが! 今は止めておこう」


 正直な事を言わせてもらうと、クオン部長とは似ても似つかなかった。彼はここまでテンションが高くない。似ている部分があるとすれば、それはオカルトへの熱意くらいか。


 しかし、彼は今不思議な事を言った。オカルト部の部長、と。それはおかしい。今の部長はクオン部長の筈である。仮に彼の言葉が真実だったとして、ではクオン部長が嘘を吐く意味は? 萌達までもがクオン部長を部長と呼んでいる訳は?


 嘘だと考えた方がいいだろうが、敵意は無さそうなので、暫くは話を合わせておこう。


「しかしクオン部長か。クオンなんて苗字は珍しいと思っていたけど、二人も居たんだね。やはり世の中は不思議だ」


「え? クオンって苗字が二人も?」


「うん。さっき言った通り俺はオカルト部なんだけど、副部長も同じ苗字なんだよ。クオン副部長なんて、後輩達からは呼ばれていたっけ。いやはや、部長と副部長として二人も居るなんて、偶然にしては出来過ぎな気もするなあ」


 出来過ぎ、なんてものではない。どちらもオカルト部で、部長と副部長、だと? 彼の名前を尋ねてみれば真偽のほどは分かりそうだが、生憎と俺はクオン部長の名前を知らない。今まではそれでよかったし、聞いたところで彼は教えてくれないだろう。



『狙われてしまうからな』



 などと訳の分からない事を言うに違いない。


「さてさて。ここで遭ったのも何かの縁…………何も来ない。どうやら君は被害を免れた様だし、取り敢えず一緒に行動しようじゃないか。枯れ木も山の賑わい、なんて言葉もあるけれど。真夜中をさ迷い歩く酔っ払いも、そんな酔っ払いを歓迎する立ち食い屋も、残業を終えて帰宅するサラリーマンも、誰も居ない。二人で居た方が安全だろうし、どうかな? 君さえ良ければ一緒に行動しようよ」


 西園寺悠吾は狐面を被ってから、俺に手を差し伸べてきた。その姿が俺の知るクオン部長とダブって見えたのは、果たして気のせいだろうか。 




  

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