俺の居たい世界は夢か現かまほろばか

 常に家に居るせいで、時間軸が良く分からないが、七回くらい寝たので、多分一週間経ってる。時計が無いので分からない。今まで時計と共に生きてきた俺には、寝た回数くらいしか指標になるものがない。だからまあ……一週間経ったという事にしておく。

 この生活にも随分慣れてきて、最初の頃に感じていた不便さは、大分無くなった。

 住めば都という言葉は正しかった。俺は確実にこの生活に満足を覚え始めている。そこには色々な要因があるが、まず理由として挙げられるのは、この二人の優しさである。

 楼ろうとはとにかく気が合う。

 誇張抜きで、話しているだけで気が安らぐというか、気を抜いて喋る事が出来るというか。前世で親友だったと言われても、普通に驚かないくらいには、話せる。俺のドッペルゲンガーが命を狙っている事を忘れた訳ではないし、アイツに碧花を譲る事を決めた訳でもないが、この生活が一生続くなら、それでも良いと思っている。

 雪せつはこの場所における碧花的なポジションである。

 男とか女とか、終いにはどうでもよくなってきた。少なくとも俺がここで生活する中で癒しになっているのは事実なのである。碧花以外に膝枕してもらえるなんて思ってもみなかった。お蔭で昨日は滅茶苦茶良く眠れた。相変わらず深編笠だけは取ってくれないが、最近は気にしていない。そういうものだと割り切った。

 たかだか二人に優しくされるだけで篭絡されるとは何事か……と思うかもしれない。俺も最初はそう思って、どうしてそう思うのだろうと、自分なりに分析してみた。そうしたら、直ぐに答えが出てきた。



 ここには、俺に負担をかけるものが何も無いのである。



 俺の良く知る世界と比較すれば分かる。あっちでは、碧花やオカルト部など、一部の人間しか俺に好意的じゃない。更に言えば、俺はその人達と絡むだけで、不幸を与えてしまう。今の所その被害が無いのは碧花だけであり、被害に遭った人物も俺の事を分かってくれているから、気にしないでくれているのだが…………これからも交流したい人に迷惑を掛けてしまう。それが俺にとって何よりのストレスだった。

 だがこちらの方はどうだ。『首狩り族』は突然仕事をしなくなり、雪や楼のどちらにも被害を与えていない。その上、二人は俺を肯定してくれる。ここが幸せな世界と言わずして何と言おう。碧花が居ない事を除けば、ここは俺にとって理想の世界そのものだった。

 その代償に文明レベルが下がるというのなら、甘んじて受け入れよう。そんなのは大した問題じゃない。不便な分、雪と話せるので、むしろメリットなくらいだ。

「え? 雪と一緒に外へ?」

「おう。だって、もう条件は満たしてるぞ。そろそろ俺も、外に出てみたいじゃんか」

 なあ、とさりげなく雪の方に振るも、深編笠のせいで表情が掴めない。割り切ってはいるが、こういう時にやはり気になってしまうか。

「雪はどうなの? 狩しゅうと一緒に外へ行きたい?」

「うん。私も行きたいと思ってた。狩には色々と案内してあげたいし、他の人達にも紹介してあげないと」

 他の人?

 今まで家に引きこもっていたせいで知らなかったし、二人が良い人過ぎて半ばどうでもよくなっていたが、他にも人が居るのか。邂逅の森から抜けた先にこの家があった訳だが、どうなっているのだろうか。あの森はほぼほぼ木だった筈だが…………

 いや、それは現実の話か。俺の刺し傷が治った時点で、ここはきっと不思議な世界だ。おかしな点に突っ込んではいけない。そんなもの、今更だし。

「狩。随分と雪に好かれてるみたいじゃないか」

「お、おう……? それは喜んでいいのか分からないが、まあずっと一緒に居たしな。仲良くはなるだろ」

「私は好きだよ、狩の事」

 度々俺の事を家族と言っていたし、ライク的な方の好きだとは思うのだが……ストレートに好意を示されると、どうしても困惑してしまう。勿論、それが初めてという訳ではない。萌も碧花もかなりストレートに好意を示してくる。

 しかし、前者は後輩として尊敬の意味合いが多分に含まれているだろうし、碧花は揶揄っているだけだと分かるから、普通に対応出来た。恥ずかしい時は恥ずかしいが、それはそれだ。状況が違う。

 だが雪にはそれが無い。揶揄う様な性格でもないし、年齢も多分俺と同じくらいだ。下だったとしても、俺は雪を年下として見ていない。男としても女としても接していない。非常に微妙な感情だが…………なんか、只、好きなのだ。

