『素晴らしき』世界



『まほろばには王と呼ばれる存在が居る。脱出したければ、そいつを探せ。王は言葉が通じる数少ない存在だ。無礼な事さえしなければ、帰れる様にはしてくれる。ただ、これを読んでいるお前が、水鏡碧花と一緒に居て、且つ別行動を取ってしまったのなら、気を付けた方が良い。何を、とは諸事情で言えないが、少なくともあの時、まほろばに居た人間がほぼ死んでしまったのは、アイツのせいだ』


 クオンと呼ばれる男はそう記述していたが、とてもとても信じられない。こんな『素晴らしい』世界に言葉が通じる存在が居るなんて。


「…………これで、どうしてアイツを見つける必要があるんだ?」


「王とやらを探さないと脱出できないなら、水鏡碧花も一度王と出会った筈。彼女の居場所さえつかめれば、自ずと王も見つかるって事。それと、彼女に単独行動をとらせたら、何をするか分からない」


「そんなに危ない奴なのか?」


「首藤君の前だったら、いいんだけど。その首藤君が居ないなら―――かなり、危ない」


「私達、殺されかけましたからね……」


 流石の萌も苦笑いを浮かべながら、弱弱しい声で過去を想起していた。そこまで行くと、最早普通の犯罪者ではないか。どうして二人は通報しないのだろう。傷害罪で十分立件出来る気がするが―――


「いや、待て。アイツを見つけたからってその王が見つかるとは限らないぞ? だって、私達は狩也を探しに来たんだ。アイツの執着ぶりは私も知ってる。狩也を残して帰る為に王と会うなんて考えられないぞ」


「もし彼女が、先に首藤君を見つけていたら、どうするの。彼女は一人だけ王の居場所を知っている。首藤君を連れて勝手に帰還されたら、私達はどうしようもない。電車が何処かに行ったら、多分脱出手段は…………無いから」


「ん? でもアイツが言うには電車はもう動かなくて、帰るには違う手段が必要だって」


「…………どっちみち彼女を探した方が良い事には変わりない。彼女本人は首藤君以外の命を何とも思ってないから、監視下に置いておかないと、何をするか分からないから」


 聞きたい事や疑問点は色々あるが、そこには大いに賛成だ。そこまでのヤバい奴なら、ずっと見ていた方が下手な行動を起こされなくて助かる。出来れば二人と会う前……あの女と分かれる前に気付き、何としてでも一緒に居るべきだったが、その最善手は結果論に過ぎず、今言い出しても、仕方がない。


「……分かったよ。協力する。でもその前に、私の友達を探してくれないか? 水鏡美原……大事な友達なんだ」


 私があんな目に遭ったくらいだから、美原も早く私と合流したがっている筈だ。早い所合流して、あの女を見つける為に動かないと。狩也を見つけないと帰る事が出来ないと言われたから探していたまでで、頼るアテが他に生まれたのなら、あんな男の事なんてどうでもいい。


「分かりました! 私達がきっと見つけてみせますから、神乃さんは安心してここで休んでいてください!」


「…………有難う」


「―――えへへ♪」


 萌の笑顔を見ていると、先程まで追いつめられていたのが馬鹿らしく思えてくる。無邪気な笑みとは、きっと彼女が浮かべる表情の事を指している。うちの高校の男子は『小動物みたい』と言っていたが、正にその通りだ。


 女の私から見ても、萌は可愛い。


「なあ、御影。一つ聞かせてくれ。お前達、刺されてここに来たって言ったけど、どういう事だ? まほろばって、行き方は一つじゃないのか? 狩也の奴も、邂逅の森からこっちに消えたらしいし」


「……私達は分からないけど、邂逅の森なら、納得」


「そうなのか?」


「あそこは死者と出会える場所。裏を返せば、あの世に深くつながっているという事でもある。ここはあの世そのものじゃないけど、現世じゃない。繋がる可能性は十分ある……と思う」


「思う?」


「行った事が無いから、私には分からない」


 言われてみれば、そうだった。ここに来た事がある人間で生還者はあの女と狩也と、そしてクオンと呼ばれる人間だけだ。行った事もない人間が、この空間の事なんて分かる筈がない。



 ……沈黙が訪れる。



 喋る事が無くなった。これ以上話していても仕方ないと、同時に思ってしまったが故の結果だろう。私と御影の顔を萌は何度も見てから、気まずそうに喋り出した。


「と、取り敢えず私は、美原さんを探しに行きますね!」


「待て。お前は一人で大丈夫なのか?」


「はい! 私には―――」


 萌は側頭部に被っていた狐面を正面に被り直して、両手をぐっと握りしめた。


「部長がついてますから!」


 その狐面を見て、ようやく理解した。私達の高校を訪れた時に彼女の傍に居たあの男が―――部長だったのか。そのお面を受け継いでいるという事は、部長はもう引退してしまったのだろうか。リストバンドを貰う感覚でお面を渡されて、彼女も困惑しただろう。


「御影の方はどうするんだ?」


「私は……首藤君を探そうと思う。首藤君さえ見つかれば、水鏡碧花はこっちに合流せざるを得ない。先に見つけられていない事を信じて、探す。神乃さんを一人にするのは不安が残るけど。偵察した限りだと、この付近では何とも出会ってない。動かなければ、大丈夫だと思う」


