好きなだけだから

 碧花に殺されかけたらしい萌の事だから、また何か小言染みた事を言ってくるのかと思っていた俺が恥ずかしい。彼女から帰ってきたのは意外な言葉だった。

「……怪我がないなら、それでよかったですッ」

「え?」

 心配されて動揺するなんて初めての事だ。それも最初は好意的でなかった者ならまだしも、相手は最初から好意的だった萌である。こんな事を言ってしまうと、まるで好かれる事に自信がある人間みたいだが、好意的で当たり前なのである。

「え?」

 萌にも連鎖的に動揺が広がった。ここで止めておかないと、その内由利にも、天奈にも広がってしまいそうだ。

「いや、その……違うんだ。お前達が碧花に近づくなって言ったから―――」

「碧花さん、何かしたんですか?」

「あー、もう! 天奈、悪いけどちょっとあっち―――ああいや、黙っててくれ。これ以上話がややこしくなると俺も訳が分かんなくなる。口出し無用だ、いいな?」

「ご、ごめん」

「分かってくれるならいいんだ。それで萌…………そうそう。お前達が距離を置いた方が良いって言っただろ? 俺が碧花と話したって聞いたらそんな反応してくるとは思わなくてさ」

「あ、そういう事ですか、実は先輩が学校に行った後、御影先輩とお話ししたんです。それで……色々あって、先輩の行動に口は挟まない事になったんです」

「おう……おうッ? 詳しく説明してくれると思ったのに、最後ざっくりしてんなあ。色々ってなんだよ」

「色々は色々ですよ! 御影先輩に許可貰ったら教えてあげますッ」

「いや、アイツに何の権力があるんだよ」

「部長ですから!」

 萌の声音は曇りなき明るさを持っていたが、俺は自らの失言を恥じた。幾ら鈍い俺でもそれくらいは分かるし、ここまであからさまな失敗だと、最早わざとやっているのではないかと疑われても仕方ない。

 俺は萌の側頭部に掛けられた狐のお面を申し訳なさそうに見た。もうクオン部長は居ない。俺はオミカドサマとの対決中、一瞬だけ彼と出会う事が出来たが、それもまともに言葉を交わした訳ではない。まともに言葉を交わしたのは、『ゆうくん』の墓の前が最後だ。

 ―――本人が居たら、俺に何て言うかな。

「……そうか。そうだったな」

 由利を介してとはいえ、俺は確かに聞いた。


『お前に全てを引き継ぐ。萌の事は、お前が守ってくれ。俺は……もう、部長としてお前達を守れない。頼んだぞ、御影部長』


 大事なのは後半ではない。お前に全てを引き継ぐ、という点だ。萌が話せない点というのは、きっとこの部分の事だろう。それに奈々を学校へ連れて行った際、由利はクオン部長の頼みで何かを運んでいた。

 二つを総合すると、彼が秘密裏に何かをやっていたのは間違いない。俺にも話せないくらいだから、余程壮大なのか、余程俺に関係ないのか。そのどちらかか。

「ま、いいや。因みに何かおかしい事とかあったか? 具体的にはお前の親父が来たとか」

「……いえ、そんな事は」

「そうか」

 あれ以来音沙汰が無いのは、むしろ安心出来ない。不気味だ。何をしているのか動向さえ分かれば安心も出来るのだが。今更かもしれないが、俺は僅かながらクオン部長の気持ちを理解する事となった。

 彼はいつ来るかも分からぬ脅威、何が来るかも分からない不安から、部員を守り続けていたのだ。オカルト部という部活の行動指針上、危ない場所に足を踏み入れる事こそあっただろうが、それでも七不思議を調査する時まで、誰も欠けていなかった。それはクオン部長が部員を本当に危ない何かから守り続けていた事に他ならないのではないだろうか。

「お前達は今日も泊まってけよ。天奈、いいよな?」

「え、あ。うん。いいけど」

 由利は今頃、俺か天奈どっちかの部屋で寝ているだろうから、妹にも説明しておいてやる必要があるだろう。怪我の理由については……転んだでは済まなそうだから、どうしようか。ま、後で考えよう。

「それと妹よ、誰が尋ねて来ても応対するなよ」

「―――何で?」

「いいから」

 それにしても、妹に後輩に同輩か。俺の周りにも随分女子が多くなったものだが、だからと言って疑似的なハーレムに酔いしれたりはしない。今の俺はそんな惨めな気休めなんてしたくない、と言った方が正しいだろうか。