 純粋に好きだから、そんな風に言われると、照れ隠しをして誤魔化すしかない。俺は頬を掻きながら、気恥ずかしそうにそっぽを向いた。

「…………あ、有難う」

 『家族』とはいえ、恥ずかしい。どうせならもっと、遠回しに言ってくれればいいのに。

「照れなくてもいいのに」

「て、照れてねえよ! ただ、あんまり素直に褒めるから、びっくりしただけだッ」

「…………ッふふ」

 こうして俺は雪にも手玉に取られるのだった。めでたしめでたし……ってそんな訳にはいかない。気を取り直して、楼に向き直る。

「―――うん。まあ約束だしね。いいよ、外に行っても。ただ、一つだけ気を付けて欲しい事があるんだ」

「何だ?」

「最近、街の方で物騒な噂というか、怪物の出現情報がある。だから見掛けたら、直ぐに戻ってきて欲しいんだ」

 何を想像していたかと言われると全く何も言えなくなるが、想像の斜め下の要求に、俺は拍子抜けしてしまった。そんな事なら、任せておけと。

 逃げる事に関して俺の右に出る者は居ないのだと。

 胸を張っていい気はしないが、逃げ足には自信がある。あらゆる事柄から逃げてきた俺に一切の隙は無い。

「分かった。任せておけ。ちゃんと雪も連れて戻ってくる」

「狩は随分勇ましいね」

「家族だろ? 少しくらいは守らせろよ」

 一足早く雪が立ち上がり、玄関を少し出た所で、俺の方に手を伸ばした。

「早く行こうよ、狩。私は待つけど、時間は待ってくれないよ」

「おう。そんじゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃい。ねえ狩。今はどう? ここに一生居てもいいって思ってる?」

「ん? そんなの当たり前だろ。お前達は優しいし、ご飯は美味いし……何も辛くないし。本当に、いい場所だよ」

 雪に手を引かれながら、俺は楼の姿が小さくなるまで手を振り続けた。一刻も早く脱出しようなんて、そんな愚かな考えは今すぐにでも捨てるべきだった。こんな優しい世界なら、もっと早くから甘えていても……罰は当たらなかっただろう。













「ていうか、街ってなんだ?」

 雪と肩を並べて歩く事十五分。雑木林しか見えないものだから、ついつい尋ねてしまった。この先に本当に街なんてあるのだろうか。

「街は街だよ。私達の他にも生活している人は居る。不思議な話でも無いでしょ」

「いや、それは分かるんだけどさ。じゃあ何でお前等、こんな辺境に家があるんだよ。こういう時に不便じゃないか?」

「全く。楼も狩も居る。私にはそれだけで十分。多くは望まない」

 そういう事を聞きたかった訳ではないが、まあいいか。俺は「そうか」と言って強引に話を区切ってから、何となしに雪の顔―――深編笠を見つめる。もしかしたら透けるかもと思ったが、案の定、全く透けない。

「どうかした?」

「いや―――やっぱ何だろう。もうお前が顔見せてくれないのは、まあいいかなって割り切ってたんだけどさ。やっぱりこう、何も考える事が無くなると……微妙に気になるというか」

「そういえば、狩はずっと私の顔を見たがってたね」

「いや……もういいんだけどな。どうせ見せてくれないし」

「正解。でも狩が嫌いだから見せないって訳じゃないの。悪く思わないで」

「分かってるよ。見て欲しくないんだろ? 理由は知らんけど、詮索はしねえよ」

「そう言ってくれるなら、助かるよ。私も少し、気にしてたから」

 手っ取り早く顔を確認する方法として、一緒に風呂へ入ると言う手段があるが、雪がもし女性だったら俺はとてもじゃないが理性を抑えきれないし、もし男性だったとしても、俺は色々な意味でダメージを負う事になる。

 俺だけかもしれないが、他人の局部を見る事にかなり抵抗があるのだ。だから、実行したくない。あまりにもリスクが大きすぎる。

「……街の人達はお前のそれ見て、驚かないのか?」

「それって、どういう意味なの」

「え」

 不味い。また地雷を踏んでしまったか。

「いや、違うんだよ! だって虚無僧しか着ない様なもん被ってんだぜ? 俺や楼は慣れてるからいいけど、街の人達は驚くんじゃないのかって、素朴な疑問だよ!」

「素朴も何も、狩がここに来るより前から私は街の方に足を運んでるし、面識もある。狩がもう驚かないなら、誰も驚かないよ」

「あ、そうか…………そりゃそうだよな。全然考えが追いつかなかったわ」

 理解が追いついた今となっては、むしろ、どうして先程まで雪が街に行った事がない前提で話していたのか理解出来なかった。全く何を考えていたのだ、俺は。緊張なんて、しようにも出来ないだろう。

「むしろ街の人達は、狩の方を見て驚くんじゃないかな」

 思いがけない発言に、俺は一度思考を纏めるべく視線を落としてから、眉を顰めた。

「……俺か?」

「楼とは何度か行った事があるけど、狩と行くのは、これが初めてだから」

「あーそうか。確かに引っ越してきた奴ってどんなに普通でも……いや、やめとこう。引っ越された事がない俺が言っても嘘っぽくなるだけだ。どんな人達なんだ?」

「皆、良い人だから、狩もきっと安心すると思う。気に入ってくれたら、嬉しいな」

「ま、きっと気に入るだろ。俺の事だからな」

「何で他人事みたいに話してるの? 狩の事じゃん」

「そりゃあ他人事だろ! 実際に見ない事には何て思うか分からないからな。こんな風にしか言えないよ」

「……変なの」



 ―――そういや、俺のドッペルゲンガー。姿見せねえな。



 出てこない分には気楽だから一生出てこなくても構わないが、この日常を壊されそうで、とても不安だ。出てくるならさっさと出てきてもらって、追い回してきてくれた方がむしろ気が楽になるまである。

 今度はこっちが、反撃する番だ。

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