禍々しき夜



 家に帰る事も考えたが、どうしても萌が心配だったので、俺は西園寺悠吾と呼ばれる男性と行動を共にしつつ、彼女に電話を掛ける事にした。この彼女と呼ばれた人は、当然萌の事である。ここで無事を確認する意味も込めて碧花に電話するのも良いが、いつまでも彼女を頼ろうとするのは、正直言って情けない男のする事であり、巻き込まれているならまだしも、今の彼女は第三者だ。わざわざ被害者を増やす事もない。まだ素性が明らかではないが、心強い味方も手に入ったし。


 コールが鳴って暫く。俺はこの電話が繋がらないのを予感したが、果たしてそれは杞憂だった。


「…………はい。もしもし」


「あ、萌か? 大丈夫か?」


 呑気に聞いてはいるが、その声音に余裕はない。何処か弱弱しいというか、覇気が無かった。


「…………その。先輩は、大丈夫なんですか?」


「俺は大丈夫だ。それよりお前…………何か声弱くねえか?」


「あはは…………済みません。怪我してしまったみたいで…………んッ……足が。ちょっと―――」


「足!? 何があった?」


「落とし穴があったみたいで……捻ったみたいです」


「ええ!?」


 萌にしては随分迂闊な気がしなくもないが、それよりも気にするべきは、何だって道に落とし穴が仕掛けてあるのか。ギャグ漫画じゃあるまいし、そんなほいほい道に落とし穴があっては交通が不便な事この上ない。誰かが意図して仕掛けた筈だ。それも、マガツクロノから萌が逃げる事を想定した上で。その人物とは、果たして? マガツクロノ本人という事もあるだろうが―――今の所は、やはり情報が足りないか。


「今何処だ? 迎えに行くぞ?」


「……私、さっきのT字路で左に曲がったんですけど。そこから三〇〇メートルくらい先に、廃屋があったんです。そこに、居ます」


「……分かった。そこから動くなよ?」


 俺は電話を切って、西園寺悠悟の方を向いた。


「済みません。もう一人知ってる人が居るんですけど、そっちに行っていいですか?」


「うん。参考までに聞いておきたいんだけど、どんな人かな」


「オカルト部の部員で、西園寺さんと会う前はその人と行動していたんですよ。で、さっきはその人を守る為に俺が止まって、アラームを鳴らして―――」


「なある程。その音を俺が感知して君と出会ったと。いやはや、世界とは何たる偶然に満ち溢れている事か! 物事の因果はあらゆる全ての事象に、密接に絡みついているものだな!」


 どうしよう。絡みづらい。テンションが高いのか低いのかよく分からない。かつての由利が一番絡みにくいと思っていたが、どうやらそれは撤回しなければならなそうだ。この西園寺とかいう男、本質をはかりかねると言うか、飄々としているのだ。街のどの家を見ても一人として見当たらないこの状況でも、彼だけはまるで日常の出来事の様に接している。クオン部長や萌でさえ、異常事態として受け取った上で動いているというのに。


「唐突に聞くようだけど、マガツクロノについては何処まで知ってるのかな」


「あー俺、オカルト部じゃないんで。今向かってる所に居る人が教えてくれた情報しか無いんですよね。確か報酬を一切要求しない代わりに、約束させるとか。そんでそれを破ったら殺しに来るって話は聞きましたけど……内容はちょっと知りません。教えてもらおうとしたら襲撃されたので」


「そうか。なら代わりに教えよう。ま、俺が教えられるのは一部だけなんだけど……悪意はないよ? 単に、俺もそれくらいしか情報を持ってないからってだけ。マガツクロノは報酬を要求しない代わりに、自分の事を誰かに教えるなと約束させるんだ。この約束ってのはけっこう厄介でね。えー、何と言ったらいいか……そうだな。例えば、君にこれを漏らした俺は、ターゲットの一人になった」


「え?」


「俺の調査から推測するけど、どうやら顧客リストの様なもので客を把握しているらしくて、たとえその顧客が直接聞かなかったにしても、顧客が友達に話して、その友達が友達に話すとする。するとこの時点でターゲットは二人だ。恐らく、交友網を調査して、辿っているんだろうね。便宜上彼とするけど、彼は知られる事を相当嫌っているみたいだね」