 何せ、もうすぐ碧花と二人きりのクリスマス会だ。こんな言い方は変だが、来たるその日まで、俺は幸せになりたくない。一人かくれんぼのしがらみも無くなった今、俺が考えるべきはクリスマス会における行動―――もうお分かりだろう。俺も一人の男だ。本質的には壮一と何の変わりも無い性欲盛んな高校生だ。

 ディープキスをしてしまった今となっては、もう戻れない。あの日を境に『友達』となり、そして今日ようやく関係の進展した俺達だが…………ここまで来たなら、行ける所まで行ってしまいたい。 率直に言おう。


 シたい。


 思うは易し、行うは難し。ヘタレ全日本代表の俺が何を思った所で、実際に行動を起こせた事は数える程しかない。エロい方面に至っては全滅だ。だからきっと……いや、どうせ。何もしないとは思っているのだが。

 考える事もせずに諦めるのは、彼女への好意を折る事に他ならない。小学校の頃から育み続けてきたこの愛を、今更折る気なんて俺にはない。さっきも言ったが、ヘタレなのだ。長い年月ジェンガみたいに積み重ねてきたものを一発でぶち壊すなんてしたくない。

「じゃ、俺はちょっと由利の様子を見に行くから」

 思考を中断し、俺は振り切る様に階段を上った。俺の思考には無限循環の性質が備わっている。続けてもダメージを負うのはオレだけだ。続けるメリットが無い。

「由利ー!」

 天奈の部屋のノブに手を掛けつつ、俺は中に居るであろう女性に声を掛けた。
























 しちゃった。

 しちゃったんだ。


 私……狩也君と。


 大人のキスをしちゃったんだ。エッチなキスをしちゃったんだ。

「ああああああああああああああ!」

 私の初めて、奪われちゃった。いつかは奪わせるつもりだったのは否定しないけど、彼の方から奪ってくれるなんて想像もしてなかった。狩也君は本当に奥手だから、後十年は掛かると……真面目にそう思ってた。

「あああああああああぅぅぅぅ…………!」

 枕に顔を埋めて、バタバタと足を動かしても興奮が収まらない。追加で体を左右に転がしたら、終いにはベッドから落ちてしまった。痛い。辛い。

 でも幸せ。

「狩也君…………」

 幸せ過ぎてどうにかなってしまいそうだ。これ以上幸せになってしまったら私はどうなってしまうのだろう。好きな人をこの手で殺してしまった私に、こんな幸運が訪れるなんて! 神様なんて信じるつもりは無かったけれど、私と狩也君を応援してくれるなら信じよう。出鱈目な信仰論かもしれないけれど、神様なんてものは基本的にはそんなものだ。

 信じたいものを信じればいい。信じたくないなら信じなければいい。

 私は私にとって好都合なものを信じる。不都合なものは×す。『色』を知ったその日から、私はそうしてきた。

「私……理想の女の子になれたんだね…………良かった………………」

 彼の為だけに、私自身を作ってきた。ありとあらゆる努力を惜しまず、妥協を許さず。その結果がようやく実って、彼からキスを貰えた。事故を除けばお互い初めてのキスだったから、お世辞にも上手いとは言えなかったけれど……そんな事はどうでもいい。上手いか下手かは問題じゃない。狩也君がキスをしてくれたという事実が重要なんだ。

「…………泣かない。泣かないよ、私は」

 彼の前でも、私自身の前でも、泣かない。泣きたくない。泣く訳ない。君を殺してしまったあの日から誓ったんだ。もう泣かないって。泣いてしまったら、今まで築き上げてきた私のイメージが壊れてしまう。他人のはどうでも良いけど、狩也君に弱い女だって見られたくない。幻滅されちゃうかもしれない。

「泣かない。泣かない。泣かない泣かない泣かない泣かない絶対泣かない」

 夢じゃない証明だ。ここまで感情が不安定になるんだから、紛れもない現実に決まっている。夢なんかじゃないんだ。夢では腐るほど見た、彼との二人きりの時間。私が唯一、『女の子』で居られる時間がもうすぐやってくるんだ。

「…………ドタキャン、されませんように」

 普段はそれなりに前向きのつもりなんだけれども、彼の事を考えれば考える程、ネガティブな方向にシフトしてしまう。どうやら、狩也君に毒おかされてしまったらしい。

 こんなの私じゃないけれど。彼の『色』に染まった事を実感出来るから、別に構わない。直そうなんて思わない。むしろ、私が私でなくなる事には、積極的に手を貸そう。そうすればいつかは、私の全ては彼の色に染まるだろうから。


 私は布団を乱暴に掴むと、そのまま自分の全身を覆い隠した。そして内部で、再び暴れ出すのだった。 

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