「―――それはいいんだが、待ってくれ。ここで単独行動を取るんなら、私は結局何を協力すればいいんだ?」


「今は休んでて。十五分くらいしたら戻ってくるから、それまでは動かないで。いい?」


「あ、ああ……すまん」


 なら、少し眠っても良いか。二人が家から出ていくのを見送った後、私は目を瞑って、休息をとる事にした―――




「……見えないよ…………何処……? 神乃…………聞こえないの……見えない………熱い……寒い…………痛い」




「……美原!」


 アイツが助けを求める声を聞いて、助けに向かわない訳にはいかない。痛みの残滓はまだ抜けないが、急いで向かえない程じゃない。私は直ぐに飛び起きて、声のする方向へ向かった。 














 何時間経過しただろうか。


『いや、しかし何時間経過しようとも、気にならない。こんな素晴らしい場所から脱出しようなどと、そんな愚かな事を考えていた自分が恥ずかしい』


 神乃の声は聞こえなくなった。無事に逃げ切れたのか、それともやられてしまったのか。出来れば前者であって欲しい。


「…………」


 怪物の足音はまだ聞こえない。呼吸音も聞こえない。本当に居るのだろうか。顔を上げたくなったが、それは罠だと信じる自分が居る。せめて誰かが声を掛けてくれたなら、安全だと分かるのに、そんな人物は周りに居ない。


 早く『住みたい』。一刻も早く『今』の世界に『別れを告げたい』。『どうしてあんな辛い事しかない世界に戻りたいと願う道理がある』。『ここは素晴らしい世界だ』。『こんな素晴らしい所があるなら、確かに来た人は戻りたくないだろう』。




 ―――じゃあ何で、私は恐れているの?




 …………危なかった。


 多分、こんな状況じゃなければ、私は自分の変化に気が付かなかっただろう。私の心を極限まで追いつめていた恐怖が、皮肉にも己の変化を気付かせてくれた。これが、まほろばに長居する事の危険性か。これは…………意識しなければ、気付けない。


 自分の意識が徐々に変わっていくのだ。突然書き換えられたら私でも気が付くが、意識が続いている中で、徐々に変わっていくというのは、気づけという方が無理だ。今のは本当に、たまたま気付けたのである。


「…………早く、狩也さんを見つけないと」


 恐る恐る顔を上げると、異形の怪物は居なくなっていた。足音も呼吸も最後まで聞こえなかったので、まるで最初から居なかったみたいである。かなりの時間が経った今、何なら、あれは幻覚だったのではないかとすら、思っている。



 ―――いかないと。



 神乃がどうなったかは知らないし、助けに向かった所で何か出来る訳ではないから、向かわない。決して見捨てている訳じゃないんだと自分に言い聞かせて、私は入れ替わってしまった一階の探索を始める。


 とにかく、出たい。


 階段も無くなってしまったし、実質的に別の建物に移動した様なものではないか。


「狩也さーん! 何処に居るんですかー!」


 化け物に見つかるのは嫌だが、こうして声を掛けない事には、狩也さんを見つける事は出来ない。建物が多いせいで、声を掛けないと、あっちも私達を見つけられない筈。いやでも、私達を探しているなら、狩也さんの方から声をあげているんじゃ?



 ―――じゃあ、逆に音を聞いた方が良いのかな。



 というか、本当に居るのかどうか。私には彼の気配が感じられないから、全く分からない。文句を言える程探してもいないが、もし居なかったらと思うと……骨折り損である。せめて居場所の大まかな見当くらいあれば、もう少し早く見つけられるだろうに。


 このまほろばの全体像がハッキリと見えてこない以上、一人の人間を探すという行為は、想像以上に至難な部分がある。ネットも使えない、電話も使えない。そんな不便な状態で、どうやってこの空間から彼を探せばよいのだ。せめてここの事を知ってる人さえ居れば―――



『何なんだ…………か。本当は教えたくないんだけど。まあもう居るし……私は現在探しているトモダチ、首藤狩也と共にまほろばから帰還した唯一の人間だ。そりゃあ知っているよ』



「ああああああああ!」


 柄にもなく、大声をあげる。そうだ。居た。さっきまで私達と一緒に居たあの人が一番よく知っているじゃないか。あの人はまほろばに来て、一度帰還している。彼の居場所までは知らずとも、全体図くらいは知っている筈だ。


 ならば尚の事ここから出なければいけない。私は周囲を見渡して、外に繋がっていそうな扉を片っ端から開ける事にした。


「……これも駄目」


 引き戸系は全滅。トイレらしき扉も開けてみたが、何故かトイレだけはトイレのままだった。法則性が全く掴めない。同じ部屋が無限に続く部屋はあるし、引き戸だと思っていたら只の絵だったものもあるし、どうなっているんだろう。


「これも駄目」


 ノブを回すタイプも、外には繋がらない。窓さえあれば、そこを無理やり割って脱出出来るのだが、そんな思惑はお見通しとばかりに、窓のある部屋が見つからなかった。残す扉は地下に続いているモノしか無いが、幾ら何でもあれはあり得ない。外に繋がっている訳が無い。


 どうせ通じていないと分かっているものを開けるなんて時間の無駄だ。そんなものは無視し、開けた扉に見落としが無いかを探る。


 見落としが無かったら、また次の部屋に移動し、そこから繋がる扉を全て開けよう。それを繰り返していれば、いつかは出口が見つかる。見つかる筈だ。


 見つかってくれないと、どうしようもない。





「…………狩也さん、お願い。生きてて―――!」





 家の束縛から逃げたいとは言ったけど、こんな世界で生きるなんて……出来れば避けたい。



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