「…………って事は、西園寺さんは誰かから聞いたんですか?」


「いや。サイトを作ってるだけあって、凄い奴でね。ネットに情報を流した奴まで、ターゲットに入ってる。君、これの矛盾が分かるかな?」


「矛盾……矛盾ですか?」


 俺は萌の所に向かいつつ、彼から少しでも多くの情報を入手せんと、雑談を続ける。仮面を被っているせいでクオン部長と歩いている気分だが、中身は絶対に違う。声も違うし、言葉遣いも違う。後、ここまで絡みづらくない。


 それはそうと、矛盾なんて無い気がしてならない。


「…………全然分からないんですけど」


 馬鹿にする事もなく、西園寺は続ける。


「そうか。じゃあ答えを言うけど、君の理解と共に合わせた方が良いだろう。マガツクロノは、実行犯はともかく、元々は何の名前?」


「殺人依頼サイト」


「依頼とは?」


「は? …………他人に用件を頼む事、ですよね」


「じゃあ他人って?」


「……知らない人」


 仮面を被っているので表情が読み取れないのはクオン部長と変わらず、しかし西園寺が少しだけ困ったのは、声音から判別出来た。


「そうだね。つまり依頼を受ける仕事っていうのは、他人に干渉するんだ。報酬を元に行う仕事なら、これは破綻のしようがない。浮気調査とか、弁護依頼とか。報酬があって、他人への干渉があるからね。所がマガツクロノはどうかな。報酬を貰わない代わりに、自分の事を広めるなと言って、破れば殺す。依頼していなくても、殺す、ネットで拡散された場合、広めた人を殺す。ネット情報でそれを知り、悪戯にそれを広めた人も殺す…………もう分かっただろ?」


「いえ、全然分かりません」


「…………破綻してるんだよ。依頼を受ける仕事として。今時、ネットを使わない人間は居ない。それなのにネットまで対象に入るなら、これはもう依頼とは言わない。だって、マガツクロノにとってその人は、『別に顧客ではないけれど、約束を破った人間』なんだから。『他人』に干渉しているとは言い難い」


「…………?」


「AがBを殺してと依頼する。けどマガツクロノにとってBがCに流していてとうの昔に約束を破ったとして殺害リストに入っていたら? これは依頼とは言わない筈だ。殺人依頼サイトを詳細に解釈すると、『何者かの殺人を依頼されてから、その者を殺害する』仕事だけど、これに当てはめてみれば、何がおかしいのかよく分かる。依頼される前から殺害しようと思っていたのなら、それは依頼にはならない。只の大義名分だ」


「…………?」


 西園寺は溜息を吐いた。


「君って、頭悪いって言われない?」


「ほっといてくださいよ!」


 別に理解していない訳では無いのだ。俺に言わせれば、それがどうかしたのか、という事なのである。殺人依頼サイトが矛盾しているからどうしたというのだ。ネットで情報を拾い、それを拡散した者まで―――厳密に言うと、直接マガツクロノに関わった顧客とは何の関係も無かったとしても『約束を破った者』にカウントするのは酷いと思うが、それとこれと、何の関係がある。破綻しているから、何なのだ。


 それがさっきから、ずっと分からない。


「不思議だ。サイトの知名度を上げるには口コミやら広告、噂が必要。けれど広告や口コミ、或は噂が禁じられれば当然知名度は小さいまま。ここまでマガツクロノが有名になる筈は無いんだ。一定の顧客こそ居れど、テレビで報道されるまで知名度が上がるなんて。テレビの情報はどんな情報であれ拡散されるから、噂をしないなんてまず不可能。勝手に起こるに決まってる……それが、おかしいとは思わないかい?」


「まあおかしいとは思いますけど……だから、それがどうかしたんですか?」


「もう、じれったいなあ君は! 遠回しに言った俺も悪かったけど! つまりだよ、マガツクロノの情報を一度流した者は、彼の殺害リストに入っているという事だ―――話は変わる様だけどさ、どうして周りの家に、一軒も明かりが点いていないのかな?」





「え?」





 まさか。全員殺したとでも言うのか。大分非常識な目に遭ってきた俺でも、にわかには信じがたい推測だった。まずどうやってこの短時間で殺す。街の人達は、俺が碧花とテスト勉強する前は確かに生きていた筈だ。いや、いつの間にか寝てたせいで、その辺りはちょっと曖昧だが。


「そんな筈は……無いでしょ」


「ふむう。まあ飽くまで推測だし、何かを言うつもりはない。けれども、君が電話した人物と合流したら、確認してみよう。それで分かる筈だ」


 彼の言いたい事をまとめると、広めた人間はどうであれ殺すのが、マガツクロノの特徴との事だ。つまり、この時点で狙われていないのは、俺と碧花、天奈だけという事になる。オカルト部はクオン部長はともかく、萌は俺に教えてしまったので対象に入っている。となると、マガツクロノの特徴を知っている割には迂闊な行動と言えるが、これは西園寺からの情報だ。彼女が知らなかったのなら、迂闊な行動にも合点がいくというもの。


 妙に不安になった俺は、また電話を掛ける事にした。今度の電話先は―――




「はい。もしもし」




 碧花である。相変わらず、一コールの終わらない内に出てきた。


「碧花か? 天奈どうしてる」


「ん……彼女は寝かしつけたよ。君が居ないのをどうやら寂しく思っているみたいだね。今は私の前で寝てる」


「……前? え、どういう状況?」


「ああ失礼。言い方が悪かったね。どうも君の事が心配で眠れないらしいから、子守歌を歌って寝かせたんだ。あまり、歌には自信が無いんだけどね。ドイツ語で歌ったからかな?」


「多分関係ないと思うぞ。なあ……一回でもさ、テレビ見たか?」


「テレビ? そりゃあ見るに決まってるじゃないか。私はともかく、君の妹はそういう生活を送って来たんだからさ」


「じゃあニュースとか見てたか?」


 捲し立てる様に尋ね続ける俺の様子を、碧花は只事ではないと察知した様だ。のんびりとしていた声音が、急に低くなる。


「―――何か訳ありみたいだね。事情は聞かないでおくけど、君の要件はさしずめ、妹を守ってくれという事かな?」


「よ、良く分かったな」


「君は良い人だから、想定しやすいよ。何で慌てているのかも、実は大方見当が付いているんだ。外がやけに静かだしね。深夜帯でもないのにこれはおかしい。だけど安心してくれ。君の妹はさておき、私の家は基本的に君以外立ち入り禁止だ。入ろうとすれば分かるし」


「両親は!?」


「君は安心して、そっちに集中してくれ。じゃあお休み。悪い夢だと思えば、案外気が楽になるかもよ」


「お、おう―――?」


 俺が電話を切った瞬間、ふわふわとした調子で西園寺が声をあげた。


「君は良く電話をかけるな」


「……文句ありますか」


「いや、別に。それはそうと、廃屋ってのはあれじゃないかな」


 距離三〇〇メートルがこれ程長く感じた事は無かった。俺達の歩く道の左側には、建物の半分以上が倒壊している、古くて湿っぽい建物が建っていた。


「あれ……ですね。他のは、灯りはともかく廃屋って感じじゃないですし」


「良し。じゃあ君が行ってきなよ」


「え?」


 突然の申し出に困惑する。同時に怪しんだ。単独行動をとりたがる奴は死亡要員か黒幕だって相場が決まっているのだ。こんな怪しい状況で、突然単独行動を取ろうとするなんて、おかしい。何かがあるに決まっている。


 警戒されても困るので、俺は『人を無闇に信じる阿呆』を演じながら、首を傾げた。


「どうしたんですか?」


「俺は君にマガツクロノの情報を教えたから狙われる事になった。けれど君はまだ、誰にも教えていない。その建物に居るであろう君の仲間も狙われているんだろうが、幾らマガツクロノでも、目の前の獲物を優先する筈だ。だから、見張りをしようじゃないか。狙われたら俺は逃げる。けれど君達は助かる。合理的だろ?」


 怪しんだ事を俺は後悔した。自己犠牲の精神は基本的に善人しか持ち合わせていない。彼は、少なくとも今は何もしない様だ。その言葉には甘えさせてもらうとして、俺は俺で、自分の役目を果たそう。



 そしてさっさとテスト勉強を再開しよう。



 目の前で人が死ぬ事も無ければ、俺がその死亡に関わっているという事も無い。そもそも死体がまだ見つかっていない。それだけ要素が欠落しているのなら、俺も恐れずに行動出来る。直接狙われなければ、だが。


 怯えて腰が抜けるよりかはずっとマシだろう。不本意だが、俺は『首狩り族』に感謝しなければならない様だ。超絶的不運に感謝とは、遂に俺もとち狂ったらしい。



 ―――まあいいか。



 物事の因果はあらゆる全ての事象に、密接に絡みついている。どう転がったとしても、少なからず俺は今までの人生、楽しかった。だから感謝はしよう。首を狩る代わりに縁を繫いでくれた事を。












 繫いだ縁より、狩られた首の方が多い気がするのは、絶対に気のせいじゃない。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る